太田述正コラム#0479(2004.9.21)
<イギリスとユダヤ人(その2)>

 ステレオタイプ化の先陣を承ったのは、マーロウ(Christopher Marlowe。1564??1593年)の戯曲The Jew of Maltaです。これは、イギリス国王への貢ぎ物を捧げなかったために、全財産が没収された上、自宅を女子修道院にされてしまったユダヤ人の元医師であるバラバス(Barabas)が、復讐のため、この修道院の尼僧全員の毒殺を含むイギリス人の大量殺人を行ったものの、捕まって熱湯の釜ゆでの刑に処せられるという荒っぽいストーリーのブラックコメディーであり、1589年に初演され、大人気を博し、それ以降何度も上演されました(注3)。

 (注3)いささか低次元の連想だが、ほぼ同じ時期の1594年に日本で盗賊石川五右衛門が、京都三条河原において油による釜ゆでの刑に処せられ、この五右衛門の一代記等が後の江戸時代に歌舞伎化されたことが思い出される(http://www5c.biglobe.ne.jp/~wonder/sub402.htm及びhttp://www.arc.ritsumei.ac.jp/theater/maiduru/dggoemon.htm(どちらも9月20日アクセス)。

 救いは、これが単なる反ユダヤ的戯曲ではなく、キリスト教社会の偽善と偽りを風刺した戯曲でもあったことです。
 次は、エリザベス1世の侍医であったポルトガル生まれのロペス(Rodrigo Lopez)の処刑です。ロペスは隠れユダヤ人(Marranos。スペイン・ポルトガル出身のユダヤ人でキリスト教徒としての洗礼を受けた者(Converso)のうち、密かにユダヤ教を信仰し続けた人々)でしたが、プロテスタントにしてスペインの仇敵であるエリザベス1世を毒殺しようとしたカトリック教徒のスペインのフィリップ2世(Philip II of Spain。1527??1598年)の陰謀に、大金をもらって関与したとの根拠薄弱な嫌疑をかけられ、逮捕された後、拷問の過程で隠れユダヤ人であることが明らかになったとされ、陰謀関与を自白したロペスは、大逆罪で1594年に公開処刑されました。
 生きながら去勢され、四肢をもぎとられるという残虐な処刑に臨む直前、ロペスは「私はイエス・キリストを愛するのと同様に女王を愛する」と叫び、これに対し観衆は(キリストを裏切った)ユダヤ人のくせに、という笑いにどよめきました。つまり、ロペスは無実を叫んだのに、観衆はこれをロペスの有罪の告白だと受け止めたわけです。これは、観衆がロペスの姿にバラバスを重ねて見ていたことがよく分かるエピソードです。

 そこへ、1597年のシェークスピア(William Shakespeare。1564??1616年。コラム#88)の喜劇「ベニスの商人(Merchant of Venice)」の初演と相成るわけです。シェークスピアもマーロウ同様、本物のユダヤ人にお目にかかったことがなかったはずであり、シェークスピアは、恐らくマーロウのThe Jew of Maltaとロペス事件という二つの「ブラック・コメディー」、とりわけそれぞれにおける「主役」たる「ユダヤ人」に対する「観衆」の反応を大いにを参考にしてこの戯曲を創作した、と推定されています。
 そのシェークスピアは、観衆の反ユダヤ人的ステレオタイプをとことん活用して劇を盛り上げつつ、ユダヤ人も同じ人間であることを強調することによって(注4)、劇を見終わった観衆にユダヤ人であるシャイロックに対する同情心を抱かせ(注5)、観衆の反ユダヤ人的ステレオタイプを雲散霧消させることに成功するのです。
(以上、http://www.nytimes.com/2004/09/12/magazine/12SHAKESPEARE.html?pagewanted=print&position=(9月15日アクセス)も参照した。)

(注4)シャイロックの激白:「私はユダヤ人だ。ユダヤ人は眼を持っていないというのか。ユダヤ人は手・臓器・自負心(dimensions)・感覚・愛情・情熱を持っていないというのか。同じ武器で傷つかないというのか、同じ病にかからないというのか、同じ方法で癒されないというのか、冬や夏がやって来てもキリスト教徒のように暖まったり冷えたりはしないというのか。あんたらが我々をつついても血が流れないとでもいうのか。あんたらが我々をくすぐっても我々は笑わないとでもいうのか。あんたらが我々に毒を盛っても我々は死なないとでもいうのか。そしてあんたらが我々に悪さをしても我々は復讐しちゃいかんというのか。」(3幕1場より。なお、「ベニスの商人」原文をhttp://www.online-literature.com/shakespeare/merchant/で読むことができる。)
(注5)シャイロックは「裁判」の結果キリスト教徒達によって、彼の愛娘と全財産、更には(キリスト教に強制改宗させられ)宗教まで奪われてしまう(http://www.novelguide.com/merchantofvenice/themeanalysis.html。9月21日アクセス)。

 「ベニスの商人」は大当たりになりますが、このようなユダヤ人不在期間における天才シェークスピアの離れ業によって、来るべきイギリスとユダヤ人の第二の邂逅に向けて、イギリス人の心の準備が整えられたのです。

(続く)