太田述正コラム#9381(2017.10.5)
<アングロサクソンと仏教–米国篇(その22)/私の現在の事情(続X96)>(2018.1.18公開)
米国の仏教の二回目の大きな爆発は、1950年代に起きた。
それは、概ね、米移住者たる日本人学者の鈴木大拙(D. T. Suzuki)<(注22)>の諸著作によって拍車をかけられたものだが、それは、第一に、美学的(aesthetic)だった。
(注22)Daisetz Teitaro Suzuki。貞太郎は本名、大拙は居士号。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E6%8B%99 前掲
「居士」とは、ここでは、「出家をせずに家庭において修行を行う仏教の信者。・・・普通の信者と異なる点は、仏教学の知識・実践において僧侶に準ずる、或いは匹敵する程の力量を持っている事・・・利休は当初、千宗易と名乗っていたが・・・正親町天皇より利休居士の号を与えられた。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E5%A3%AB
⇒「居士」の話題に引っかけて脱線しますが、「宗易」というのは、「堺にある南宗寺で参禅をし、南禅寺の本山、京都郊外の大徳寺で大林宗套から『宗易』という法名を受け<たもの>」
http://www.jphistoryrd.com/adu/senri.html
であり、「『利休』という名前は<、彼が、>1,585年の禁中茶会(皇居での茶会)・・秀吉が関白になり、その返礼として茶会を主催したもの・・に参加するにあたり、町人の身分では出ることができなかったため、正親町天皇から与えられた居士号」(同上)です。
ご存知の通り、私見では、正親町天皇は、第一次弥生モードの時代の第二次縄文モードの時代への転換を促進させた一連の天皇の一人であった(コラム#8297)わけですが、これは、秀吉による茶会の機会を捉えて、その上澄みではあるけれど、民衆の一人である町衆たる茶の宗匠の宗易を褒めることで、茶の人間主義性にお墨付きを与えることによって、秀吉に対して、モード転換の促進を改めて指示した、と受け止めることができそうです。
そんな利休を、同天皇の存命中に処刑した
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%88%A9%E4%BC%91
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E8%A6%AA%E7%94%BA%E5%A4%A9%E7%9A%87
秀吉は、逆臣であった、と言われても仕方ないでしょうね。(太田)
鈴木の著作は、茶道や俳句についてはよく出てくるが、座禅・・禅の実践の核心であるところの、超厳格な規律の下でのしばしば苦痛を伴う瞑想実践・・への言及がない。
⇒私は、『近代日本思想大系〈12〉鈴木大拙集』 (筑摩書房 1974年)
https://www.amazon.co.jp/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%80%9D%E6%83%B3%E5%A4%A7%E7%B3%BB%E3%80%8812%E3%80%89%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%A4%A7%E6%8B%99%E9%9B%86-1974%E5%B9%B4/dp/B000J9ADTU
を読んでいるのですが、内容の記憶が全くなく、日本文化案内パンフレット集みたいだな、という印象だけがかすかに残っているので、恐らく、この書評子の言っていることは正しいのでしょう。
鈴木の著作を改めて読み返す労を惜しみつつ、つらつら考えてみると、日本人の大部分は(人間主義者であるという意味で)既に悟っている、との私のかねてからの指摘や、座禅は悟りの手段ではないのではないかとの私の本シリーズで初めて記した見解は、案外、鈴木の著作を読んだ影響によるところもあるのかもしれない、という気がしてきました。(太田)
(続く)
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–私の現在の事情(続X96)–
前の眼医者の乱診乱療を、(この眼医者の患者であればもとよりですが、それ以外の人でも、少し調べれば、この医者や医院の名前がすぐ分かる形で、)太田コラムに累次書いていて、コラムが一般公開された後、この医師に名誉棄損裁判を提起された場合に大丈夫だろうか、ということが若干気になっていたので、3日に少し調べてみました。
(そもそも、公的機関に、タレコミをしようか、ともちょっと考えたのですが、どこに話を持ち込んだらいいのか、ネットではすぐに分からなかったこともあり、そこまでやるのは止めることにしました。)
この眼医者から遠く離れたところにある薬局・・たまにですが、内科医の処方箋(降圧剤)と一緒にこの眼医者の処方箋(点眼薬3種)も持ち込んだことがある薬局・・を3日に訪れた折に、尋ねてみたところ、処方箋には薬の服用回数も書いてあるところ、過去の処方箋群のコピーは求めればいつでも渡してくれること、また、薬の服用回数は、(ちょっとうっかりしていたのですが、)お薬手帳に貼るシールにも記されていること、を教えてくれました。
つまり、当該の眼医者の乱診乱療ぶりは、処方箋に基づいて、概ね証明することができる、従って、裁判を提起されたとしても、十分反論できそうだ、というわけであり、ということは、裁判を提起されることもなさそうだな、と一安心しました。
蛇足ですが、昨年、日赤に入院して降圧剤や点眼薬をもらった時も、新しい眼医者に行って点眼薬をもらった時も、院内処方であることから、お薬手帳に貼るシールはもらえませんでしたが、お薬手帳の目的
http://www-eokusuri.nichiyaku.or.jp/e-okusuri-03.html
に照らすと、ちょっとおかしい気がします。
アングロサクソンと仏教–米国篇(その22)/私の現在の事情(続X96)
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