バシャール・アサドの禍機(その2) 公開日:2005年10月31日 未分類 太田述正コラム#929(2005.11.1) <バシャール・アサドの禍機(その2)> (2)シリア政府の対応 シリア政府は、きたるべき国連による経済制裁に備えて、いくつかの消費財を配給制にする検討を始めるとともに、国 […] 続きを読む
靖国神社問題の総括 公開日:2005年10月31日 靖国神社 太田述正コラム#928(2005.10.31) <靖国神社問題の総括> 1 問題の所在 靖国神社参拝問題を改めて取り上げてからの大方の読者の反応を見ていますと、外国からのA級戦犯合祀批判に反論している限りでは大いに関心 […] 続きを読む
シェークスピアをめぐって(その3) 公開日:2005年10月30日 人物評価 太田述正コラム#927(2005.10.31) <シェークスピアをめぐって(その3)> (本篇は、コラム#917の続きです。) この説は、アスキス(Clare Asquith)(注8)という女性が、今年上梓する予定の […] 続きを読む
バシャール・アサドの禍機(その1) 公開日:2005年10月29日 未分類 太田述正コラム#926(2005.10.30) <バシャール・アサドの禍機(その1)> 1 メヘリス・レポート 国連の委嘱を受けて、レバノンの元首相のハリリ(Rafiq Hariri)爆殺事件(コラム#652、656、 […] 続きを読む
米原子力空母の横須賀配備 公開日:2005年10月28日 未分類 太田述正コラム#925(2005.10.29) <米原子力空母の横須賀配備> 1 始めに 私が米原子力空母の横須賀配備問題を提起したのは、二年前の2月のこと(コラム#99)でしたが、ついにこの件について、日米政府間で合 […] 続きを読む
イランの挑発 公開日:2005年10月27日 未分類 太田述正コラム#924(2005.10.28) <イランの挑発> 1 始めに 10月26日、イランのアフマディネジャド(Ahmadi-Nejad。以下「アフマ」と言う)大統領は、国営TVで放映された演説の中で、「イスラ […] 続きを読む
ガーディアンの靖国神社ブログ(その7) 公開日:2005年10月26日 靖国神社 太田述正コラム#923(2005.10.27) <ガーディアンの靖国神社ブログ(その7)> (靖国神社問題をめぐって、HPの掲示板上で様々なやりとりがなされていますので、ご参照下さい。) 5 今後の展望 (1)収束に […] 続きを読む
ガーディアンの靖国神社ブログ(その6) 公開日:2005年10月25日 靖国神社 太田述正コラム#922(2005.10.26) <ガーディアンの靖国神社ブログ(その6)> 日本軍と共に戦ったと言えば、大戦におけるチャンドラ・ボース(Subhash Chandra Bose。1897?1945年。コ […] 続きを読む
ガーディアンの靖国神社ブログ(その5) 公開日:2005年10月24日 靖国神社 太田述正コラム#921(2005.10.25) <ガーディアンの靖国神社ブログ(その5)> (4)祭神問題 今度は、祭神の問題です。 靖国神社は、戊辰戦争での官軍の死者を祀るところから出発したわけですが、私はかねて […] 続きを読む
ガーディアンの靖国神社ブログ(その4) 公開日:2005年10月23日 靖国神社 太田述正コラム#920(2005.10.24) <ガーディアンの靖国神社ブログ(その4)> 私が靖国神社を、従って遊就館を訪問したのは随分以前であり、その時には近代史観が展開されていたという記憶がないのですが、最近遊就 […] 続きを読む
ガーディアンの靖国神社ブログ(その3) 公開日:2005年10月23日 靖国神社 太田述正コラム#919(2005.10.23) <ガーディアンの靖国神社ブログ(その3)> 4 どうして私は靖国に行くことに余り気乗りしないのか (1)始めに ガーディアン・ブログで、私は二度にわたって「私は靖国に行 […] 続きを読む
