太田述正コラム#0477(2004.9.19)
<ベスラン惨事とロシア(その8)>

 そもそも、人質をとり、あるいはテロ(以下、「テロ等」という)によって政治的目的を達成しようとすることは、国際法上は違法ですし、国内法上は犯罪です。
 また、たとえ軍隊が戦闘を行う場合も、非戦闘員を殺戮の対象とすることはジュネーブ条約違反(国際法違反)です。
 よってベスラン占拠事件のように、非戦闘員をテロ等の対象として政治的目的を達成しようとすることは、二重に許し難い悪行である、ということになります。
 しかし、そうは言っても例えば、イスラエルはハガナ(Hagana)やとりわけハガナから分裂した過激派のイルグン(Irgun Zeva’i Le’umi (略称Etzel)。http://www.jewishvirtuallibrary.org/jsource/History/irgun.html(9月19日アクセス))といったシオニズム組織による対パレスティナ人テロ等によって生まれた国家ですし、他方パレスティナ側も一貫して対イスラエルのテロ等を行ってきました。
 テロ等を行うと、テロの相手方及び国際世論から非難を受けるわけですが、かかる非難も織り込んだ上で、結局のところ、テロ等が政治目的を達成するかしないかが決定的に重要なのであり、遺憾ながらこういう場合、結果が手段を正当化するのです。
 ユダヤ側のテロ等はその政治的目的を達成したのに対し、パレスティナ側によるテロ等は政治目的を達成するための戦略眼と能力を欠いたまま、垂れ流し的に行われてきたところにその不毛性があります。
 同じことがイラクで現在猖獗を極めている、反体制的諸勢力によるテロ等についても言えるでしょう(注14)。

 (注14)そろそろ、その後のイラク情勢について、このコラムで論ずべき時が来ているが、しばらく待っていただきたい。

 ですから、イスラム世界の少数派の論者達(コラム#476)は、自己批判をするのであれば、イスラム教徒達がテロ等を手段として用いてきたことを問題にするのではなく、どうしてイスラム側は戦争をもってしても、あるいはテロ等をもってしても、肝腎の政治的目的を達成できた試しが殆どないのか、を問題にすべきなのです。
 そうだとすれば、「一応」イスラム教徒であるチェチェン人がこれまで行ってきた一連の「見事な」テロ等に彼らは注目すべきなのではないでしょうか。(バサーエフが行った1995年の病院占拠事件がチェチェン「独立」を一旦はもたらしたこと(コラム#464)も思い出して欲しい。)
 ベスラン占拠事件についても、女性や子供、就中子供を対象にしたテロ等にわれわれが特に強い嫌悪感を抱くのは、生物学的本能に由来する(注15)わけですが、そもそもチェチェン抵抗勢力の目的は耳目を集めてチェチェン紛争の存在を改めて世界に訴えるとともに、ロシア政府やオセチア人を激怒させ、彼らの不適切な対応を誘い出すことによって、チェチェン紛争の一層の泥沼化を図るところにあると考えられ、その目的はおおむね達成されたと言っていいでしょう。
 要するに、バサーエフらに戦略眼があり、なおかつ相手がロシア政府という腐敗した専制的政府であるからこそ、極端な形のテロ等であっても、なお「有効」なのだ、ということです。

 (注15)生物学的本能を抑制さえすれば、女性と子供を特別扱いすることに特段の意味はなくなる。例えば、現在女性兵士が米軍全体の17%を占めており、歩兵や戦車兵や特殊部隊員になることこそできないが、イラクでは女性兵士が活躍しており、既に一回の戦闘でイラクゲリラを20人以上殺した武勇伝の主も出現している。また、自爆テロを(先般のロシア民航機二機爆破事件を含め)女性が行うことも決してめずらしくない(http://news.bbc.co.uk/2/hi/programmes/3630902.stm。9月7日アクセス)。更に、アフリカ等における紛争においては、少年兵が戦闘に従事することはめずらしくない。またイラクでは、子供がカネをもらって、何食わぬ顔で米軍に近づき、手榴弾を投げつける事件が頻発している(http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/A62425-2004Sep4?language=printer。9月6日アクセス)。武器等の発展・変化によって体力や筋力は戦士にとって絶対必要条件ではなくなりつつあるし、何よりも、国家対国家の戦争ではない非対称紛争においては、女性・子供(幼児・嬰児を除く)も容易に戦士となり、同時に殺戮の対象となるのだ。

(完)