太田述正コラム#0506(2004.10.18)
<米国とは何か(続)(つけたし2)>

 最後に、今年9月の体験だ。
 ロンドンでバスに乗っていたところ、身なりの整った英国人女性Eが学校の制服を着た息子と一緒にいたが、そこに年配の米国人女性Aがよろけてぶつかった。AはEに「すみません。ぶつかるつもりはなかったのですが」と謝った。するとEは待ち構えていたかのように、「私は<イラクで>米兵が死ぬたびに快哉を叫んでいるの。あんた達はもう一回9.11をくらってみんな死んでしまえばいいのよ。あんた達は世界を破壊して歩いているんだから」とまくしたてた。Aは、「私個人としては、世界を破壊して歩いてなどいないわ」と反撃した。バスの運転手と他の乗客達がどっと笑うと、逆上したEは、「あんた達、みんなこの国を出て行って。二度とこの国に足を踏み入れないで」と叫んだ。たまらずAは涙ぐみながら「あなたは、私の今日のこの一日と<英国への>旅を台無しにしてくれたわ」と訴えた。なおもAをつかまえてゆさぶりはじめたEを見て、私は座席から飛び上がり、大声で運転手にバスを停めるようにうながしてから、「その人を放しなさい。つかまえたいのなら私をつかまえたら」とたしなめた。すかさずEは、「そのアクセントはにっくき米国人だね。この国にやってきていいかっこできると思ってんのね。この屑野郎」とわめいた。幸い、私の隣に座っていた女性がEを向こうに押しやってくれた。私がバスを降りた時、Aは座ったまま、すすり泣きを続けていた(注)。

 (注)このくだりを読んだ時、カイロに住んでいた1958年(小学校4年生)の夏休みに母親とイタリア・スイス・ドイツ・オランダ・イギリス旅行をした時のことを思い出した。ロンドンでエレベーターに母親と乗っていたところ、前に立っていた英国人の中年の男性が、憎しみのこもった目つきをして母に向かい、「日本人だな。戦争ではお世話になった」と吐き捨てるように言った。子供心に、大英帝国を崩壊させた日本に対するうらみは相当なものだなと思ったものだ。

3 解題

 グールドが、自分がジャーナリストでもあることを忘れ、劇作家としての能力を発揮して、以上の話をでっちあげたとは私は考えていません。彼女は、実際の出来事を的確に語っているのだ、と思います。
 英国人が米国に対して抱いている軽侮の念と近親憎悪を、これ以上赤裸々かつ見事に描き出した論考に、これまで私は出会ったことがありません。
 軽侮の念が何に由来するかについては、改めてご説明する必要はありますまい。
 近親憎悪の原因は、先の大戦とその戦後において英国が陥っていた窮状につけこんで、米国が英国から世界の覇権国の地位を無理矢理奪い取ったところにあります。(Nikkeibpで連載中(第37回で、一旦休載中)の「円・元・ドル・ユーロの同時代史」を参照。)
 しかし、その米国によって英国はスエズ動乱の時に世界の前で赤恥をかかされた(コラム#109)にもかかわらず、それ以降、英国は米国に対する近親憎悪を抑圧しつつ、米国を基本的に常に支援し、時に苦言を呈するという、抑制された役割に徹してきました。(英米の特殊な関係については、コラム#138、139参照。)
 英連邦諸国のうち、米国に対するこの英本国のホンネを代弁してきたのがカナダであり、タテマエを代弁してきたのがオーストラリアだと言ってよさそうです。
 それだけに、時として英国民の間から米国に対する憤懣が噴出するのは、当然のことではないでしょうか。

(完)

<読者O>
 最近のアングロサクソン論をとても興味深く拝見しております。以前、ハリウッド映画に出ていたイギリス人俳優がアメリカではバスタブの湯につかることが出来ないので、イギリス人としては非常に辛いと言っていたことがあり、同じアングロサクソン文化圏だと思っていた私には新鮮な驚きだったことがあります。
そして、今回太田さんのアングロサクソン論で英米は文化的にかなり違うということが明確になり、今後はその辺に気をつけてニュースを見ていこうと思いました。
しかし、夫婦喧嘩に口出しした他人が夫婦両者に非難されることがあるように、異なっているように見えても対外的な政策には違いはないのではないでしょうか。おまけに金融関係はほとんど一体化しているらしいですから上層部の考えは一致しているのではないでしょうか。確かにイラク駐留を巡っては亀裂が生じ始めておりますが、本質的なものなのかどうか….。
また、イギリスの食料自給率はヨーロッパの代表国としてはかなり低いようですが、これはアメリカを潜在的な敵国と考えている独仏とは違ってアメリカを真の味方と見ているために不安がないのか、それとも日本と同様にアメリカによる政策なのか、それとも自然な成り行きであるのかが気になります。
とりとめのない書き込みですいません。今後も期待しております。

<太田>
私の通暁している分野ではありませんが、英米の「金融関係はほとんど一体化している」とは思いません。(Nikkeibpで連載中(第37回で、一旦休載中)の「円・元・ドル・ユーロの同時代史」を参照)
 英国の食糧自給率は戦前、かなり低くなっていたことは事実ですが、これは米国の存在もさることながら、英国がアルゼンチン等、中南米の農業国(農業には牧畜も含む)を事実上
植民地化していた(近々、論じます)ほか、農業国であるカナダ、オーストラリア等を「従えて」いたことを考えれば、不思議でも何でもありません。
 その食糧自給率も、先の大戦の際に海上の食糧輸送路の確保が危うくなったという反省から、戦後相当上昇させています。1988年の在英時に知ったのですが、英国の自然環境は農業に極めて適しており、農業の反当収量(穀物の畑面積当たりの収穫量)は欧州諸国のどこよりも高く、だからこそ英国は容易に食糧自給率を上げることができたのです。(英国の戦前、1988年時点、そして現在の食糧自給率をサイトで再確認をどなたかやっていただけませんか。)