ガーディアンの靖国神社ブログ(その2) 公開日:2005年10月22日 靖国神社 太田述正コラム#918(2005.10.22) <ガーディアンの靖国神社ブログ(その2)> 3 その後の成り行き (1)ブログ突然閉鎖? 20日の時点で、私のホームページの掲示板で、ガーディアンの靖国神社ブログ(ht […] 続きを読む
シェークスピアをめぐって(その2) 公開日:2005年10月21日 人物評価 太田述正コラム#917(2005.10.21) <シェークスピアをめぐって(その2)> 2 シェークスピアの作品の隠れたモチーフ (1)謎の人、シェークスピア シェークスピアはシェークスピアだ、という立場に立つとして […] 続きを読む
シェークスピアをめぐって(その1) 公開日:2005年10月20日 人物評価 太田述正コラム#916(2005.10.20) <シェークスピアをめぐって(その1)> 1 シェークスピアの正体 今回は、ちょっと息抜きをしましょう。 私は、以前(コラム#88で)「シェークスピアの詩人、劇作家としての […] 続きを読む
ガーディアンの靖国神社ブログ(その1) 公開日:2005年10月19日 靖国神社 太田述正コラム#915(2005.10.19) <ガーディアンの靖国神社ブログ(その1)> (昨夜遅くから本日にかけて、急にメーリングリスト登録者数が増えたのですが、一体どうしたのでしょうか。) 1 始めに 小泉首相 […] 続きを読む
冷戦終焉後、世界は平和になった 公開日:2005年10月18日 未分類 太田述正コラム#914(2005.10.18) <冷戦終焉後、世界は平和になった> 1 始めに 冷戦が終焉を迎えた1989年直後、防衛庁はいかなる国際情勢観を打ち出すか頭を悩ませていました。防衛力整備を続けるのに、冷戦 […] 続きを読む
発展途上国中共 公開日:2005年10月17日 未分類 太田述正コラム#913(2005.10.17) <発展途上国中共> (14日に、私のHPの掲示板に、掲げた「呼びかけ」を、再録します。 このところ、<掲示板への>投稿が殆どなくなっています。コラムの内容について、皆さ […] 続きを読む
ペロポネソス戦争(その5) 公開日:2005年10月17日 未分類 太田述正コラム#912(2005.10.17) <ペロポネソス戦争(その5)> B アテネ帝国の成立 a デロス同盟 ペルシャ戦争にギリシャ側は勝利したと言っても、ペルシャとの間に小競り合いは続きました。そこで、勝 […] 続きを読む
ペロポネソス戦争(その4) 公開日:2005年10月16日 未分類 太田述正コラム#911(2005.10.16) <ペロポネソス戦争(その4)> c アテネの民主主義成立まで ペリクレスの弔辞(コラム#909)からも窺えるように、アテネの市民は、自分達の政体が、ギリシャの他のポリスに […] 続きを読む
ペロポネソス戦争(その3) 公開日:2005年10月16日 未分類 太田述正コラム#910(2005.10.16) <ペロポネソス戦争(その3)> <補注:自由・民主主義的/帝国主義的アテネについて> A 民主主義アテネの成立 a アテネの民主主義の概要 まず、委員会(Council […] 続きを読む
ペロポネソス戦争(その2) 公開日:2005年10月15日 未分類 太田述正コラム#909(2005.10.15) <ペロポネソス戦争(その2)> (2)自由・民主主義 ペロポネソス戦争が始まってから1年経った時、アテネの戦死者の合同葬儀が行われ、アテネの政治的・軍事的指導者であった […] 続きを読む
ペロポネソス戦争(その1) 公開日:2005年10月14日 未分類 太田述正コラム#908(2005.10.14) <ペロポネソス戦争(その1)> 1 始めに ペルシャ戦争(三回に分けて、前492年?479年)やアレキサンダー大王による征服(前334年?前323年)については、これまで […] 続きを読む
メディア・中立性・客観性(その2) 公開日:2005年10月14日 未分類 太田述正コラム#907(2005.10.14) <メディア・中立性・客観性(その2)> (本篇で引用されているコラム#350と#861の中で選挙に言及した箇所に誤りがあったので、HPとブログ(#851のみ)を訂正してあ […] 続きを読む
