モンゴルの遺産(キルギスタン革命) 公開日:2005年3月26日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0671(2005.3.26)<モンゴルの遺産(キルギスタン革命)> (本篇は、実質的にはコラム#668の続きです。) 1 あっという間に革命成就 3月22日の段階では、新たに、南部の三つ目の州都の庁舎 […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その10) 公開日:2005年3月23日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0668(2005.3.23)<モンゴルの遺産(その10)> (これは、モンゴルの遺産シリーズ(コラム#626、633??637、643、658、659)の完結編であると同時に、このうちのコラム#643 […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その9) 公開日:2005年3月14日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0659(2005.3.14)<モンゴルの遺産(その9)> (3)モンゴルの遺産の第二:オスマントルコ ア 欧州の病人? 欧州の病人(Sick man of Europe)(注15)、と呼ばれながらも […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その8) 公開日:2005年3月13日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0658(2005.3.13)<モンゴルの遺産(その8)> ・・特別篇:トルコ・・ (1)問題意識 慧眼の読者はお気づきになっているかと思いますが、この「モンゴルの遺産」(コラム#626、633??63 […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その7) 公開日:2005年2月27日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0643(2005.2.27)<モンゴルの遺産(その7)> 実際、昨年立て続けにグルジアとウクライナで自由・民主主義が平和革命の形で確立したことは記憶に新しいところです(注13)が、旧ソ連圏で次に自由・ […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その6) 公開日:2005年2月22日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0637(2005.2.22)<モンゴルの遺産(その6)> とはいえ、内戦の被害は甚大であり、公表されたばかりのアフガニスタンの人間開発指数(注9)は調査された178カ国中173番目であり、アフガニスタン […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その5) 公開日:2005年2月21日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0636(2005.2.21)<モンゴルの遺産(その5)> ロヤ・ジルガは、アフガニスタンにおいて、パシュトン族・タジク族・ハザラ族・ウズベク族の長老等が一堂に会して、部族間の争い・社会改革・憲法等につい […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その4) 公開日:2005年2月20日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0635(2005.2.20)<モンゴルの遺産(その4)> チョイバルサンが1952年にソ連で病死すると、跡を襲ったツェデンバル(Yumjaagiyn Tsedenbal。1916??1991年)は196 […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その3) 公開日:2005年2月20日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0634(2005.2.20)<モンゴルの遺産(その3)> モンゴルは、清の崩壊後の混乱に乗じて、ソ連の後見の下、1924年にモンゴル人民共和国として独立を果たします。1928年に、ソ連によってモンゴルの […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その2) 公開日:2005年2月19日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0633(2005.2.19)<モンゴルの遺産(その2)> 3 モンゴル・イスラム・民主主義 (1)イスラム ここで、モンゴルとイスラムとの違いを民主主義の観点から押さえておきましょう。 イスラムにもシ […] 続きを読む
モンゴルの遺産(その1) 公開日:2005年2月12日 モンゴル帝国 太田述正コラム#0626(2005.2.12)<モンゴルの遺産(その1)> 1 始めに 以前(コラム#346で)「モンゴルは帝国内において、(中央政府の利益に反する場合を除き、地域ごとの法の多様性を許す形での)法の支配を […] 続きを読む