太田述正コラム#0475(2004.9.17)
<世界の20大思想家(その3)>

 (「まぐまぐ」より、『まぐまぐBooksアワード』結果発表を「9月中旬」から「10月上旬」に変更するとの連絡がありました。)

 バージニア・ウルフは、ジェームス・ジョイス、エズラ・パウンド、T.S.エリオットらと並ぶ、英文学におけるモダニズムの旗手の一人です。しかし、彼女は20世紀におけるフェミニズムの旗手の一人でもあります(http://www.ibiblio.org/cheryb/women/Virginia-Woolf.html。9月15日アクセス)。ペンギン社は、後者の彼女に着目して、20大思想家の一人として、彼女のA Room Of One’s Own (1929年)を掌中文庫に採択した、ということのようです。
 それでは思想家としてのウルフについての、米国人リッチ(Joel Rich)によるシカゴ大学公開講座での講義(1992年2月)(http://www.cygneis.com/woolf/lecture/jrending.html。9月15日アクセス)を手がかりにウルフの思想に迫ってみましょう。(この講義の質は高いと思うが、ウルフの思想をリッチの言葉に置き換えているという問題がある。しかし、そこは目をつぶり、更に私の言葉にも部分的に置き換えつつ、まとめてみた。)

 アングロサクソンの歴史は自由(freedom)と安全(security)(ないし平和(peace))の間の闘争の歴史だった。男性は自由を志向し、女性は安全を志向する。しかるに女性は教育・収入・プライバシー・広い世間での経験・もしくは時間、がなかったため、自由の方が一貫して安全よりも優勢であり続けた。
 自由への志向が自由民主主義、資本主義、プロテスタンティズムの隆盛をもたらした。換言すれば、これは道徳性(morality)(ないし正義(justice))・客観性・ヒロイズムの勝利だった。
 他方、安全への志向は、平等主義・主観性・反ヒロイズム(最低の最大公約数による支配)に立脚しており、社会主義、平和主義に傾斜しがちだ。
 その一方だけではよくない。
 男性(自由)原理に女性(安全)原理を積極的にぶつけることで、男性(自由)原理と女性(安全)原理を止揚した、両性具有(androgynist)の世界に到達することができる。
 これは保守(米国で言えば共和党)とリベラル(米国で言えば民主党)があって初めて政治が機能することになぞらえることができる。
 リベラルは大きな政府・結果の平等・リスク回避・道徳性を志向し、女性向きだし、保守は小さな政府・機会の平等・自由を志向し、男性向きだが、そのどちらもが必要なのだ。

 女性原理の伸張は困難を極めた。
 イギリスで最初に女性の著述家(writer)が現れたのは17世紀になってからだ。
 しかも、イギリスで女性が著述で食えるようになったのは、ベーン(Aphra Behn。1640??1689年。小説家)をもって嚆矢とする。
 そして19世紀初期になって、ようやくイギリスではオースチン(Jane Austen)・ブロンテ姉妹(the Brontes)、エリオット(George Eliot)らが輩出する。しかし、問題が二つあった。それは彼女達の誰も子供がいないことであり、彼女達が全員小説家であることだ。後者について言えば、それは当時の女性達がなお、家庭の中で、人々の性格や感情の分析にあけくれており、これは小説家としての訓練になったからだ。しかしこれは同時に、女性の経験の幅を狭くし、創造性を蝕ばみ、女性による本格的な思想的著作の出現を妨げてきた。
 現在でもこの事情は基本的に変わっていない。
 だから女性よ。教育を身につけ、収入を確保し、プライバシーを確立し、広く世間で経験を積み、時間をつくれ。そして男性原理に挑戦せよ。女性と男性が平等な立場で意見を戦わせ、その上で手を携えることによって、われわれは初めて理想的な社会を構築することができるのだ。

 蛇足ながら、ウルフは、ハズリットを尊敬しつつも好んではいなかった・・そもそもハズリットはイギリスの女性には好まれていない・・そうです(前掲http://www.ourcivilisation.com/smartboard/shop/prstlyjb/hazlitt/以下)。

 ウルフの「思想」は興味深いですね。
 男性原理は私の言う弥生モードに通じ、女性原理は私の言う縄文モード(コラム#276等)に通じます。
 イギリス(アングロサクソン)の歴史は、圧倒的に優勢な男性原理に女性原理が挑んできた歴史であるのに対し、日本の歴史は縄文モードの時代と弥生モードの時代が代わる代わるやってくる歴史でした。日本が、その二度目の縄文モードの時代である平安時代に、紫式部という女性によって世界最初の「近代」小説である源氏物語が生まれたことを誇りに思うとともに、日本文明がアングロサクソン文明には及ばなくとも、世界史上、今後ともかけがえのない存在であり続けることを、私は信じてやみません。

(完)