太田述正コラム#9319(2017.9.4)
<進化論と米北部(その10)>(2017.12.18公開)
 (3)種々の受け止め方
 ・グレイ
 「エミリー・ディキンソンが見たように、ダーウィンは、「「贖い主」を投げ捨てた」。
 しかし、エイサ・グレイは、若い時にニューヨーク州北部で「信仰に覚醒した(born again)」人物であるところ、進化は宗教と両立しうると見た。
 というか、彼は、少なくとも、この両者を折り合わせるべく、極めて熱心に試みた。
 そして、雑誌の諸記事と諸講演とを通じて、他のいかなる米国人よりも、進化の観念を普及させることに貢献した。
 とはいえ、やがて、グレイは、ダーウィンは神を信じることを皮相なものにした、と心を悩ませ始めた。
 聖なる目的と科学の間にかけ橋をかけるために、グレイは、神が全ての諸種を創造し、彼らのその後の発展のためのメカニズムとして進化を選んだ、と<考えたらどうか、と>提案した。
 <しかし、>グレイ宛の手紙の中で、ダーウィンは、この観念は完全に非科学的である、と指摘した。
 科学は、憶測ではなく、証拠に基づかなければならない、と。
 それでも、多くの米国人達は、自分達の宗教的諸確信と抵触しない形でダーウィンを抱懐するところの、グレイによる定式化(formulation)に飛びついた。」(B)
 「1860年7月、・・・エイサ・グレイは、書評を「アトランティック・マンスリー(The Atlantic Monthly)」・・ボストンで創刊されたばかりで「文学、芸術、そして政治、のために」との触れ込みだった・・、に載せた。
 この論考は、この雑誌にグレイが書くことになる三作の最初のものだったが、ダーウィンの『種の起源』・・・の諸含意を考察したものだ。
 この本は、イギリスで1859年に出版され、少し前に米国の諸沿岸に到着したばかりであり、グレイの書評は、多くの米国人達に、彼らの、神、道徳性、そして人間の魂の本性、についての諸観念に挑戦することになるところの、理論への最初の紹介を行った。
 そういうわけで、その論考は、パンツ(pants)<(注14)>についての議論から始められた。
 (注14)pantsには、ズボンという意味とパンツという意味がある。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%84
⇒「注14」から、この箇所で、pantsが、一体、どちらの意味で使われているのか、私の知識では、この文章だけでは判断できませんでした。
 パンツが生まれた方がズボンより相当後ではないか、と想像され、パンツが生まれた時代が分かれば、判断できるのではないかと思ったけれど、そこまで、調べる労を惜しみました。
 (なお、「複数」形が用いられているのは、ズボンにせよパンツにせよ、二股に分かれているからですが、性別や単複に厳格な欧米の言語は、面白いですね。)
 一事が万事、私は、翻訳するのがどんなにやっかいなことか痛感しているだけに、(自然科学の論文以外の)翻訳をやって翻訳料をもらう勇気はありません。
 本当に良心的に翻訳をやろうと思ったら、調べものにかけなければならない時間と労力を、到底、通常の翻訳料をもらったくらいではカバーしきれないからです。
 翻訳を、生業として、或いは、糊口をしのぐ手段としてやむを得ず、やっている人々に、私は、敬意を抱いている反面、彼らは一種の詐欺師だとも思っている次第です。
 その割には、お前、翻訳文を、随分、コラムに載せてくれているもんだな、と言われそうですが・・。(太田)
 「諸新しいもの(novelties)は、大部分の人々にとっては魅惑的だが、我々にとっては、要は、心穏やかならざる思いをさせる」、と、この著名な自然学者は始めた。
 我々は、長く受け入れられてきた理論に、ちょうど、我々が古い諸衣類に執着するように、執着するものだ、と。
 新しい理論は、新しい<タイプの>半ズボン(pair of breeches)・・アトランティック誌は、依然として、新しいタイプの下着(nether garment)の方がお好きだ・・のように、身につけるのが容易でない諸場所が生じるのは間違いない。
⇒両義性のある言葉が用いられている場合は、大部分は、その先を読めばどちらの意味かが明らかになるものなのですが、今回は、ここまで来て、改めて、皆目分からなくなった、と白状せざるをえません。
 私が、衣料についての知識に乏しく、衣料に係る英単語の知識には更に乏しいから、なのでしょうが・・。(太田)
(続く)