太田述正コラム#9385(2017.10.7)
<アングロサクソンと仏教–米国篇(その24)>(2018.1.20公開)
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[毛沢東の『実践論・矛盾論』のこと]
この小表題を見て、本シリーズと何の関係があるのか、と怪訝に思った人が多いのではないかと推察される。
私は、上掲の本を角川文庫(1965年版)で読んでいて、たまたま、それが、蔵書の中で、同じ角川文庫ものであるためか、『無心ということ』のすぐ隣に並んでいたので、一緒に二階のパソコン部屋に持って行った。
というのも、「中国については、勤務先の関係から、<私が、>長きにわたり、共産主義国として潜在敵国視するだけにとどまった」(コラム#9377)ことが、いささかひっかかっていたからだ。
パラパラと頁をめくってみると、この毛沢東の本には、(傍線や書き込みが一か所もなかった)大拙の『無心といふこと』とは違って、傍線と書き込みが一杯あった。、
で、この本の「解説」に「「実践論」の発表された1937年7月は、日本帝国主義との全面戦争のおこった月であり、「矛盾論」の発表はその翌月であ<り、>・・・最大の緊要事とは、それとたたかうための抗日民族統一戦線の結成であった。」(153頁)とあったことで、拍子抜けしてしまった。
ということは、この2篇が、中国国民党及びソ連(ロシア)を篭絡するための、情宣パンフレットであったことは明白であり、その中で、彼が日本フェチであることなど、おくびにも出さないに決まっており、いずれにせよ、そんなものが、毛沢東の哲学的著作・・そもそも、彼が、哲学者、思想家でもあったかどうかはともかく・・であるはずがないからだ。
そんな代物を、毛沢東の何たるかを理解しようと、懸命に読んだらしい、大昔の自分がいじらしく、可哀そうになった。
今にして思えば、「実践論」というタイトルは、それが政治的文書であることを、そして、「矛盾論」というタイトルは、それが毛沢東のホンネとは矛盾していることを、それぞれ、毛沢東自身が茶目っ気たっぷりに、明かしてくれていたわけだ。
私は、ほんの数年前まで、毛沢東の謀略に完璧にはめられていた、ということになる。
さて、私は、「中共の現在の駐日大使の程永華(1954年~)が、「1973年、外交官研修のため中国外務省から派遣され<たが>、・・・人間主義の何たるかを学ぶために、程を創価大学に送り込んだ可能性がある・・・日蓮宗系の大学としては、立正大学・・・と違って、日蓮どころか、仏教関係の学部学科すらない大学で学ばせたのは、かかる意図をカムフラージュするためだったと見たらどうか」(コラム#7625)、と記したことがあるが、これは、そんな毛沢東が、最晩年において、狙いを完全秘匿した最重要プロジェクトを敢行したのではないか、という気が一層してきた。
つまり、自国民の阿Q性をあれほど問題視していた彼(コラム#省略)が、阿Q性が(私の言う)非人間主義性であること、人間主義がいかなるものであるかということ、そして、日本人の大部分が人間主義者であること、を知らないはずがなかった以上、程らを派遣したのは、当然鈴木大拙の人間主義回復・維持「手法」も念頭に置きつつ、日本人が非人間主義化しないメカニズムを改めて現地で確認した上で、それを、将来、自国民の阿Q性克服のために活用することにあったのではないか、と。
そして、この時以来の研究をも踏まえ、満を持して、習近平は、自国民の人間主義化に、自国民に日本訪問を積極的に促す形で乗り出したのではないか、と。
私は、以上、記したことが、穿ち過ぎであるとは決して思わない。
振り返れば、私自身が、2003年に、2度、中共を訪問した折、私が会った、日本の安全保障の研究者達のうちの一人は、私の『防衛庁再生宣言』を読んでいて、私に対して、あなたの、(自衛隊が抱える深刻な諸問題に関する)主張は、我々には、もともと周知のことだ、と(うっかり口が滑って?)言ってのけたものだ。
日本の安全保障について、これほども、広範、かつ、深く、研究している中共当局が、その総体継受を推進してきていたところの、日本文明、とりわけ、その人間主義についても、広範、かつ、深く、研究していないはずがないからだ。
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(続く)
アングロサクソンと仏教–米国篇(その24)
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