メディア・中立性・客観性(その1) 公開日:2005年10月13日 未分類 太田述正コラム#906(2005.10.13) <メディア・中立性・客観性(その1)> 1 始めに 私は英米のメディアが、日本のメディアとは違って、精力的に中共の暗部についても取材し、報道していることにかねてから敬意を […] 続きを読む
一党支配日本の先進性 公開日:2005年10月12日 未分類 太田述正コラム#905(2005.10.12) <一党支配日本の先進性> (10日までの一ヶ月間の、太田HP・ブログへのアクセス状況等について、HPの掲示板に掲げてあるので、ご参照下さい。) 1 始めに 以前から、英 […] 続きを読む
六カ国協議の「進展」をめぐって(その8) 公開日:2005年10月12日 未分類 太田述正コラム#904(2005.10.12) <六カ国協議の「進展」をめぐって(その8)> (本篇は、10月10日に上梓しました。) ウ 英軍とシーア派民兵との確執 今年1月の州議会議員選挙の結果、ファディラ党(F […] 続きを読む
六カ国協議の「進展」をめぐって(その7) 公開日:2005年10月11日 未分類 太田述正コラム#903(2005.10.11) <六カ国協議の「進展」をめぐって(その7)> (前回コラムで、ブッシュ演説の日付を誤記していました。正しくは10月4日です。HP・ブログ訂正済み。) 米ブッシュ政権が、 […] 続きを読む
六カ国協議の「進展」をめぐって(その6) 公開日:2005年10月11日 未分類 太田述正コラム#902(2005.10.11) <六カ国協議の「進展」をめぐって(その6)> (本篇は、10月9日に上梓しました。) 以上からすれば、米国は軍事攻撃の対象として、シリアをイランより優先させる可能性が高 […] 続きを読む
六カ国協議の「進展」をめぐって(その5) 公開日:2005年10月10日 未分類 太田述正コラム#901(2005.10.10) <六カ国協議の「進展」をめぐって(その5)> (5)シリア いささか旧聞に属しますが、今年の2月16日、シリアとイランは、イランを訪問していたシリア首相のイランの副大統領 […] 続きを読む
現在のイラクの混迷の原因(その2) 公開日:2005年10月10日 未分類 太田述正コラム#900(2005.10.10) <現在のイラクの混迷の原因(その2)> (本篇は、10月8日に上梓しました。) 5 拙劣の極みだった米国のイラク戦後政策 (1)どうすべきだったのか 日本の明治維新は […] 続きを読む
六カ国協議の「進展」をめぐって(その4) 公開日:2005年10月9日 未分類 太田述正コラム#899(2005.10.9) <六カ国協議の「進展」をめぐって(その4)> 米ブッシュ政権にとってのイラクがらみの懸念材料は、見通しうる将来にかけて不穏分子の根絶は不可能であることが明らかになったことや […] 続きを読む
現在のイラクの混迷の原因(その1) 公開日:2005年10月9日 未分類 太田述正コラム#898(2005.10.9) <現在のイラクの混迷の原因(その1)> 1 始めに 前回のコラム(#897)で述べたような状況にイラクはどうして陥ってしまったのでしょうか。 牽強付会であるとお叱りを受けるか […] 続きを読む
六カ国協議の「進展」をめぐって(その3) 公開日:2005年10月8日 未分類 太田述正コラム#897(2005.10.8) <六カ国協議の「進展」をめぐって(その3)> (本篇は、コラム#875の続きです。) 約3万人と目されるイラクの不穏分子は、もっぱら反米ナショナリストたるスンニ派アラブ人 […] 続きを読む
大英帝国論をめぐって(特別編)(その2) 公開日:2005年10月8日 未分類 太田述正コラム#896(2005.10.8) <大英帝国論をめぐって(特別編)(その2)> (本篇は、10月6日に上梓しました。) 2 ラムのために起きた米独立革命 (1)二つの三角貿易 当初、英国による三角貿易( […] 続きを読む
