太田述正コラム#9303(2017.8.27)
<進化論と米北部(その3)/米露中と私の化かしあい(続)>(2017.12.10公開)
 「その世代の指導的歴史学者であ・・・った、リチャード・ホフスタッター(Richard Hofstadter)<(コラム#1082、2892、3801、5927、6405、6468)>が書いた最初の本は、『アメリカの社会進化思想(Social Darwinism in American Thought)』<(注2)>だった。
 (注2)1944年。邦訳はこのタイトルで、1973年。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC
 この本は、チャールズ・ダーウィンの科学諸著述が米国における知的生活に及ぼした影響を研究したものだ。
 ホフスタッターは、ビジネスマン達、自由市場家達、そして、貧者を引き上げる諸努力に対する反対者達が、ダーウィンの画期的な著作である『種の起源』に、<米国の>金ピカの時代の間における社会的不平等を正当化できると、どのように飛びついたかを物語った。
 彼らは、「自然淘汰」、「適者生存」、「生存競争」、といったダーウィンの諸観念を、その時代の1%が<自分達は>生来的優位にあると主張するとともに、社会秩序の底辺にいる人々を人生の競争レースで成功を収めるには、生来的に準備不足である(ill equipped)と規定するため、に援用した。
 「社会進化論」は、人種主義、及び、食うか食われるかという社会ヴィジョン、の典拠(byword)であり続けたのだ。」(B)
(続く)
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          –米露中と私の化かしあい(続)–
1 始めに
 本日も、K.K作業がうまく進捗せず、1階での音楽・ピアノまで明日回しにして頑張ったけれど、ダウン。
 昨日の話の補足をすることにしました。
2 韓国の徹底ぶり
 これも書いたことがあると思いますが、韓国にも英国防大学の同期生がおり、私が出張で韓国を初訪問した時・・以来、同国を再訪する機会がありません・・、陸軍で当時少将だった彼は、韓国の統合参謀本部の枢要ポストに就いており、私を大歓迎してくれました。
 (彼は、その後、韓国の国防相にまで昇りつめます。)
 にもかかわらず、韓国から、私へのアプローチが、この時より前も、後も、皆無だった、という徹底ぶりなのです。
 別に、彼が直接私にコンタクトしなくたって、ウチの〇〇とは英国でご一緒だったそうですね、という感じで、韓国の政府関係者が私にアプローチするのは容易であり、それこそ、機微に触れる情報・・もちろん適宜「調理」したものですが・・を、堂々と私から入手できたというのに・・。
3 私が完全窓際化を免れたワケ
 (自分では、最初の頃は気づかなかったけれど、)30歳をちょっと過ぎたあたりで、早くもXマークが付いていたにもかかわらず、その後、私が、会計課予算決算班長に補職されて防衛関係費の1%枠突破に「活躍」したり、防衛庁キャリアで初めて二度目の海外「留学」に派遣されたり、官房審議官を経て地方支分局長、と一見エリートコースを歩まされたりして、完全窓際族化を免れえたのは一体どうしてか、と不思議に思った方もいることでしょう。
 要するに、私は、私の人事評価をする立場にある、私より先輩の防衛庁のキャリア官僚達の圧倒的多数から嫌われていた・・どうしてかは、想像がつきますよね・・けれど、ごくごく少数の、有力な先輩・・防衛庁採用者も他官庁から来て防衛庁に「定着」した人もいた・・が私の防壁になったり、窓際化しつつあった私を日の当たるポストに、戻してくれたり一本釣りしてくれたりした・・これもどうしてか、想像がつきますよね・・おかげである、ということです。