太田述正コラム#9359(2017.9.24)
<アングロサクソンと仏教–米国篇(その13)>(2018.1.7公開)
それに続く文言では、瞑想者に他の色んなこと・・諸感覚、諸思念(thoughts)、諸音色、諸匂い、そしてその他一杯の諸事(その中には、膿(pus)や血も含まれている)・・に注意を払うよう申し付けている。
そして、最後のところで、尋常ならざる主張を行っている。
もしあなたがマインドフルネスをせっせと実践すれば、あなたは、「存在の浄化への直接の径」を辿っているのであり、涅槃(nirvana)を達成できる、と。・・・、
もちろん、私が言及したものの別の文言では、話を違った風に述べている。
それは、悟り<(仏典からの引用なので、ここではenlightenmentをそう訳した。(太田))>に導くものは非自身についての理解(apprehension)だと言っている。
ここまでくれば、この二つの諸主張が容易に共存するのがどうしてかは明確である<とあなたが頷く>ことを希望する。
すなわち、マインドフルネス瞑想は、極めて自然に非自身の理解へと導き、原理的には、あなたを全行程を導いてそこへと至らせることができる、ということなのだ。・・・
あなたは、啓蒙<(再び、enlightenmentをデフォルト訳に戻した。(太田))>をプロセスだといつも考えることができるのであって、それは、解放(liberation)ついても同様だ。
この営為(game)の目的は、いつか遠い未来に、究極の解放と啓蒙に到達することではなく、むしろ、近未来において、もう少し解放され、もう少し啓蒙され、ることなのだ。」(C)
(5)米国における仏教史
欧米における典型的な仏教的瞑想が登場した(flipped)のがいつかを厳密に述べるのは困難だ。
それは、禅仏教がビート・ジェネレーション(beat generation)<(注11)>にしみ込んだ1950年代、と、マインドフルネス瞑想がウォール街とシリコンバレーに沁み込んだ21世紀初、の間のどこかだ。
(注11)ビート・ジェネレーション=ビートニク(beatnik)、という言葉は、「1948年前後に「ニューヨークのアンダーグラウンド社会で生きる非遵法者の若者たち」を総称する語として生まれ・・・1955年から1964年頃にかけて、<米>国の文学界で異彩を放ったグループ、あるいはその活動の総称<になった>。・・・生年でいうと、概ね1914年から1929年までの、第一次世界大戦から狂騒の20年代までに生まれた世代に相当する。最盛期にはジャック・ケルアックやアレン・ギンズバーグそしてウィリアム・バロウズを初めとするビート・ジェネレーションの作家たちは多くの若者達、特にヒッピーから熱狂的な支持を受け、やがて世界中で広く知られるようになった。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%8D%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3
ビートニクのちょっとだけ(one minute)創始者たるジャック・ケルアック(Jack Kerouac)<(注12)>は、瞑想が顕現するとされるところの、難解な(arcane)仏教的諸真実を朗誦した。
(注12)1922~69年。「<米国>の小説家・詩人で、ビートニク(ビート・ジェネレーション)を代表する作家の一人。」コロンビア大中退。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%82%AF
(続く)
アングロサクソンと仏教–米国篇(その13)
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