太田述正コラム#9397(2017.10.13)
<アングロサクソンと仏教–英国篇(その2)>(2018.1.26公開)
「著者は、マイナーな仏教上の登場人物達である、パセーナディ王(King Pasenadi)<(注1)>や裏切り者的なスナカッタ(Sunakhatta)<(注2)>の諸肖像を検証することで、<仏教の>ルーツに戻ろうとする。
この二人の生きざまを再構成することで、著者の合理主義的で論理的なアプローチが、釈迦の世界は脆弱で悲劇的で非恒久であったことが顕現される。
著者は、これらの登場人物達にとって、釈迦のダルマの教えは、「真理に立脚した形而上学」ではなく、主として「任務に立脚した倫理」に関わるものである、と主張する。」(γ)
(注1)「仏教経典のマッジマ・ニカーヤ(中阿含経)には、<釈迦>がコーサラ <(Kosala)>国の者であること(コーサラ国が、<釈迦>の出身と信じられている釈迦族を属国としていたこと)・・・が述べられている。・・・
<釈迦>を信奉していた<このコーサラ国の>プラセーナジット王が不在の間、大臣のディーガ・チャラヤナ(Digha Charayana)が息子のヴィドゥーダバを王位につけ<、>それから遠からず、コーサラ王国は隣国のマガダ国に併合された。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%A9%E5%9B%BD
ちなみに、「マッジマ・ニカーヤ(Majjhima Nikaya=中部)」は、パーリ語経典上の名称であり、「中阿含経」は、漢訳仏典上の名称である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E9%83%A8_(%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AA)
また、「祇園精舎・・・は、インドのコーサラ国首都シュラーヴァスティー(舎衛城)・・・にあった寺院で・・・釈迦が説法を行った場所であ<る。>」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%87%E5%9C%92%E7%B2%BE%E8%88%8E
このコーサラ国のパセーナディ王と釈迦との間で、以下のような会話が交わされたとされる。↓
「「私が大王の座に就いてから、心の休まる暇がない。何時毒をもられるか、何時敵に<襲>われるか・……。」
釈迦はパセーナディ大王に言った。
「だからこそ多くのクシャトリアたちに大王は守られているのでしょう。」
パセーナディ大王は首を横に振って言った。
「多くのクシャトリア達に守られれば守られるほど不安が積もります。私の部下のクシャトリアが敵であるマガダ国に内通して、私を襲うかもしれない。私を警護するクシャトリアが多くなれば、多くなるほど私のますます不安は増すのです。」
その言葉を聞いた釈迦は言った。
「では、今の大王の不安はどうでしょうか。」
パセーナディ大王を護衛する千人ものクシャトリアの大部分は祇園精舎の外で待機していた。祇園精舎の中に入った数人のクシャトリアも、この釈迦と対面している講堂の外で待機していた。この講堂にいるのは、釈迦とパセーナディ大王ただ二人きりであった。パセーナディ大王が言った。
「この精舎にいると、すべての不安が立ち去ります。」
「どうしてこの精舎で大王の不安が無くなるのでしょうか。」
パセーナディ大王は黙っているばかりであった。黙っているパセーナディ大王に釈迦は言った。
「大王が不安に思われるのは、何時隣国のマガダ国から攻め込まれるか、そればかりを考えているからでしょう。また、自分を警護するクシャトリアが多くなればなるほど、何時、クシャトリアが自分を殺めるかを危惧するのでしょう。しかし、この祇園精舎は修行僧の集まる精舎です。決して大王を殺めることは無いでしょう。だからこそ、大王は不安が無くなるのです。」
パセーナディ大王は黙っているばかりであった。黙っているパセーナディ大王に釈迦は言った。
「おそらく同じことをマガダ国の大王も思われているでしょう。お互いにお互いを恐れているのです。だから、お互いにすきあらば、隣国に侵攻しようと思っているのです。」
「では、私はどうすれば良いのでしょう。」
「仏の前では、バラモンもクシャトリアもヴァイシャも、そしてスードラもありません。もし、大王がマガダ国を滅ぼしても、そのことは仏の前では何の価値もありません。」
「しかし、私にはコーサラ国の大王として、祖先の為に、この国を守るという義務がある。」
「そのコーサラ国を守るという義務が、隣国のマガダ国を侵略しようとする事となっているのです。マガダ国の大王であるビンビサーラ大王は、パセーナディ大王がマガダ国を侵略しようとする意思が無い以上、決してコーサラ国を侵略しないでしょう。」
この釈迦の言葉にパセーナディ大王は笑顔を見せた。・・・安堵したパセーナディ大王に釈迦は言った。
「悪魔は決して心の外にいるのではありません。悪魔は自分の心の中にいるのです。」」
http://www1.clovernet.ne.jp/ponnpe/syaka%2047.html
(注2)それまで釈迦の世話をしていた僧のスナカッタが、集団(Order)を去ることにし、釈迦を公然とこき下ろした時、釈迦は獅子吼し、自分の実践はまっとうであり、自分の悟りは完璧であると宣言した。
https://books.google.co.jp/books?id=NF9lhOHP6UcC&pg=PA107&lpg=PA107&dq=Sunakhatta&source=bl&ots=9voUZ3KEYg&sig=SVdHT8VIs485GG3ROaEtIBq-fUs&hl=ja&sa=X&ved=0ahUKEwjyw9is3-rWAhUEv5QKHRXNBgQQ6AEIQzAE#v=onepage&q=Sunakhatta&f=false
初期においては、このように、弟子に恵まれなかった釈迦は、アーナンダ(Ananda=阿難)ら10大弟子を得ることになる。
http://www.buddhanet.net/e-learning/buddhism/lifebuddha/2_12lbud.htm
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%A4%A7%E5%BC%9F%E5%AD%90
⇒私の言葉で言えば、パセーナディ王の説話は、人間主義者たる釈迦が、人間主義的な人には人間主義的に応じ、スナカッタの説話は、同じ人間主義者たる釈迦が、非人間主義的な人には非人間主義的に応じた、ということであり、人を見て、その人に応じて法(ダルマ)を説いた、ということです。
なお、本シリーズの埒外の話になりますが、このやり方は、相手が非人間主義者であった場合には通用しません。
問答無用だからです。
パセーナディ以後のコーサラの歴代の王は人間主義者になった、ということのようであるところ、プラセーナジット王の時に、コーサラは、「注1」で記したように、内外の非人間主義者達によって滅亡させられてしまうことになります。
そして、このコーサラを滅亡させたマガダ国も、(これまで、何度も指摘したように、)そのマウリヤ朝の時、インド亜大陸全域の統一を目前にしながら、時のアショーカ王が人間主義者になったために、同朝は、恐らく、内外の非人間主義者達によって瓦解させられてしまうわけです。
因果は巡ると言うべきか、それとも、釈迦の教えである、人間主義者化の勧め、が、そもそも、因果な教えであったと言うべきか・・。(太田)
(続く)
アングロサクソンと仏教–英国篇(その2)
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