太田述正コラム#9349(2017.9.19)
<アングロサクソンと仏教–米国篇(その8)>(2018.1.2公開)
素敵な田舎の諸場所にある諸週末瞑想隠れ家へ辿り着いた人々は、瞑想所に入る際、遠回りして仏像にお辞儀をすべきだろうか?
シリコンバレーとニューヨークの仕事の鬼達全員が、毎日、20~30分、クッションの上で過ごす時間を止めて、SSRI<(注6)>やβブロッカー<(注7)>を服用することにし、こうやって捻出した時間を、貴重なネットワーキングに用いるべきだろうか。
(注6) Selective Serotonin Reuptake Inhibitors=選択的セロトニン再取り込み阻害薬。「抗うつ薬の一種。シナプスにおけるセロトニンの再吸収に作用することでうつ症状、病気としての不安の改善を目指す薬。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%B8%E6%8A%9E%E7%9A%84%E3%82%BB%E3%83%AD%E3%83%88%E3%83%8B%E3%83%B3%E5%86%8D%E5%8F%96%E3%82%8A%E8%BE%BC%E3%81%BF%E9%98%BB%E5%AE%B3%E8%96%AC
(注7)「交感神経のアドレナリン受容体のうち、β受容体のみに遮断作用を示す薬剤のこと。・・・臨床的には降圧薬や労作性狭心症患者の狭心症状予防、不整脈(心房細動、洞性頻脈、期外収縮時の心拍数低下)、心不全患者の心機能改善や突然死亡、心筋梗塞の心保護(予後改善)などの循環器疾患に対して用いられる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E6%84%9F%E7%A5%9E%E7%B5%8C%CE%B2%E5%8F%97%E5%AE%B9%E4%BD%93%E9%81%AE%E6%96%AD%E8%96%AC
主流のマインドフルネス実践が真に崇高な(spritual)なものであると考えることに、古代の仏教哲学において、ないし、ついでに言えば、近代科学において、ちゃんとした(good)何らかの理由が存在するのだろうか。・・・
ここで、私が言えるのは、手を打てる点がある、ということなのだ。
なるほど、瞑想の多くの傾倒者達(devotees)が、基本的にセラピー的な気持ちで、その実践を追求していることは確かだ。
ただ、その中には、仏教徒たる瞑想の師達に従い、長期間の隠れ家籠りにすら行く者達も多い。
また、これらの人々に普通教えられるマインドフルネス瞑想は、古代の諸文献に記述されているマインドフルネス瞑想とは部分的にしか似ていないということも確かだ。
しかし、平均的なマインドフルネス瞑想者は、あなたが思っているかもしれないものよりも、古代の、沈思派(contemplative tradition)、及び、可変力ある(transformative)諸洞察、に近いのだ。
ストレス現象とか憂鬱(melancholy)とか良心の呵責(remorse)とか自己嫌悪(self-loathing)、との取り組みは、セラビー的に見えるかもしれないが、それらは、仏教哲学のまさにルーツと有機的に繋がっているのだ。
そもそも、ささやかな諸狙いの瞑想の実践として始まったものは、容易に、かつ、極めて自然に、より深まって行き得る。
これは、ストレス減少、から、深甚なる一種の崇高な探索と哲学的方向転換、へ、の一種の滑り易い坂なのであって、多くの人々は、シリコンバレーやウォール街にいる人々さえも、彼らが自覚しているよりも、もっと、この坂を下まで降りているのだ。
『仏陀は何を教えたか(What the Buddha Taught)』と呼ばれる影響力ある本を1959年に出版した仏僧のウォルポーラ・ラフーラ(Walpola Rahula)<(注8)>が、どのように本件を扱っているかに、とにかく耳を傾けて欲しい。
(注8)1907~97年。スリランカの仏僧、学者、著述家で、米ノースウエスタン大教授になった。彼は、仏僧で欧米世界の教授になった最初の人物だ。セイロン大(当時)卒、同大博士で、カルカッタ大、ソルボンヌ大でも学ぶ。米国における最初の南伝仏教の寺の創設に尽力。仏僧は人々の政治意識を導く義務があると主張した。1956年の総選挙でのソロモン・バンダラナイケ(Solomon Bandaranaike)のスリランカ自由党の勝利、政権樹立は彼の当時の本の力だったとされている。晩年は再びスリランカで送る。
https://en.wikipedia.org/wiki/Walpola_Rahula
⇒ソロモン・バンダラナイケ(1899~1959年)は仏僧によって暗殺されており
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B1
、彼の妻のシリマヴォ・バンダラナイケ(1916~2000年)は、「世界初の女性首相として、3度(1960年-1965年、1970年-1977年、1994年-2000年)登板し<、>親ソ連・・・の外交政策を採っ」ています
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%9E%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%A9%E3%83%8A%E3%82%A4%E3%82%B1
が、夫の内閣が導入した多数派で仏教徒のシンハラ人のシンハラ語を公用語化に象徴されるシンハラ人優遇政策により、少数派のヒンドゥー教徒のタミル人との間で対立が高まり、シリマヴォの第二次政権時の1972年にタミル人テロ組織が結成され、1983年に内戦に発展し、シリマヴォの第三次政権時の2000年にシンハラ人側の血腥い勝利でこの内戦が終わります。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AB%E5%86%85%E6%88%A6
私には、ラフーラが、仏僧の政治関与を唱え、その実践として彼が支援したらしい政治勢力がタミル人との内戦を引き起こし、それが晩年のラフーラの眼前で深刻化して行ったことは、スリランカの仏教、というか、南伝仏教、の、私が指摘してきたところのヒンドゥー教との混淆による、非人間主義性の一証左ではないか、という印象が拭えないのです。(太田)
(続く)
アングロサクソンと仏教–米国篇(その8)
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