太田述正コラム#9377(2017.10.3)
<アングロサクソンと仏教–米国篇(その20)/2017.9.30東京オフ会次第(続々)>(2018.1.16公開)
2番目の種類の不完全燃焼感は、仏教への懐疑論者達ではなく、仏教の熱烈なファン達が抱いているものだ。
彼らは、瞑想が、余りにもありふれたものになったために、少なくとも若干の諸界隈において、世界のアダム・グラント達から嘲笑を呼んでいることを嘆いているのだ。
これらの仏教の純粋性追求者達は、ストレスを減少させることに反対しているわけではない。
結局のところ、仏陀は、苦しみからの解放を説いたのだから。
しかし、解放は精神的な努力(endeavor)である、と想定されている。
その観念とは、この世界を、明晰に・・その諸含意において急進的にして、あなたを苦しみから解放するだけでなく、あなたの同輩たる人々を含むところの、あなたの現実それ自体についての、ないし、あなたの現実との関係についての、見解を改変させるように明晰に・・見るために、通常の意識に充満している惑いを突き抜けることだ。
ケルアックが指し示す、「非自身」や「空(emptiness)」のような、掴みどころのない(obscure)、仏教の基本的諸観念についての、深い、経験的な理解を得ることは、瞑想に耽る(contemplative)営み(project)における核心であるとされてきた。
しかし、この究極的な目標は、どれだけ到達するのが困難であっても、そして、どれだけ究極的にそこに到達する人々が僅かであっても、「覚醒(awakening)」、すなわち、啓蒙、解放、涅槃、に他ならないのだ。」(C)
(続く)
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–2017.9.30東京オフ会次第(続々)–
[用意したが「講演」で用いなかった部分]
私は、小学生の時に、1950年代半ばから4年弱、エジプトで過ごした。
このエジプトで、自分の母国である日本についてうまく説明ができないもどかしさを感じた一方、エジプトがその一部であるアラブ世界、ひいてはイスラム世界、及び、エジプトをかつて保護国にしていたイギリス・・通っていた小学校がイギリス系の小学校でもあった・・について、今にして思えば、非常に初歩的なレベルではあったけれど、それぞれ、自分では分かったような気になって帰国した。
役所に入ってから、1970年代中頃に米スタンフォード大学に留学したが、ビジネススクールでの講義に触発されて、高度成長下の日本の経済・経営について自学自習し、その超先進性に驚き、次いで、政治学科で自学自習して日本の戦前も結構先進的であったことを発見し、戦後、日本の経済・経営、と、政治、就中安全保障政策、との間のギャップ、つまり、どうして前者に比して後者が、かくもできの悪いものになってしまっているのか、整合的な説明ができず、頭を抱え始めた。
爾後、この「難問」は、後者をまともなものにするにはどうしたらいいのか、という問題意識の形で、私の現在までの、知的探求を含む生き様を規定することになる。
なお、米国については、この留学時に、異常な市場原理主義国だという認識を持ったが、全体像を把握するところまで至らないまま帰国した。
1988年には、今度は英国防大学に留学し、幼少時に抱いたイギリス観が一挙に深まると同時に、それと対比することによって欧州観も概ね固まったが、イギリスと同じ文明を共有しているはずの米国が一層分からなくなって帰国した。
中国については、勤務先の関係から、長きにわたり、共産主義国として潜在敵国視するだけにとどまったところ、中国人達との個人的付き合いを通じて彼らの阿Q性に接し、中国がますます嫌いになって行った。
結局、イギリス観・・アングロサクソン観・・が一番最初に概成し、次いで、米国観が、イギリスと欧州の折衷的なもの、ということに思い至ったおかげで概成する。
その後、紆余曲折を経て、ようやく中国観が概成したのだが、一番苦労したのは、実は、日本観であり、概成したのはつい最近のことと言ってよい。
この間、イスラム世界観、インド亜大陸観、ロシア観、も概成しており、現在、取り組んでいるのは、後回しにしていた朝鮮半島観だ。
アングロサクソンと仏教–米国篇(その20)/2017.9.30東京オフ会次第(続々)
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