太田述正コラム#0481(2004.9.23)
<イラク情勢の暗転?(その1)>
1 三つの地域ごとに異なるイラク情勢
(1)全般的情勢
5月上旬(コラム#340??343)と6月初頭(コラム#371)に楽観的なイラク情勢判断をお示ししましたが、それから三ないし四ヶ月たったイラク情勢は暗転したかのように見えます。
一体本当のところはどうなのでしょうか。
イラクの人々の現在の気持を忖度すれば、経済面では楽観的・治安面では悲観的、長期的には楽観的・短期的には悲観的、といったところでしょうか。それが証拠に、現在イラクでは爆発的なベビーブームの真っ盛りです(http://www.csmonitor.com/2004/0914/p01s03-woiq.html。9月14日アクセス))。
イラクの人々が経済面では楽観的なのは、第一に食うことだけは保証されているからです。
1991年にイラクに対する国連の経済制裁が始まると、フセイン政権は食糧小麦粉・米・大豆・食用油・牛乳粉・砂糖・紅茶)の配給制度を開始し、それが米軍等によるフセイン政権打倒後も続いています。額は老若貴賤を問わずイラク国民一人あたり月15ドル相当ですが、ゲリラ勢力等が支配する地域においてすら、この食糧の配給システムだけは機能しており、貧しくても失業していても、この配給だけで何とか生きて行くことができます。
ちなみにガソリンについても、これもフセイン政権以来なのですが、イラク国民一人あたりにして計算上年間200ドルにもなる補助金によって低価格に抑えられています(注1)。
(以上、http://www.nytimes.com/2004/09/13/international/middleeast/13food.html?pagewanted=print&position=(9月14日アクセス)による。)
(注1)食糧の配給には年間38億ドルの経費がかかり、財政支出の5分の1を占めている。イラク国民の60%が主としてこの配給に依存して食を確保している。しかしこの制度は、官僚の腐敗と国民の依存症を引き起こしているほか、配給食糧の大部分は輸入品であることから、イラク国内の農業の発展の阻害要因となっている。
また、ガソリンに対する補助金は、年間5億ドルかかっており、国外への密輸出を横行させるとともに、イラク国内の石油化学産業発展の足を引っ張っている。
しかし、どちらも当面、やめられそうもない。
第二に、「教員を含む公務員給与の大幅引き上げや警官や軍人雇用の増大」(コラム#322)によってフセイン政権当時ほどではなくても、イラク国民のかなり大きな部分は国家に雇用され、しかもフセイン政権当時に比べてはるかに高給を与えられているからです。
第三に、治安状況の改善の遅れ(後述)等から、米国のイラク援助資金の消化率がおもわしくなく(注2)、このこともあって、その一部を再建経費から治安経費と(サボタージュ行為の対象となった)石油関連施設補修費に振り替えられることになりましたが、それでも復興支援事業は着実に進展しており、世銀や英国のイラク援助事業ともあいまって、次第にイラクのインフラ等の再建が目に見えた成果を挙げ始めているからです(http://news.bbc.co.uk/2/hi/business/3676856.stm(9月23日アクセス)、http://www.time.com/time/world/article/0,8599,697589-1,00.html(9月17日アクセス)、及びhttp://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,1304895,00.html(9月15日アクセス))。
(注2)米国がコミットした180億ドルの復興支援経費のうち、執行できたのは10億ドルに過ぎず、34億ドルが治安と石油関連施設補修に回されることになった。
しかし治安面は、例えば、米軍への攻撃が、4月には一日平均60回であったのが8月には一日平均87回と過去最高を記録し、米軍の死傷者数も6月のイラクへの主権移譲以降毎月増えてきており、米軍が立ち入れない場所も、一旦情勢が沈静化したはずのファルージャ(Fallujah)を含め、ラマディ(Ramadi)、サマラ(Samarra)、バクーバ(Baquba)等のほか、バグダッドの一部もそうだという具合です。外国人の誘拐も、米国等に協力していると目される等のイラク人への攻撃もますます猖獗を極めています。(上記BBCサイト、タイム誌サイト、及びガーディアン紙サイト)
これは私の予想を超える深刻な状況だと言わざるを得ません。
しかし冷静に観察すると、深刻な状況であるのはイラク中部のスンニ派地区だけであって、北部のクルド人地区と南部のシーア派の情勢は、はるかに平穏であることが分かります。
(2)三つの地域ごとに異なるイラク情勢
ア クルド人地区
現在クルド地区がいかに落ち着いているかは、あの「反米」の韓国のノ・ムヒョン政権が、対米公約となっていたイラクへの追加的な大兵力の派遣をついに実施せざるをえなくなり、血眼になってイラク全土を探し回ったあげく、ここが一番安全だと決定した派遣先がクルド人地区のイルビル(Irbil)近郊であったことが、端的に物語っています(注3)。
(http://english.chosun.com/w21data/html/news/200409/200409220025.html。9月23日アクセス)
(注3)既に(前から派遣されていた衛生・工兵部隊を含め)2,800人が現地に到着しており、11月初頭にはこれに更に800人が加わる。クルド人民兵(ペシュメルガ=Peshmerga)にテロ攻撃対応のため、基地の回りに駐屯してもらうという念の入れ方だ。
(続く)