太田述正コラム#0486(2004.9.28)
<米国とユダヤ人(その2)>
2 米国のユダヤ人人口世界一へ
初期においては、米国におけるキリスト教原理主義とリベラリズムの戦いの帰趨は予断を許しませんでした。
しかしユダヤ人自身の努力もあって、やがてリベラリズムが勝利を収めます。
その勝利を象徴するのが、1790年8月のワシントン米初代大統領のロードアイランド州ニューポート(Newport)のユダヤ人居住区(ニューポートの当時のシナゴーグが現存する米国最古のシナゴーグ)(注5)の訪問です。ワシントンは訪問の後、ユダヤ人が決して迫害を受けることなく、完全な米国の市民としてその人権を保障される、という趣旨を書き記した書簡を送ったのです。
これ以降、旧大陸からのユダヤ人の米国への移民が加速します。
19世紀中頃から1880年頃にかけて、欧州のドイツ語圏から法的差別を逃れるために20万人のユダヤ人がやってきます。
その後今度は、1881年から1920年にかけて、東欧から205万人のユダヤ人がやってきます。
先の大戦直後には、ホロコースト生き残りの25万人のユダヤ人が欧州等からやってきます。
そして1985年から1990年にかけて、末期のソ連から14万人のユダヤ人がやってきます。
その後も、毎年5万人ものユダヤ人が米国に流入しています。
現在米国のユダヤ人人口は580万人に達しており、米国は世界一のユダヤ人人口を抱えています。ちなみに、第二位はイスラエルで480万人、第三位はぐっと少なくなってフランスの60万人です。
2 米国におけるユダヤ人差別
このようにユダヤ人が次々に米国にやってきたのは、米国においてはユダヤ人に対する制度的なあるいは政府による差別が独立当初から基本的になかったからですが、勤勉かつ教育熱心なユダヤ人の「成功」に対するねたみ・そねみが「先住」のアングロサクソンや、後発移住組の(アングロサクソンから蔑視の対象となっており、かつ故郷のアイルランドにユダヤ人差別があった)アイルランド人、等によるユダヤ人差別をもたらしたことは事実です(注5)。
(注5)著名人で自他ともに許す反ユダヤ主義者であった者に、自動車王ヘンリー・フォード(Henry Ford。1863??1947年)、大西洋横断飛行のリンドバーグ(Charles Lindbergh。1902??1974年)(http://www.csmonitor.com/2004/0928/p15s02-bogn.html(9月28日アクセス))がいる。
もっとも、黒人の場合、1880??1920年の間に暴動やリンチによって命を落とした数は、明らかになっているだけでも3000人以上にのぼりますが、同じ時期にユダヤ人で同様の形で命を落とした数は10人に満たない(注6)ことを見れば、米国社会のユダヤ人差別の程度が分かります。
(注6)1915年のジョージア州アトランタにおける元工場経営者レオ・フランクのリンチ殺人事件は、ユダヤ人の黒人への連帯意識を生み出すきっかけになった。
とまれ、東欧から移住してきたユダヤ人は貧しく、かつ社会主義シンパが多かったこともあり、1920年代には米国におけるユダヤ人差別は先鋭化し、ユダヤ人の移民を阻止するための差別的な新移民法が1924年に制定され、またこの頃、多くの名門私立大学において、(大学財政に貢献できない等の理由から)ユダヤ人に対する入学枠制限(quota system)が行われたものです。
3 ユダヤ人の米国への貢献
ユダヤ人の上述した勤勉と教育熱心さは、ユダヤ人以降の米国への移民の模範となっただけでなく、神に対してすら議論を挑むという伝統から、ユダヤ人は米国における社会革新の担い手となってきました。
特に米国の労働運動と公民権運動ではユダヤ人が中心的役割を果たしました。
ユダヤ人のサミュエル・ゴンパース(Samuel Gompers。1850??1924年)は米国労働総同盟(American Federation of Labor=AFL)の二人の創設者のうちの一人ですし、1964年の公民権法(The Civil Rights Act of 1964)や1965年の選挙権法(Voting Rights Act of 1965)は改革ユダヤ教宗教活動センター(Religious Action Center of Reform Judaism)の会議室で起草されました(注7)。
(注7)1964年にミシシッピー州フィラデルフィアの町はずれでユダヤ人二名、地元の黒人一名の公民権運動家がKKKによって殺害された事件は全米の注目を浴びた。
こういうわけで、ユダヤ人は代々民主党の熱心な支持層の一つであり続けてきたのです。
(以上、特に断っていない限り、前掲http://www.csmonitor.com/2004/0915/p11s02-lire.html、http://www.csmonitor.com/2004/0915/p11s01-lire.html(9月15日アクセス)及び佐藤唯行「アメリカのユダヤ人迫害史」集英社新書2000年21、22、27、30、67、77、84、85、120、158、199頁による。)
(続く)