太田述正コラム#9369(2017.9.29)
<アングロサクソンと仏教–米国篇(その18)>(2018.1.12公開)
——————————————————————————-
[釈迦の考え・仏教・鎌倉仏教]
表記について、このシリーズを書き綴っている間に、私の認識が変わった、というか、(恐らくだが)深化した、ので、改めて記しておく。
釈迦は新しい宗教の創始者になったつもりなどないまま亡くなったと思われるが、彼の死後、人々の間で釈迦物語とでも言うべきジャータカが流布し始め、それと並行して、釈迦の考えを祖述したと称する仏典類が編纂され、初期仏教
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E6%9C%9F%E4%BB%8F%E6%95%99
が成立する。
この時、「「村娘のスジャータから乳糜の布施を受け・・・気力<が>回復」した後、瞑想を実践し・・・た」(前出)という、釈迦の実際の悟りのプロセスから、スジャータ云々の部分が仏典類が祖述する悟りの方法論からは落とされてしまった、と私は想像する。
理由は、それが釈迦自身の言動ではなかったからでは、とも。
他方、ジャータカの中では、それが釈迦の悟りの方法の一環として、場合によっては、それこそが悟りの方法として、叙述されることがあった。
更には、釈迦はそれに類することを行うのを旨とした、的なことさえ叙述されることがあった。
ジャータカの方が、というか、ジャータカの中には、釈迦の考えを、仏典に比して、より的確に描写しているものがあった、ということだ。
(ジャータカについて既述した箇所を参照。)
この結果、仏教は、成立した瞬間から、釈迦の考えとは乖離することとなった、と想像される。
私の言いたいのはこういうことだ。
釈迦は、スジャータから布施を受けた瞬間に悟ったのではないか。
人は人間主義的にふるまい続ければ人間主義者になるし、人間主義者が他人に人間主義的にふるまい続ければいつかその他人も人間主義者になるのであって、悟りとは、この因果を自覚した上で、実際に人間主義的にふるまい続けて人間主義者になることだ、と。
その後に釈迦が行った瞑想は、恐らくはサマタ瞑想、念的瞑想の順に行われたのだろうが、何のことはない、実のところ、まずは雑念を払った上で、つまり、サマタ瞑想をした上で、改めて、このような意味での悟りを自らに叩き込んだ、つまり、念的瞑想をした、というだけのことではなかったのか、と。
付け加えれば、戒律なるものは、更にその後、釈迦が考え出したところの、非人間主義者が大多数を占める一般社会から人間主義社会を守るための結界のようなもの、と考えられる。
、どうして、そんな結界を設ける必要があったのか、いや、そもそも、世の中の人々が、全員、人間主義者になっていないのはどうしてか、までは釈迦は解明できなかった、或いは、解明し、打開策を見出す前に亡くなってしまった、ということになるが・・。
仮にこの私の新仮説が正しいとすると、戒律とともに、釈迦の行った2種類の瞑想を継承した南伝仏教も、釈迦の行った瞑想中1種類だけを継承する一方で他人を悟らせる努力を行うことを旨とした北伝仏教も、どちらも、他人はもとより、自分すら、悟らせることなどできない、という点では変わりがないのであって、どちらも釈迦自身の考えとは、肝心な点において似て非なるものである、ということになりそうだ。
そうだとすれば、それは、北伝仏教に触発されて日本で生まれたところの、仏教宗派ならぬ、鎌倉仏教なる新宗教、私の言うところの人間主義教、だけが、釈迦の考えに即した「宗教」である、ということにもなりそうだ。
——————————————————————————-
(続く)
アングロサクソンと仏教–米国篇(その18)
- 公開日: