太田述正コラム#9415(2017.10.22)
<定住・農業・国家(その6)>(2018.2.4公開)
 しかし、人民公社が、ソ連のコルホーズ(注12)を真似したものであることは、人民公社の設置が、大躍進政策(注13)という、中共中央によるところの、生産能力を一挙に高めようとした政策の一環として、農業におけるノルマ達成単位を形成すべく行われたと思われること一つ取っても、明白であり、それが、(後述するような)新しき村を参考にしたとは考えられない。
 (注12)「ソ連はコルホーズ(集団農場) ・ ソフホーズ( 国営農場 ) を組織していた<ところ、それらは、>・・・経済活動の自由がない(作る物、値段、量が個人で決められない)、自分の土地を耕していない、という<特徴があった>。しかし、個人がいくら努力しても収入は平均化されるため、生産意欲が低下するという問題があった。」
http://www.kyoritsu-wu.ac.jp/nichukou/sub/sub_gensya/Economy/Socialism/socialism.htm  
 (注13)「1958年 ――― <中共に>人民公社の制度ができる。
 [同じ年に大躍進政策が打ち出されている。至1961年]
 人民公社<は>、農民が土地・農業機械を共同で所有・利用し、共同作業で生産し、平等に分配するしくみをとっ<たが、それは、>・・・郷(村)を基盤とし、集団農場としてだけでなく、住宅・病院・工場・学校・商店などがあり、政治・経済・社会・生活の単位でもあ<った>。」(上掲)
 「大躍進政策<は、>・・・市場原理を無視して、<べらぼうな>・・・ノルマを人民に課し、ずさんな管理の元で・・・無理な増産を指示したため却って生産力低下をもたらした。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%BA%8D%E9%80%B2%E6%94%BF%E7%AD%96 ([]内も)
 なお、コルホーズが「経済」の単位でしかなかったのに対し、人民公社が「政治・経済・社会・生活」の単位であったことから、後者が前者の真似ではなかった的な指摘をするむきがある(典拠省略)が、これは、ロシアと支那の、直前の歴史の違いに由来するもの。
 すなわち、コルホーズ(やソフホーズ)が、否応なしに、帝政ロシアの農奴制・・農奴は生活面はともかく政治・社会面では無権利であり、農奴解放令が出てからも、事実上それに近い状態が続いていた(コラム#7094)・・を踏まえたものにならざるをえなかったのに対し、人民公社は、戦前・戦中の支那の合作社(注14)を踏まえたものにならざるをえなかった、ということ。
 (注14)「国民党政府時代の1920年代末に起源をもつ協同組合組織。農村改革の意図をもって組織されたが,国民党<支配地域>に<おいて>は商人・地主層の利益を増大したにとどまった。・・・
 <他方、中国共産党の>根拠地においては、日本軍と国民党軍に包囲されていたので、自給自足経済を維持するため、いやおうなしに合作社を発展させざるをえなかった<ところ、>なかでも、農業における伝統的な労働力相互交換制度を利用した数戸からなる互助組は、解放以後の<人民公社>化の足場ともなった。」
https://kotobank.jp/word/%E5%90%88%E4%BD%9C%E7%A4%BE-45197
 最後に、新しき村についてだが、「武者小路実篤」や「新しき村」でネットでどれだけ検索をかけて調べても、それが、私の言う人間主義的理念に基づいていたことしか出て来ず、生産能力を高める話などはもとより、土地所有や意思決定等の制度に関わる話まで、全く出て来ないところ、私は、毛沢東が文化大革命を発動したのは、支那における人間主義社会の建設を生産能力の向上から始めることを断念し、人々に人間主義的精神を注入することから始めようと考えたからだ、と見ている次第だ。
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[夏目漱石と武者小路実篤]
 「武者小路実篤<は、>・・・1910(明治43)年4月、25歳の時、志賀直哉、有島武郎、有島武郎の弟有島生馬らと共に『白樺』という文学雑誌を創刊。
 創刊号に「『それから』に就て」を発表している。
 彼らはこの雑誌に因んで『白樺派』と呼ばれるようになる。・・・
 世の中の暗い面ばかりに目を向ける、重苦しい雰囲気の自然主義の文学に対して反発を感じていた彼らは、知的で倫理的な作風の<夏目>漱石を文壇における先輩として尊敬していた。・・・
『それから』は、『「それから」に就て』が発表される前の年・1909(明治42)年に夏目漱石の書いた新聞連載小説であり、この小説は『三四郎』に次ぐ作品であり、次作『門』(1910年)とで前期三部作をなすもの。・・・
 <この評論の中では、>「・・・自分は漱石氏は何時までも今のまゝに、社会に対して絶望的な考を持つてゐられるか、或は社会と人間の自然性の間にある調和を見出されるかを見たいと思ふ」・・・と、「自然」という言葉が、繰り返し取り上げられており、自然のままに行動すれば人間の心は喜ぶけれど、社会からはみ出してしまう。社会の決めごとにしたがって行動すれば世の中ではやっていけるけれど、心は空虚感を抱えるようになる。漱石はこの板挟みの中で破滅するまでをリアルに書いたが、これからは自然の方を重視して、調和の道を進んでいって欲しい、というのが実篤の主張であるという。」
http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/f20cb32aab9dd4a0f4cc943cac660fed
 ここから見て取れるのは、私の言葉で言えば、漱石が弥生モードから縄文モードへの転換を訴えた(コラム#8951から始まるシリーズ)ところ、それに共感した実篤が、恐らくはそれが日本全体の縄文モード化に繋がることを期待しつつ、日本の中に、農業を基盤とした縄文モードの小社会を作ろうとしたのだろう、ということだ。
 これを、工業を基盤として「国」の規模でやろうとしたのが、満州に王道楽土
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E9%81%93%E6%A5%BD%E5%9C%9F
を作ろうとした石原莞爾や岸信介らだった、ということになろうか。
 この最後の試みは、彼らの目論見通り、日本型政治経済体制の構築という形で、日本本土全体の本格的縄文モード化をもたらすことになったわけだ。
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(続く)
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<太田>
 11月12日(日)10:00~10:30受付、10:30上映開始、の『火花』試写会の招待券を2枚入手したので、ご希望の方に、先着順で1枚差し上げます。
 誰かにあげたい、ないしは、勝手に行きたい、のなら、郵送します。
 (切手代82円は、次回の会費納入の際に上乗せしていただければ、と思います。購読更新をされない方、及び、名誉有料読者の方、は出世払い(?)ということで・・。)
 この場合、当然のことながら、郵送先の住所を教えていただく必要があります。
 私と待ち合わせをして招待券を受け取ることを希望される場合はそうお申し出ください。
 試写会の場所は、新橋駅前のスペースFS汐留(汐留FSビル)3Fです。
 待ち合わせる場合は、その会場入り口前で10:45に待っています。