太田述正コラム#9119(2017.5.27)
<武光誠『誰が天照大神を女神に変えたのか』を読む(その2)>(2017.9.10公開)
 「西洋ではギリシャ時代以来女性差別の発想がつよく、男性中心の社会がつくられてきた。
 とくにデカルトなどに始まる近代哲学では、「理性をもつのは男性だけである」とする発想がつよかった。・・・
 欧米では、20世紀になってようやく、女性差別を廃止する運動が起こった。・・・
 ヨーロッパ文明の影響を受ける前のアジア、アフリカ奥地やオセアニアには、女性を中心とした家庭を営む部族が多くみられた。
⇒「西洋」と「欧米」と「ヨーロッパ文明」は同じものを指しているなら、一つの本で、いや、少なくとも、数行の間に、3種類の用語を用いるべきではありませんし、仮に少しずつ違ったものなのであれば、それぞれの定義が必要でしょう。
 用語に厳格でない武光は、歴史学者以前に、そもそも学者と言い難いですね。
 また、そもそも、非「欧米」人たる著者が、非「欧米」人たる読者達に向けて書いたこの本で、武光は、どうして、より一般的な用語、例えば、狩猟採集社会、農業社会、といった用語、を用いないのでしょうか。
 ところで、狩猟採集社会が平和的であったかどうかは議論が分かれている(コラム#省略)ところですが、同社会が女性優位であったかどうかについても議論が分かれているのですね。
 ただ、農業社会以後の社会が、基本的に男性優位であることについては、コンセンサスがあるようですが・・。
https://en.wikipedia.org/wiki/Sexism
 さて、武光は、ここで、「デカルトなどに始まる近代哲学」を持ち出すくらいなら、「アリストテレスなどに始まる哲学」を持ち出すべきでした。
 アリストテレスは、女性が男性に比べて劣等である、と明確に書いている
https://en.wikipedia.org/wiki/Aristotle%27s_views_on_women
のに対し、女性蔑視哲学者デカルト、というのは、欧米のフェミニストの一部が唱えている妄想に基づく牽強付会に他ならない
https://plato.stanford.edu/entries/feminism-femhist/
のですからね。
 もっとも、アリストテレスにお出ましいただくまでもなく、古典ギリシャが女性差別社会であった
https://www.phactual.com/naked-sexist-pederasts-5-reasons-we-would-hate-life-in-ancient-greece/
ことは、これまた、当時の戯曲とか哲学を少しでも齧った者にとっては常識ですが・・。
 しかし、遺憾ながら、私見では、古典ギリシャは欧米史の一環ではない(コラム#省略)のですから、武光は、欧米の女性差別性を(デカルト以外でもって)示さなければならなかったところ、私なら、(アングロサクソンと欧州とを峻別していることもあり、)アングロサクソンに関しては、コモンロー上の「夫の保護下にある妻の地位(coverture)」<(注10)>を、
https://en.wikipedia.org/wiki/Coverture
欧州に関しては、ドイツ人が書いた『魔女に与える鉄槌(Malleus Maleficarum)』(1487年)・・欧州において広範に、そして、多少ではあっても英米においても、魔女狩りによる無辜の女性達の大虐殺を引き起こすことになった・・
https://en.wikipedia.org/wiki/Malleus_Maleficarum
を挙げたところですね。(太田)
 (注10)結婚した女性は、夫たる男性と一体化し、夫の名前において以外は、財産所有、契約、裁判での証言、等、一切の法的行為ができなくなる、というもの。
 19世紀末に、イギリスでは廃止されたが、米国の一部の州ではいまだに完全には廃止されていない。
 ちなみに、イギリス女王ないし王妃だけは、一貫してその適用を受けなかった。
https://en.wikipedia.org/wiki/Coverture 前掲
 日本でも平安時代頃までは、母親となる女性が家族の中心となる通い婚が一般的であった。
 武士が出現したあとに、男性である武士が家長となる家がつくられた。
 しかしそのような武士の家の中では、武士の正妻である女性が、一家のやりくりを始めとする家族に関するすべてのことを管理していた。
 ・・・武士を家長とする家のあり方は、男女の性差別ではなく、男女の役割分担とすべきものであろう。」(18~19)
⇒残念ながら、武家政権が樹立される前の、(平清盛の嫡男・重盛の長男の)維盛(1158~84年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%B6%AD%E7%9B%9B
とその正妻との関係すら、「妻の夫への全面的な依存、献身的な奉仕、絶対の服従を押し付ける夫権中心の関係」
http://www.earticle.net/article.aspx?sn=32090
だったようですから、このくだりには大きな疑問符が付きますが、先に進みましょう。(太田)
(続く)