太田述正コラム#9175(2017.6.24)
<改めて米独立革命について(第II部)(その4)>(2017.10.8公開)
「著者の<この>米独立革命<本>には大勢の英雄達は登場しない。
トレントン(Trenton)<での戦い(注3)(コラム#510)での勝利>故に、ワシントンは英雄達の1人ではあるけれど、彼でさえも、自利を追求するために真実を遮蔽し、法律違反を犯して密かに土地を購入している。<(注4)>
(注3)「トレントンの戦い(・・・ the Battle of Trenton)は<米>独立戦争中の1776年12月26日にニュージャージー州トレントンで起こった<米>大陸軍と主にドイツ人傭兵部隊で構成される<英>軍との戦いである。デラウェア川の向こうに撤退していたジョージ・ワシントン将軍の率いる大陸軍が、悪天候の中危険を伴う渡河をして・・<但し、>3つに分けた部隊のうち2つは渡河でき<なかったが、>ワシントンはその2,400名の部隊だけで攻撃<した。>・・、トレントンに駐屯していたドイツ人傭兵部隊<と戦った>。戦闘そのものは短時間で終わり、大陸軍がほとんど損失を受けなかったのに対し、・・・安全だと考えてその守りを緩め、夜明けの歩哨すら置<かず、>・・・クリスマスの大騒ぎの後で眠りに就いたまま<だった>・・・ドイツ人傭兵部隊の・・・1,500名いた守備隊のほぼ3分の2が捕まり、幾らかの兵士が・・・逃げ出した。この戦闘そのものは小規模だったが、その影響は植民地中で大きなものになった。1週間前は革命そのものが疑われ、軍隊は崩壊の瀬戸際にあるように見えた。しかし、この戦いでの勝利により、兵士達は軍隊に留まることに合意し、新兵も加わることになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
渡河するワシントンを描いた有名な絵。↓
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%B3%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84#/media/File:Washington_Crossing_the_Delaware_by_Emanuel_Leutze,_MMA-NYC,_1851.jpg
(注4)調べる労を惜しんだ。
⇒この時の英国はハノーヴァー王国と同君連合を組んでいたこともあり、ドイツ人傭兵を使ったこと自体はともかく、例えば、このトレントン駐屯部隊の場合、部隊長のドイツ人大佐が全く英語ができず、大陸軍側も降伏呼びかけ等をドイツ語ができる兵士にやらせる、という有様(上掲の上)では、協力者を通じての情報の解析も思うにまかせなかったと想像されるのであって、ドイツ傭兵部隊単独でトレントンに駐屯させた、英軍上層部の判断に問題があった、と思います。
そうは言っても、いくらこの戦いでの勝利が、独立戦争の心理的転機になったとはいえ、最終的な、大陸軍側の勝利は、仏海軍の協力の賜物であること(コラム#省略)を忘れてはならないでしょう。(太田)
英軍が1781年にヴァージニアに侵攻した時、ヴァージニアの人々は、愛郷者達による民兵達の諸徴兵に抗して暴動を行った。
誰が勝っているかによって、人々は、片方の側からもう片方の側へと、そして、しばしば、また元の側へと、身を翻した。
愛郷者達の間の、甚だしい、腐敗、離反(disaffection)、そして、利己性、を踏まえれば、この独立革命が最終的に成功を収めたことは驚愕的だ。
著者自身が、「独立、連邦(union)、そして共和制政府、が達成されたことは、凄惨な戦争がこの独立革命の核心にあったことを踏まえれば、その全てが、より瞠目的に見える」ことを認めている。」(a)
「<米国の>19世紀においては、議会では殴り合いがあったし、選挙時には主要な米諸都市で諸暴動が起きたものだ。
<また、>20世紀に入ってからも相当期間、選挙権を行使しようとした南部の黒人達はKKKとその類の諸集団による暴力的報復に直面したものだ。」(b)
「この何年かにわたって、私は、我々の国家の諸起源をより深く理解することを追求している者達全員に対し、この著者による、『アメリカ諸植民地』<(前出)>を探索するよう促してきた。
その本は、その後米国になったところのイギリスの諸植民地だけでなく、しばしば見過ごされがちな、それ以外の北米と西インド諸島、そして、フランス、スペイン、及び、オランダの諸植民者達、そしてまた、彼らが押しのけて取って代わったところのアメリカ・インディアン達、及び、彼らが強制的に運んで奴隷にしたところのアフリカ人達、を広範に概観(survey)した傑出した叙事詩的長編作品だった。
<そして、>この『アメリカ諸植民地』上梓後約14年で、・・・著者は、一種の続編であるところの、この本を書いたのだ。
この本もまた、米国史のあらゆる学生達の必読書だ。
そのタイトル、『アメリカ諸革命』が複数であることの示唆は意図的なものだ。
我々は米独立革命を単数の出来事と考えがちだが、18世紀後半に実際にここで起こったのは、イギリス人居住者達に加えて、異文化<の人々>、の間における、一連の、社会的、経済的、そして、政治的、な諸革命だったというのだ。」(c)
(続く)
改めて米独立革命について(第II部)(その4)
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