大英帝国論をめぐって(特別編)(その1) 公開日:2005年10月7日 未分類 太田述正コラム#895(2005.10.7) <大英帝国論をめぐって(特別編)(その1)> 1 大英帝国の離陸とコーヒー (1)始めに 「紅茶やコーヒーを飲用する習慣がまず英本国で、次いで欧州で定着し、砂糖の需要 […] 続きを読む
大英帝国論をめぐって(その4) 公開日:2005年10月7日 インド 太田述正コラム#894(2005.10.7) <大英帝国論をめぐって(その4)> (本篇は、10月5日に上梓しました。) (3)英国によるインドの搾取 19世紀以降、英国は米国及び英国人が多数移住したカナダ・豪 […] 続きを読む
大英帝国論をめぐって(その3) 公開日:2005年10月6日 インド 太田述正コラム#893(2005.10.6) <大英帝国論をめぐって(その3)> 2 大英帝国を「完成」させたインド (1)始めに 英国のインド亜大陸(以下、「インド」という)との関わりは、1600年に東インド会社が […] 続きを読む
大英帝国論をめぐって(その2) 公開日:2005年10月6日 未分類 太田述正コラム#892(2005.10.6) <大英帝国論をめぐって(その2)> (本篇は、コラム#883の続きです。) (3)搾取の構図 カリブ海の西インド諸島で栽培された砂糖・タバコ・米等の熱帯性商品作物が英本 […] 続きを読む
中共に変化の兆し?(続)(その8) 公開日:2005年10月5日 未分類 太田述正コラム#891(2005.10.5) <中共に変化の兆し?(続)(その8)> (2)胡錦涛政権の国内政策に苦言を呈した米国 9月21日にゼーリック(Robert B. Zoellick)米・アジア太平洋担当国務 […] 続きを読む
中共に変化の兆し?(続)(その7) 公開日:2005年10月4日 未分類 太田述正コラム#890(2005.10.4) <中共に変化の兆し?(続)(その7)> 6 今後の展望 (1)胡錦涛政権の危なっかしい対外政策 以上、胡錦涛政権による、アクセルとブレーキを同時に踏む国内政策の趣旨は理解で […] 続きを読む
神道と憲法 公開日:2005年10月3日 靖国神社 太田述正コラム#889(2005.10.3) <神道と憲法> 1 首相靖国参拝大阪高裁違憲判決 小泉純一郎首相の靖国神社参拝は憲法違反であり、精神的苦痛を受けたとして、台湾人188人が国と首相、靖国神社に損害賠償を求めた […] 続きを読む
中共に変化の兆し?(続)(その6) 公開日:2005年10月2日 未分類 太田述正コラム#888(2005.10.3) <中共に変化の兆し?(続)(その6)> ウ 党中央の守旧派との抗争 中共の現実質ナンバー2である、党政治局常任委員会(Politburo Standing Committe […] 続きを読む
中共に変化の兆し?(続)(その5) 公開日:2005年10月2日 未分類 太田述正コラム#887(2005.10.2) <中共に変化の兆し?(続)(その5)> 5 矛盾とその解明 (1)矛盾 以上見てきたように、胡錦涛政権には、良い方向への変化の兆しが見られる一方で、反動的な動きも見られる […] 続きを読む
中共に変化の兆し?(続)(その4) 公開日:2005年10月1日 未分類 太田述正コラム#886(2005.10.1) <中共に変化の兆し?(続)(その4)> 4 逆コース (1)始めに 胡錦涛政権下の中共では、以上ご紹介してきたような良い方向への変化の兆しが見られる一方で、反動的な動きも見 […] 続きを読む
中共に変化の兆し?(続)(その3) 公開日:2005年10月1日 未分類 太田述正コラム#885(2005.10.1) <中共に変化の兆し?(続)(その3)> (本篇は、9月29日に上梓しました。) <補足> ある読者から、 「<中共に変化の兆し?(続)(その2)>に、孔子の再評価が出ていま […] 続きを読む