太田述正コラム#9321(2017.9.5)
<進化論と米北部(その11)>(2017.12.19公開)
いや、当該論文にこれといった問題点(fault)が発見できない場合ですら、それは、一般的な不愉快感を伴う形で<我々に>息苦しい思いをさせるものだ。
やがて、我々はそれに慣れてくるけれど、それは、あくまでも徐々になのだ。
⇒別にこの箇所に限らないのですが、翻訳で、よりむつかしいのは、外国語のセンテンスを完全に(できれば、頭の中で当該外国語だけを使って)理解できたと確信した上で、恐らく一つしかないはずの、最適訳たる日本語文・・最適訳と言っても、言語の系統が異なるということは、最近似の訳でしかありえないことに注意が必要です・・をひねり出すことです。
これについても、毎センテンスごとに、外国語側と日本語側で、いちいちそんな努力をしていたら、疲れ果ててしまうので、適当なところで妥協して先に進まざるをえません。
ここでも、翻訳者は、詐欺師めいた後ろめたさを覚えるはずなのです。(太田)
<だから、新しい理論は、>スラックス(slacks)<的なもの>で<あることが望ましい。つまり>、スラック(slack=だぶつき)があること<が望ましいのだ>。
グレイは、『種の起源』の、感情が溢れんばかりの諸含意を理解し、ダーウィンが、自然の不規則性(unsteadiness)のみならず、歴史の不規則性についてでもある本を書いた、との彼の確信を軸にして彼の書評を組み立てた。
彼は、ダーウィンの見かけによらず麗しい理論は、長く続いてきて、同時に、慰安的である、諸仮定(assumptions)・・単に、<あらゆる事象が>形而下と形而上の二つの世界の関係<によって生起するという仮説>だけではなく、宇宙の恒常性(fixty)<の仮説>、や、退歩なき進歩<という仮説>・・に挑戦することになるだろう、と予見した。
グレイは、<ダーウィンの理論がもたらすであろう>あらゆる攪乱、と並んで、安堵、をも提供すべく、このような全てのことを専門家ではない聴衆達に紹介しようとした。
すなわち、新しい諸観念や新しい諸スタイル<の出現>は我々を心配させるけれど、やがて、我々は、それらに慣れていくものなのだよ、と。
それらは、<我々に>擦過傷を作り、<我々を>混乱させることだろうが、やがて、ゆっくりと、そして、<ある日>突然、それらは、第二の皮膚になるのだよ、と。
グレイは、自分が科学者だから、というだけではなく、自分が、とりわけ、<米国が奴隷制を巡って>火事になりそうな時にあたって、公衆に発火性のある本を紹介しているということからも、言葉遣いには<細心の>注意を払った。
『種の起源』は、米国に、南北戦争が不可避になる直前に到着した。
それは、奴隷制が悪であるか否かが、まともな議論の領域にとどまっていた時でもあった。
グレイによるダーウィン<本>の書評は、人間達が自然の主人達ではなく自然の一部である、との<ダーウィンの>示唆が、まだまだ、革命的であり、最も進歩的な市民達にとってさえ衝撃的だった時において、米国の諸図書館や諸読書室に備えられることとなった。・・・
・ソロー
『種の起源』に対するグレイの反応は、・・・ソローと同じだったが、ソローは、自身も<ダーウィンと同じく>自然科学者だった。
(ソローは、ある時、台状のものを誂え、自分の帽子の天辺に置き、植物であれ動物であれ、そぞろ歩き中に拾い上げたところの、彼の興味を掻き立てたものを、何でもそこに標本群として貯め込んでおけるようにした、と著者は記している。)
ソローはまた、拡大鏡(spreadsheet)<(注15)>を発明したのではないかとされている。
(注15)写真。
https://www.google.co.jp/search?q=%E6%8B%A1%E5%A4%A7%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%83%88&hl=ja&rlz=1T4GUEA_jaJP671JP672&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ved=0ahUKEwiPoIelkY7WAhWJS7wKHYJcAGcQsAQI3AE&biw=1605&bih=874
著者は、ソローがウォールデン池とその周りの周辺で観察した野生生物を憑かれたように分類するために諸チャートを用いた、と示唆している。
ソローの自然との絶え間なき霊的交流は、ずっと以前から、彼をして、「人間達と動物達は同じ連続体の一部である」との疑いを呼び起こしていた、とも著者は記している。
ダーウィンの理論は、この信条に対して、科学的な根拠(foundation)を提供したのだった。」(E)
(続く)
進化論と米北部(その11)
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