太田述正コラム#9407(2017.10.18)
<定住・農業・国家(その2)>(2018.1.31公開)
(2)火の「発明」
「人類史の多くの間、技術は科学とは何の関係もなかった。
我々の大きな諸発明の大部分は、科学的方法論がその背後にない、純粋な諸手段(tools)だった。
諸車輪、諸クランク(cranks)<(注3)>、諸製粉機、諸歯車、諸帆柱、諸時計、そして、諸舵、更には輪作、がそうだ。
(注3)「クランクにコネクティングロッドと呼ばれる棒を介すと、往復運動を回転運動に変換する動作や、あるいはその逆の変換動作が可能となる。・・・クランク機構が広く使われるようになったのはアラビアの学者で発明家のアル=ジャザリ(Al-Jazari)によるもので、・・・1206年に彼が開発した2つの揚水機械に用いられている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF_(%E6%A9%9F%E6%A2%B0%E8%A6%81%E7%B4%A0)
⇒クランク機構を用いていたと思われるからくり人形が江戸時代初期からあった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%8F%E3%82%8A
というのに、クランクに日本語が存在しないのは、ちょっと不思議ですね。(太田)
この全てが、人類と経済の発展にとって枢要だが、そのどれも、我々が今日科学と考えるものといかなる関係も歴史上ない。・・・
人間の歴史の中で最も重要な一つの技術は<何だろうか。>
それは、余りにも古く、ホモ・サピエンスよりも前の、我々の祖先であるホモ・エレクトゥスに帰せられるべきものだ。
その技術とは火(fire)<(注4)>だ。・・・
(注4)「ヒトの生活は、火とその明るさで大きな影響を受けた。夜間の活動も可能となり、獣や虫除けにもなった。また、当初は火を起こすのが難しかったため、火は集団生活で共用されるのとなり、それにより集団生活の必要性が増した。
火の使用は栄養価の向上にも繋がった。タンパク質は加熱することで、栄養を摂取しやすくなる。・・・加熱調理はコラーゲンのゼラチン化を助け、炭水化物の結合を緩めて吸収しやすくする。また、病原となる寄生虫や細菌も減少する。また、多くの植物には灰汁が含まれ、マメ科の植物や根菜には・・・有毒成分が含まれる場合がある。また、アマ、キャッサバのような植物に有害な配糖体が含まれる場合もある。そのため、火を使用する前には植物の大部分が食用にならなかった。食用にされたのは種や花、果肉など単糖や炭水化物を含む部分のみだった。・・・
<なお、>植物食の加熱調理でデンプンの糖化が進み、ヒトの摂取カロリーが上がったことで、脳の拡大が誘発された可能性がある・・・
<ちなみに、>日常的に広範囲にわたって使われるようになったことを示す証拠が、約12万5千年前の遺跡から見つかっている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%81%AE%E3%83%92%E3%83%88%E5%B1%9E%E3%81%AB%E3%82%88%E3%82%8B%E7%81%AB%E3%81%AE%E5%88%A9%E7%94%A8
⇒「ホモ・サピエンス<種>とホモ・エレクトスの共通祖先が分岐したのはおよそ20万-180万年前と見られている」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9
のですから、12万5千年前に初めて火が用いられるようになったとすれば、それはホモ・サピエンスによってであったわけであり、著者は筆が滑っていると言うべきでしょう。
また、「<ホモ・サピエンス種>のうち唯一現存する亜種はホモ・サピエンス・サピエンスとして知られる・・・現生人類である<ところ、>・・・現生人類とネアンデルタール人の共通祖先<は>およそ50万年前に分岐した」(上掲)ことからすると、それは、現生人類であった、ということになりそうです。(太田)
調理した食物から我々が得た追加的カロリーが我々の大きな諸脳・・それは、大部分の哺乳類においては消費総エネルギーの10分の1未満を使っているのに対し、我々においては消費総エネルギーの約5分の1を使っている・・が発達することを可能にした。
この違いが、我々を、地球上での支配的な種にしたのだ。
⇒追加的カロリーと脳の発達との関係は、「注4」で記したように仮説にすぎないのですから、ここでも、著者は筆が滑っています。
また、肉類はともかく、植物類については、調理には基本的に土器(注5)が必要であったと考えられる・・これ、重要です・・ところ、そのあたりのことに触れていなさそうな著者は、いささか雑駁すぎる感が否めません。(太田)
(注5)「縄文土器は、当初煮炊きの道具として生まれた・・・<これに対して、>日本や東北アジア以外・・・では土器は当初<は>貯蔵用土器<であり>、多くの場合、農耕(農業)のはじまりと結び付けられて理解されている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%99%A8
火が我々の歴史にとって中心的だった他の理由<もあるのだが>、現代の我々の目からするとそれほど明白ではない。
我々は、それを、我々の諸目的に資するよう、我々を取り囲む風景を適応させるために用いたのだ。
すなわち、速く育る、或いは、獲物を引き付ける、新しい諸植物<の生育>にふさわしくすべく、地域を啓開するために・・。<(注6)>
(注6)「焼畑農業/ 焼畑農法は、主として熱帯から温帯にかけての多雨地域で伝統的に行われている農業形態である。通常耕耘・施肥を行わず、1年から数年間耕作した後、数年以上の休閑期間をもうけ植生遷移を促す点が特徴である。英語では移動農耕 (shifting culitivation) という語が使われ、火入れをすることは必ずしも強調されない(実際、湿潤熱帯の各地では火入れを伴わない焼畑農耕も見られる)。・・・
日本列島においては縄文時代中期・後晩期段階での粗放的な縄文農耕が存在したと考えられており、・・・近年の成果から縄文前期に遡ると指摘する研究者もいる。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%84%BC%E7%95%91%E8%BE%B2%E6%A5%AD
彼らは、火を動物達を操縦するためにも用いた。
彼らがこの技術を余りにも多用したことから、著者は、地球が人間の支配下にある時代である、いわゆる人新世(Anthropocene)<(注7)>の始まりを、我々のご先祖様がこの新しい手段を習得した時からとしなければならない、と考えている。
(注7)「地層のできた順序を研究する学問は層序学と呼ばれる。地質学の一部門である。その層序学によると、もっとも大きな地質年代区分は「代」(古生代、中生代、新生代など)で、それが「紀」(白亜紀、第四紀など)に分かれ、さらに「世」(更新世、完新世など)に分かれる。現在は1万1700年前に始まった新生代第四紀完新世の時代である、というのがこれまでの定説だった。・・・
それが現在、すでに完新世は終わっており、新たな地質年代に突入しているとする学説が真剣に検討されている。新たな地質年代の名は「Anthropocene」(アントロポセン)、人類の時代という意味だ。日本語では「人新世」と書き、「じんしんせい」または「ひとしんせい」と読む。人類の活動が、かつての小惑星の衝突や火山の大噴火に匹敵するような地質学的な変化を地球に刻み込んでいることを表わす新造語である。」
http://10plus1.jp/monthly/2017/01/issue-09.php
(続く)
定住・農業・国家(その2)
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