太田述正コラム#9169(2017.6.21)
<改めて米独立革命について(第II部)(その2)>(2017.10.5公開)
 しかし、それも、この膨大で触手の沢山ある記述の小さな部分でしかない。
 この戦争の前の西部への拡大に関する、かつまた、この戦争の後の、奴隷制の拡大という、自由に関するもう一つの紛争での米国の成長の紛糾に関する、異なった諸アプローチのもなされている。
 ケベック法(Quebec Act)<(注1)>、愛郷者の大義における女性達の役割、アメリカ原住民達に対する、入植者達と諸政府の諸態度(、そして、土地を奪うためにやってきた者達に対するアメリカ原住民の諸態度)、についての諸議論もなされている。
 (注1)[英領北アメリカ(ケベック)法(British North America (Quebec) Act)。]「七年戦争<で英国が>・・・勝利し・・・<、その>講和条約であるパリ条約<で>、ヌーベルフランスとして知られてい<た>北<米>のミシシッピ川東部の広大な領域の代わりに、フランス・・・は砂糖の生産で重要な拠点であるグアドループとマルティニークを保持することを選択した。当時、ニューフランスでは、大量に生産されたのはビーバーの毛皮のみであったので重要な地域とみなされることはなかった。セントローレンス川沿岸の領土はフランスによって「カナダ」と名付けられ<てい>たが、<英国>によりその地域の中心都市名と同じ「ケベック」に改称された。カナダ人は後に<英>国民となるが、いかなる公<的地位に就く>にも・・・カトリック信仰をしないという誓約<が必要だっ>・・・た。
 <ところが、英領北米>植民地南部で・・・<米>独立革命を招いてしまったので、<英国>は・・・ケベック植民地の人口の大多数を占め(99%以上といわれている)<ていた>・・・おおよそ7万人の・・・フランス系カナダ人も反乱を起こすのではないかと危惧した。
 <かかる背景の下で、>ケベック植民地の統治に関する法律である・・・ケベック法・・・<が>1774年に<英>議会において可決され、翌75年5月1日より発効した」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%99%E3%83%83%E3%82%AF%E6%B3%95 (〈〉内も)
 その主要内容は以下の通り。
・現在のオンタリオ州、イリノイ州、インディアナ州、ミシガン州、オハイオ州、ウィスコンシン州の大部分とミネソタ州の一部を含むところの、インディアン居留地(1763年)の一部を〈買収することで〉編入することによるケベックの領域の拡大。
・公の地位に就く際の誓約からのプロテスタント信仰への言及の削除。
・カトリック信仰の自由な実践の保証。
・私法におけるフランス市民法の使用の回復。(コモンローが認める遺言・遺贈の自由だけは維持。公法・訴訟法においてはコモンローを維持。)
・カトリック教会の教会税課税権を回復。
 <日本語ウィキペディアのこの部分の邦訳はひど過ぎる。(太田)>
 英本国及び13植民地群からケベックに移住した英国人達は、政治的諸自由の一部が奪われたと感じたのに対し、ケベック人達の受け止め方は様々だったが、大土地所有者達やカトリック教会関係者達は好意的だった。
 独立革命戦争中だった13植民地群の人々は、住民議会のないカナダの統治方式の(将来13植民地群への適用を念頭に置いた)地域的拡大、オハイオの大部分のケベックへの編入による自分達の欲しかった土地の取り上げ、カトリシズムの13植民地群への拡大への布石、フレンチ・インディアン戦争で戦った敵への譲歩であって自分達への侮辱、と受け止めた。https://en.wikipedia.org/wiki/Quebec_Act ([]内も)
⇒現在のカナダには、7年戦争以前に、既に、(英国人が殆ど住んでいない)英領もあった(典拠省略)わけですが、カナダ、と、(英領だけからなる)13植民地群、とが、米独立革命戦争を契機にどうして異なった道を歩むことになったのか、より端的に言えば、どうしてカナダ(の住民多数)が13植民地群(の愛郷者達)と連携して独立革命戦争を戦う運びにならなかったのか、がようやく分かったように思います。
 朝鮮半島についてもカナダについても、どうでもいいじゃないか、という横着な気持ちで、これまで余り真面目に勉強してこなかったことが、それぞれ、私の支那/日本認識、及び、私の米国認識、を、今一つ深みのないものにしてきた、と、反省することしきりです。(太田)
 より伝統的な、諸戦闘や政治的取引(bargaining)についての諸記述、もなされてはいるものの、それらは、奴隷が演じた役割についての突っ込んだ議論と並行してなされている。
 <これまでの独立革命戦争の諸歴史書に見られた、>戦争への段階を経たエスカレーションについて、や、戦争終結への円滑な下降、<についての記述>はない。」(e)」
(続く)