太田述正コラム#9283(2017.8.17)
<イギリス論再び(その7)>(2017.11.30公開)
(3)著者の新説である解答–狼退治
「1290年初に、狼達が王室の鹿を襲った、最後の十分裏付けのある報告がなされた。
それ以後は、<狼については、>噂だけになり、やがて無が訪れた。」(E)
「著者は、<1066年のノルマン・>コンクェストの民族的トラウマに頷きつつも、別の日付である、1290年を、今日われわれが知っているイギリスを作った転換点として、彼の視線を向ける。
それは、シュロップシャー州(Shropshire)<(注16)>の一人の騎士が、王室から委託されて、羊による大儲けをもたらすべく、西部の諸州における最後の<一匹の>狼を殺した年だ。
(注16)イギリスのウェスト・ミッドランズに位置し、南はウェールズに接している。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AD%E3%83%83%E3%83%97%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%BC
著者は、羊毛が好きだ。
捕食性の狼達がいなくなり、イギリスは、「巨大な羊農場」になることができた。
<そして、>土地保有は商業化した。
羊プラス草イコール金、というわけだ。
すぐに出現することとなる文化は、羊的なものになった。
著者によれば、民族的ゲームであるところの、クリケットは、遊び好きの羊飼い達によって発明された。
「羊毛の記憶は、イギリスの曲がりくねった諸小径、修繕された諸街区、石が敷き詰められた諸溝、荷馬用諸橋、そして、家畜商人たちの諸小道、に潜んでいる」、と彼は記す。・・・
『情愛と友情(Brideshead <Revisited>)』<(注17)>と『ダウントンアビー(Downton Abbey)』<(コラム#8164、8481)>に頷きながら、「非常に愛されている、ブレナム(Blenheim)、ロングリート(Longleat)、ハンプトン・コート(Hampton Court)、の世界」、を寿ぎつつ、著者が、多くの英国人達がブレグジットの年月の間にしがみつくであろう何物かであるところの、最も我々の社会を定義づけている性格たる、逆境力(resilience)の質<の高さ>を田舎の地域(countryside)の中に見出(locate)そうとするのは、正しい。
(注17)「2008年に製作されたイギリスの映画。原作はイーヴリン・ウォーの『ブライヅヘッドふたたび』。・・・ウォーがカトリックに改宗して初めて書いた作品で、1920~1930年代のイギリスのカトリック貴族一家の姿が友人の目を通して描かれている。」
母親によって厳格なカトリック教徒として育てられた貴族の令嬢とオックスフォード出の画家志望の無神論者の中産階級出身の若者との悲恋の物語。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%85%E6%84%9B%E3%81%A8%E5%8F%8B%E6%83%85
⇒私自身、ブレナム、ロングリート、ハンプトン・コートの3か所全てを訪問しています・・ハンプトン・コートは宿舎から歩いて行ける距離にあった・・が、一つ一つ説明を付すと膨大なものになってしまうので止めておきます。
それぞれがかなり異なるこの3つの広壮な宮殿/大邸宅の構内及び構外、特に構外、に広がっているのは、徹底的に手が入ったところの、一見自然のままの風景であり、その限りにおいては日本と同じなのですが、日本と違って、イギリスの場合、その殆どが全てが芝生ないし牧草が生えている草地なのです。(太田)
工業化の地震のような諸衝撃を吸収し、ポスト工業的なイギリス生活の諸車輪に潤滑油をさした、のは、「逆境力」だった。」(A)
「エドワード1世による、イギリスの西武諸州の狼達を退治せよとの委託を受けた、ピーター・コルベット(Peter Corbet)<(注18)>と呼ばれたシュロップシャー州の騎士は、1281年から90年にかけて、剛腕狩人(Mighty Hunter)という剣闘士風の綽名に恥じぬ業績を残した。・・・
(注18)Sir Piers (Peter) 1st Baron Corbet , of Caus(1235~1300)。シュロップシャー州のウエストベリー(Westbury)のコース。キャッスル(Caus Castle)に生まれる。
https://www.genealogieonline.nl/en/carlisle-faulk-family/I108028.php
<その結果、>「イギリスは、野生動物達が洗い流されたところの、飼いならされた地平(terrain)になった」、と著者は宣言する。
このことの諸含意は深甚なるものがあった。
狼なき田舎地域には、比較にならないほど安全になった。
<そして、>ドイツやフランスと違って、イギリスは、でっかい羊農場になった。
羊は羊毛を生産し、羊毛は富を生産し、富は力を生産した。
このような具合に、イギリスは作られたのだ、と。・・・
(続く)
イギリス論再び(その7)
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