セポイの反乱(特別編) 公開日:2008年2月29日 インド 太田述正コラム#2030(2007.8.29) <セポイの反乱(特別編)>(2008.2.29公開) 1始めに 本篇は、「セポイの反乱」シリーズ(コラム#1769、1847)の特別編であり、この後もシリーズは続きます。 […] 続きを読む
インドと民主主義(その2) 公開日:2008年2月20日 インド 太田述正コラム#2008(2007.8.18) <インドと民主主義(その2)>(2008.2.20公開) インドで民主主義が機能しているだなんてご冗談を、と言われそうなくらい、インドには暴力沙汰や紛争がつきものであるこ […] 続きを読む
インドと民主主義(その1) 公開日:2008年2月19日 インド 太田述正コラム#2006(2007.8.17) <インドと民主主義(その1)>(2008.2.19公開) 1 始めに グレイ(John Gray)の、多民族からなる民主主義的国家でうまくいっている所の大部分は君主制を採 […] 続きを読む
再びマハトマ・ガンジーについて 公開日:2008年2月11日 インド人物情報 太田述正コラム#1992(2007.8.10) <再びマハトマ・ガンジーについて>(2008.2.11公開) 1 始めに マハトマ・ガンジー(Mohandas Karamchand Gandhi。1869~1948年) […] 続きを読む
セポイの反乱(その2) 公開日:2008年1月1日 インド 太田述正コラム#1847(2007.7.2) <セポイの反乱(その2)>(2008.1.1公開) (本篇は、コラム#1769の続きです。) どうしてセポイの反乱(1857~59年)が起こったかを理解するためには、時計 […] 続きを読む
セポイの反乱(その1) 公開日:2007年11月18日 インド 太田述正コラム#1769(2007.5.15) <セポイの反乱(その1)>(2007.11.18公開) 1 始めに セポイの反乱をとりあげた、英国人歴史家・紀行作家・ジャーナリストであるダリンプル(William Da […] 続きを読む
英国のインド統治がもたらしたもの(その2) 公開日:2007年9月21日 インド 太田述正コラム#1677(2007.3.1) <英国のインド統治がもたらしたもの(その2)>(2007.9.21公開) ムガール帝国のアウラングゼブ皇帝の1707年の死後、英東インド会社はたんまり賄賂を支払ったおかげで […] 続きを読む
英国のインド統治がもたらしたもの(その1) 公開日:2007年9月20日 インド 太田述正コラム#1673(2007.2.25) <英国のインド統治がもたらしたもの(その1)>(2007.9.20公開) 1 始めに このところ、支那とインドが高度経済成長を続けており、21世紀はアジアの世紀になると言 […] 続きを読む
英米すら日本に「誤った理解」を抱いている(その4) 公開日:2006年5月23日 インド 太田述正コラム#1252(2006.5.23) <英米すら日本に「誤った理解」を抱いている(その4)> 3 ワシントンポスト論考 次は、ワシントンポスト論考です。 正しくはこれは、世銀のエコノミストを経て現在ニュー […] 続きを読む
英米すら日本に「誤った理解」を抱いている(その3) 公開日:2006年5月23日 インド 太田述正コラム#1251(2006.5.23) <英米すら日本に「誤った理解」を抱いている(その3)> その反対に、インド独立に大して寄与しなかったガンジーは持ち上げられることになります。 つい最近も、英BBCのワシ […] 続きを読む
英米すら日本に「誤った理解」を抱いている(その2) 公開日:2006年5月22日 インド 太田述正コラム#1250(2006.5.22) <英米すら日本に「誤った理解」を抱いている(その2)> ここで一言申し上げておきます。 「インパール作戦(ウ号作戦)とは、1944年(昭和19年)3月から開始された日本陸 […] 続きを読む
英米すら日本に「誤った理解」を抱いている(その1) 公開日:2006年5月22日 インド 太田述正コラム#1249(2006.5.22) <英米すら日本に「誤った理解」を抱いている(その1)> 1 始めに アングロサクソン、就中英国は、日本の最大の理解者ですし、米国は日本の外交・安全保障を担っている日本の宗 […] 続きを読む
大英帝国論をめぐって(その4) 公開日:2005年10月7日 インド 太田述正コラム#894(2005.10.7) <大英帝国論をめぐって(その4)> (本篇は、10月5日に上梓しました。) (3)英国によるインドの搾取 19世紀以降、英国は米国及び英国人が多数移住したカナダ・豪 […] 続きを読む
大英帝国論をめぐって(その3) 公開日:2005年10月6日 インド 太田述正コラム#893(2005.10.6) <大英帝国論をめぐって(その3)> 2 大英帝国を「完成」させたインド (1)始めに 英国のインド亜大陸(以下、「インド」という)との関わりは、1600年に東インド会社が […] 続きを読む
インドとは何か(その4) 公開日:2005年7月7日 インド 太田述正コラム#781(2005.7.7) <インドとは何か(その4)> ウ 目を覆う健康水準 インドの基礎医療は(これまたケララ州等一部を除いて)全く機能していません。 ずる休みのために基礎医療センター(pri […] 続きを読む
インドとは何か(その3) 公開日:2005年7月6日 インド 太田述正コラム#780(2005.7.6) <インドとは何か(その3)> 3 インドの現状 (1)始めに センが、独立後の自由・民主主義国家インドでは、英領インド帝国時代と違って餓死は根絶されたけれど、英領インド時代 […] 続きを読む