<読者O>
金融、食料自給率共に私の勘違いだったようです。
申し訳ありません。
金融の件はもう少し調べてみたいと思いますが、食料自給率をGoogleで検索すると、どこを見ても7??8割となっており、かなり高いことは間違いないようでした。

<読者P>
オーストラリア在住のMです。
いつもこのMM楽しみにして読んでいます。
さて、今回のロンドンのバスの中での英国人と米国人との諍いについて、あらためて思い出したことがあります。
僕が住んでいるオーストラリア南部のこの小さな町の住人の多くは英国系です。
1年前の夏、近所に住んでいる、ある友人夫妻(イングランド系)の家に遊びに行った時のことです。
その日、僕は胸に大きな数字が書かれているTシャツを着ていました。
友人が「そのシャツの数字は何か意味があるの?」と尋ねます。
「別に特別な意味はないよ。これはアメリカン・フットボールのシャツに似せて作られているのだ」と答えますと、

「頼むから、僕と会う時は2度とそのシャツを着て来ないでくれ」
「どうして?」
「僕はアメリカが大嫌いなんだ」
「・・・・・・」

彼は冗談好きの素晴らしい人物で、食事を一緒にすることが多いのですが、それ以来、彼とだけではなく、英国系の友人達とはアメリカに関する話題を避けるようにしています。
僕の娘達はアメリカ人と結婚し、アメリカで暮らしているので、僕自身はアメリカに対する違和感はまったくないのですが・・・
アングロサクソンの話題、イギリス人とアメリカ人に同距離で向かい合っている僕にはとても興味深く、楽しみながら読ませてもらっています。

<一井義教>
このトピックでは,宗教的な背景に基づく米国人の一本気的使命観が取り上げられていましたが、10月17日付のニューヨーク・タイムズ・マガジンに掲載された、ロン・サスカインド(Ron Suskind:今年初頭に米国で出版され話題になったブッシュ政権内幕暴露本 The Price of Loyalty[和訳名:忠誠の代償]の著者)による信仰を基盤としたブッシュ政権に関する記事が米メディア上で話題になっています。

Without a Doubt By Ron Suskind
http://www.nytimes.com/2004/10/17/magazine/17BUSH.html

サスカインドは経済紙ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)の元記者なので(http://www.ronsuskind.com/newsite/),ジョージ・ブッシュの経営者としての経歴を振り返り,典型的なMBA修了者が経営の実際で体験する,大学院で学んだ古い知識の非学習と新たな現実に基づく学習という反復過程を彼は十分に経ることなく政界に転身したのではないかと見ています。この実業界時代における内省的反復過程の体験の貧弱さが信仰を基盤としたブッシュ政権を読み解く鍵になります。
当該記事のなかで特に注目を浴びているのが,以下の"reality-based community"の件です:

In the summer of 2002, after I[サスカインド] had written an article in Esquire that the White House didn’t like about Bush’s former communications director, Karen Hughes, I had a meeting with a senior adviser to Bush. He expressed the White House’s displeasure, and then he told me something that at the time I didn’t fully comprehend — but which I now believe gets to the very heart of the Bush presidency.

The aide said that guys like me were "in what we call the reality-based community," which he defined as people who "believe that solutions emerge from your judicious study of discernible reality." I nodded and murmured something about enlightenment principles and empiricism. He cut me off. "That’s not the way the world really works anymore," he continued. "We’re an empire now, and when we act, we create our own reality. And while you’re studying that reality — judiciously, as you will — we’ll act again, creating other new realities, which you can study too, and that’s how things will sort out. We’re history’s actors . . . and you, all of you, will be left to just study what we do."

このシニア大統領補佐官のコメントによると、唯一の超覇権国である米国を取り仕切るブッシュは政権は、新たな現実(例えば新たな世界秩序)を次々と出現させていく主体であり、部外者が具現化した現実を認知してあれこれ論じ始めた時すでに、当該政権の奥の院では新たな現実の出現に向けての営みが始まっている、ということになります。このような世界観において、万が一、出現した現実が当初の予想と反した場合、どのように意思決定するのかが疑問になりますが、出現した現実が制御可能な範囲内に収まっていれば、状況の主体的形成者の地位を維持していると判断して問題無しと認知するのかもしれません。
当該記事の最後は,信仰を自己の正当化に用いると、自己批判(内観)を押しやり、安易な確実性の追求に陥るという、大統領就任以降,彼と疎遠になってしまった或る福音主義聖職者との会話で締めくくられていますが,先日3回行われた大統領候補の所謂「ディベート」では、揺ぎ無き信念を柔軟性又は内観の欠如と見るか、批判の受容あるいは柔軟性を信念の欠如とみるのか、両候補の対照的な立場が明らかになりました。

<太田>
Nytimes magazineの最近号は、nytimesのサイトでチェックしていたにもかかわらず、ご紹介いただいた記事の見出しが、ブッシュの写真入りで大きすぎて、見過ごしてしまっていました。こんなことがあるのですね。
 まだ、記事は読んでおりませんが、私もMBAの端くれなので、読まねばなりますまい。
  ご紹介、まことにありがとうございました。