太田述正コラム#0495(2004.10.7)
<吉田ドクトリンの呪縛(その3)>

  エ 日本及び日本人の「再生」
 言うまでもなく、米国政府と台湾政府の要請や韓国の声なき声は、いずれもそれぞれの国の国益に即しているわけですが、対テロ戦争の遂行にせよ、中共の台湾攻撃阻止にせよ、或いは北朝鮮の韓国攻撃阻止にせよ、それらが日本の国益にも資することに思いをいたせば、そろそろ日本も吉田ドクトリンの呪縛から自ら脱する潮時ではないでしょうか。
 
具体的には、以前から力説していることの繰り返しになりますが、第一に、集団的自衛権行使の禁止という政府憲法解釈の変更であり、第二に、在日米軍の駐留経費負担の廃止です。
 若干補足しておきますが、第一については、政府憲法解釈変更の宣言だけで足りるのであり、対テロ戦争に加わるとか、中共の台湾攻撃や北朝鮮の韓国攻撃の際には参戦するといった「ぶっそうな」ことをその時点で言う必要はありませんし、第二については、5カ年程度をかけてゼロに持って行くが、この間、防衛関係費は削減しない(つまり、駐留経費負担の削減分は自衛隊経費の増に充当する)と米国に通告すれば穏便におさまることでしょう。
 第一の宣言は、それだけで中共や北朝鮮の抑止につながりますし、第二の通告は、第一の宣言とあいまって、在日米軍の大幅な削減となって現れる(在日海兵隊は必ず大幅に削減される)はずです。
 そして、以上のような政府のイニシアティブがあって、初めて第三に、日本国民の意識変革がもたらされ、国民が軍事力の意義に再び目覚めることとなるでしょう。
 このように日本が吉田ドクトリンから脱することによって、ようやく沖縄の基地問題は解消されるに至るのです。
ここで銘記すべきことは、吉田ドクトリンからの脱却・・軍事力の意義の復権と言い換えてもよい・・は、日本及び日本人の「再生」のためにも必要不可欠であるという点です。
(以上、詳しくは、拙著「防衛庁再生宣言」日本評論社2001年を参照。)
 
 この点については、成人になるまで日本人であった台湾の李登輝前総統がかねてより武士道精神の喚起の形で力説されている(注6)ことはよく知られているところです。

 (注6)もっとも私は、李登輝氏が、(氏にとって農業経済学者としての先輩でもある)新渡戸稲造の「武士道」を援用して武士道論を展開されていることについて、お二方ともクリスチャンであることから(武士道とキリスト教精神が果たして原理的に両立可能か疑問があるので)違和感を覚えている。また李登輝氏は、かつて日本人であったとはいえ、現在では台湾「独立」運動の重鎮たる台湾の政治家である以上、客観的に見れば武士道論を日本の世論を台湾「独立」運動に惹き付ける手段として利用されていることになるのであって、この点も(武士道と台湾「独立」運動のいずれにもシンパシーを抱く一日本人として)遺憾に思っている。これについては、また機会を改めて論じたい。

 ここで、成人になるまで日本人であった韓国人(奇しくも李登輝氏と同じ1923年生まれ)の崔 基鎬氏が行っている同様の指摘をご紹介しておきましょう。以下、最近読んだ崔氏の「日韓併合の真実―韓国史家の証言」(ビジネス社2003年)(注7)からの引用です。

 (注7)コラム読者の高田雄二さんは、この本の方が、私が以前(コラム#249、260、264で)引用したキム・ワンソプ「親日派のための弁明」(草思社2002年。原著は韓国語)より歴史の本としては優れているとされるが、どちらも典拠等の注釈のつけかたが甘く、歴史の本とは言い難い。とまれ、崔氏のこの本が韓国語訳されて韓国で、キム氏の本(発禁処分を受けている)とともに広く読まれることを願ってやまない。

「李朝では王族とこの時代に跋扈した両班という一部の特権高級官僚が結託し、徹底的に民を搾取した・・」(14頁)、「北朝鮮は昔の李氏朝鮮が人民共和国の装いをして、そのまま蘇ったものである。・・韓国<も>李氏朝鮮的な体質を捨てないかぎり、発展することを望むことができない。」(17頁)、「日本では近年になって中国か韓国の影響を蒙ったのか、<李氏朝鮮のように>綱紀がだいぶ乱れるようになっている・・」(50頁)、「<李氏朝鮮のように>エリートが武―軍事を軽視する国は、強国のいうことを聞くよりなく、独立を維持することができない。」(104頁)、「私は今日の日本は、かつて李氏朝鮮が臣従した中国に依存したように、アメリカを慕って国の安全を委ね、アメリカの属国になり下がっていると思う。これで、よいのだろうか。」(15頁)、「<李氏朝鮮のように>国が尚武の心と独立の精神を失うと、人々が公益を忘れて、私利だけを追求するようになり、社会が乱れて、国が亡びることになる。私は今日の日本が、李氏朝鮮に急速に似るようになっていることを、憂いている。」(133頁)、「<元来>日本は精神構造からいって、中国や、韓国よりも、・・地理的に大きく離れていても、公益を尊ぶ、アングロサクソン諸民族に近いといえる。」(183頁)、「<ところが>戦後、アメリカの属国の地位に甘んじるうちに、日本国民が慕華思想に似た慕米思想に憑かれるようになったために、毎年、日本人らしさが失われている。独立心を失った国民は堕落する。」(199頁)「<こうして>日本はかつて明治以後、アジアの光であったのに、すっかり曇るようになった。国家の消長は結局のところ、国民精神によるものである。」(200頁)。

 これらは、私がかねてより拙著やこのコラム(李氏朝鮮の両班精神についてはコラム#404、406参照)で訴えてきたことと全く同じであり、崔氏に心から敬意を表したいと思います。
 最後に、崔氏の本の中から私が意表をつかれた一節を引用して本篇を終えることにします。

「第二次大戦の国難に際しては、日本は昭和天皇という史上稀にみる賢君を仰いだ。昭和天皇は同じアジア人として、誇りである。日本は十九世紀なかばから短期間で、白人と並ぶ大国を築き、第二次大戦後も短期間で経済大国となった。韓国人のなかには明治天皇と昭和天皇を尊敬し、崇拝する者が多い。」(258頁)

(完)