インドとは何か(その2) 公開日:2005年7月5日 インド 太田述正コラム#778(2005.7.5) <インドとは何か(その2)> (3)英植民地統治 このような議論と寛容の伝統があったところに、英国の植民地になったことで英国の自由・民主主義の影響を受け、また、英国統治下の […] 続きを読む
インドとは何か(その1) 公開日:2005年7月4日 インド 太田述正コラム#777(2005.7.4) <インドとは何か(その1)> (コラム#776を若干拡充して私のHPに再掲載してあります。) 1 始めに インドはヒンズー教原理主義化しつつあったところ、昨年の総選挙で国民 […] 続きを読む
新悪の枢軸:インド篇(その7) 公開日:2005年3月22日 インド 太田述正コラム#0667(2005.3.22)<新悪の枢軸:インド篇(その6)> (コラムの購読者数が、11日時点の1204名から更に減って1200名になっており、危機的状況が続いています。来月10日に私のホームページ […] 続きを読む
インドの政変(その2) 公開日:2004年5月20日 インド 太田述正コラム#0355(2004.5.20)<インドの政変(その2)> (前回のコラムの冒頭部分等での事実の誤りを訂正してホームページに再掲載してあります。) 当選者数に目を奪われず、得票率を見れば、このことは明らか […] 続きを読む
インドの政変(その1) 公開日:2004年5月19日 インド 太田述正コラム#0354(2004.5.19)<インドの政変(その1)> 1 インド総選挙の結果 先般のインドの総選挙では、事前のあらゆる世論調査や評論家の予想を覆してBJPを中心とする与党連合が敗北し、国民会議派(In […] 続きを読む
新悪の枢軸:インド篇(その6) 公開日:2004年4月10日 インド 太田述正コラム#0315(2004.4.10)<新悪の枢軸:インド篇(その6)> (本篇は、形式的にはコラム#288の続きですが、実質的にはコラム#286の続きです。) 4 民主主義はインドの長所か (1)アマルティ […] 続きを読む
新悪の枢軸:インド篇(その5) 公開日:2004年3月14日 インド 太田述正コラム#0288(2004.3.14)<新悪の枢軸:インド篇(その5)> 茶飲み話2:クリケット イギリスが世界の旧植民地に残した遺産として、もっとも顕著なものの一つがクリケット競技です。このたび、殆ど15年ぶ […] 続きを読む
新悪の枢軸:インド篇(その4) 公開日:2004年3月13日 インド 太田述正コラム#0287(2004.3.13)<新悪の枢軸:インド篇(その4)> ここでちょっと休憩をしましょう。 茶飲み話1:インドの思い出 (1)暑さ 読者の中に、インドを訪れたことのある方はおられるでしょうか。 […] 続きを読む
新悪の枢軸:インド篇(その3) 公開日:2004年3月12日 インド 太田述正コラム#0286(2004.3.12)<新悪の枢軸:インド篇(その3)> そうではない、と思った方がよさそうです。 ポイントは、BJPがまだインドの中央政治で地歩を固めきっていないところにあります。 1999年 […] 続きを読む
新悪の枢軸:インド篇(その2) 公開日:2004年3月11日 インド 太田述正コラム#0285(2004.3.11)<新悪の枢軸:インド篇(その2)> (前号に書き忘れましたが、ホームページの掲示板でもお知らせしたように、私のホームページへの訪問者数が2月11日??3月10日は14,58 […] 続きを読む
新悪の枢軸:インド篇(その1) 公開日:2004年3月10日 インド 太田述正コラム#0284(2004.3.10)<新悪の枢軸:インド篇(その1)> 1 インドの可能性 インドは、冷戦の終焉を契機に、初代首相のネールが採択したイギリス直輸入のフェビアン流社会主義の体制(注1)から、(政 […] 続きを読む
マハトマ・ガンジー 公開日:2003年10月24日 インド 太田述正コラム#0176(2003.10.24)<マハトマ・ガンジー> (前回のコラム#175に注3を加え、かつミスプリ等を直したものをホームページ(http://www.ohtan.net)の時事コラム欄に再掲載して […] 続きを読む
マザー・テレサ 公開日:2003年10月23日 インド人物研究 太田述正コラム#0175(2003.10.23)<マザー・テレサ> (コラム#173に二つの注を付け加えてホームページ(http:/www.ohtan.net)の時事コラム欄に再掲載してあります。ご参照ください。) 1 […] 続きを読む
印パの緊張緩和 公開日:2002年10月19日 インドパキスタン 太田述正コラム#0068-2(2002.10.19)<印パの緊張緩和> 10月16日にインドが、パキスタンとの国境に終結させていた75万人に及び陸軍兵力の一部を撤退させると発表したところ、その翌日にパキスタンもこのイン […] 続きを読む
印パのにらみあい(その3) 公開日:2002年1月20日 インドパキスタン 太田述正コラム#0014印パのにらみあい(その3) そもそも、なにゆえ、我々は印パの動向に重大な関心を寄せるべきなのでしょうか。 その第一の理由は、印パ両国とも親日国であるからです。 私はかつて、「・・<1988年に> […] 続きを読む
印パのにらみあい(その2) 公開日:2002年1月10日 インドパキスタン 太田述正コラム#0010印パのにらみあい(その2) ところで、私自身は、当初から印パが本格的な軍事衝突に至る可能性は殆どないと見ていました。その理由は沢山ありますが、その最大の理由の一つがパキスタンのムシャ […] 続きを読む
印パのにらみあい(その1) 公開日:2002年1月9日 インドパキスタン 時事コラム 2002年1月9日 太田述正コラム#0009印パのにらみあい(その1) 昨年の12月13日に起こった、テロリストによるインド国会襲撃事件を契機に、印パ両国が一触即発の状況になっています […] 続きを読む