1
管理人 ★
2013/06/30(日) 18:40:40 ID:kanrinin
92
岩国太郎
2014/01/27(月) 08:10:42 ID:HdUcGULV
福岡オフでは、お世話になりました。
大田さん遠く福岡までありがとうございました
幹事様ありがとうございました。参加された方々と御縁を頂戴しまして
とてもうれしく思っております。
今後ともよろしくお願いします。
93
はま
2014/01/28(火) 03:17:29 ID:suTu0ifl
『--日本の世界史的使命/「アーロン収容所」再読(その15)--』の配信ありがとうございました。
太田さんのコラムを長年読んできて、考え方が変わってきてるとは感じていましたが、忙しい時には全く読めない日々もありますし、明確に軌跡をたどれていたわけではなかったので、大変助かりました。太田さん自身も、そうとは意識していなかった時期もあるというのも納得でした。
太田さんのエスノセントリズム的人間主義礼賛に対する欧米からの批判としては、「他人の好意をあてにするような人間関係は幼稚だ」というものが考えられます。また相手の事情を察して適当なところで妥協するなんてことは大の男のすることではなく、コンフォーミストだと非難、軽蔑されるかと思います。他人(や動物)を自分と同等に扱うなどというのは、恥だとさえ思っているのではないでしょうか。弱者(クジラとかチベット人とか)救済というエリート意識は大いに発揮しても。
こういった個人主義に反撃するには、日本が勝ち続ける以外なかったように思いますが、第二次大戦で鬼畜米英に負けてしまいました。まさに相手が鬼畜であり、人種差別主義者で原爆も平気で落とすようなメンタリティだったから負けました。負けが確定したあと、どのように負けるかということで、アメリカに降伏する方がソ連よりましという選択はかろうじてでき、天皇制(国体)はなんとか守ることができたのでしょう。
だから太田さんのおっしゃる人間主義礼賛には私も大賛成するものですが、日本が戦争に負けたからには、それはエスノセントリズムでしかないという扱いを受けても、むべなるかなという、そういう状況ではないでしょうか。
皆さんとディスカッション(続x2158)
>日本から見りゃ、「邪悪かつ残忍」で「モラルが違いすぎる」国ばっかしなんだよ。 >そん中で相対的にマシなのと組むしかないってこと。 あまりにも日本人中心の身勝手すぎる言い分
皆さんとディスカッション(続x2142)
>黒人の入獄率が白人と同じだったとすると、米黒人の人口は6億人いないとおかしい。米黒人が人類史上最も凶悪な人々だってことになる。 入獄率が異常に高い事で黒人差別があるというなら日本人よりも3倍から5倍検挙されている在日コリアンへの差別も同じく深刻といえますね
在日コリアンの検挙率が日本人と同じであった場合、日本の人口は何億人となるのでしょうか?
http://web2.nazca.co.jp/midorinosono/ >大都会のあぶれ者男性の場合、警官に呼び止められただけで投票率は下がるが、それが逮捕された場合は更に下がり、裁判で有罪になると更に下がり、入獄すると更に下がる。(つまり、黒人の政治参加率は低いまま推移せざるをえず、差別撤廃は進まない。) 日本において在日コリアンは参政権自体が認められておらず、政治参加が高い低い以前に排除されているのです
邪悪かつ残忍な国家とは日本の様な国家の事をいうのではないですか?
>材料としちゃ、在日コリアンを持ち出すより在日支那人を持ち出した方がよかったね。
そのソースはコリアンよりも中国人が差別されている事を意味するので、日本が邪悪な国である事を示していますよ
それに支那人ではなく中国人です!蔑称を使うのは止めましょう
その様な言葉を使う事によって中国人がどんな気持ちになるのか考えられないのですか?
他人の嫌がる事はするべきではありません
>(なお、「在日コリアンの検挙率が日本人と同じであった場合、日本の人口は何億人となるのでしょうか?」って君の問いかけは、私の文章を誤読しているから、としか考えられないね。)
黒人の摘発や入獄に偏りがあるのが人種差別であるなら、在日コリアン(中国人でも構いません)の摘発や入獄に偏りがあるのも人種差別となります
何を根拠に違うというのですか?
コリアン(中国人)だからですか?
それをセカイでは人種差別というのです
過去の歴史では差別主義者が勝者となってしまう悲しい歴史がありました
しかし今のセカイでは人種差別は悪とされ差別主義者が勝つ事は無いのです
南アフリカやアメリカでの人種隔離政策を撤廃に追い込んだのです
そうであるからこそ靖国参拝で今の日本がセカイから孤立しているのです
>これで話は終しまい
勝手に対話を打ち切って勝利宣言をするのもいいでしょう
ですがセカイでは私が勝っているという事実は記しておきます
日本にマンデラが誕生する事を切に願いまして話は本当に終しまい
96
名無しさん@安全保障
2014/02/02(日) 17:01:47 ID:PJuE3NDd
97
名無しさん@安全保障
2014/02/04(火) 19:50:09 ID:exlruF5U
太田述正コラム#0607(2005.1.27)
<2島返還で、北方領土問題解決を(続々)>
のブログ上の記事が途中で途切れています。
98
名無しさん@安全保障
2014/02/10(月) 23:21:30 ID:phae9+mm
新規スレッドで雑談スレとかオフスレくらいはあったらいいかなーと思っております。
99
YT
2014/02/11(火) 16:16:15 ID:fXEJn5l+
デンマークネタがでましたが、デンマークってナチスに圧迫された
弱小国家ってイメージですが、元々は、スカンジナビア半島から
グリーンランドまでを制覇した、バイキングの本拠地ですから、
尚武の国なんですよね。クジラを取ったり、キリンを切り刻むなんて
お手のものですよ。
100
てんてこまん
2014/02/17(月) 17:11:25 ID:euWyhlaE
ディスカッションで「中国の同業者(家具製造)は..........愚痴を言う人もいなくて会話も弾み楽しい社会だそうだ。」という話で思い出したのは藤原正彦さんの本に書いてあったこと。
彼は数学者として欧米の多くの国々に研究や留学で滞在したそうだけど、友人同士ですら「最近は疲れたなあ」なんて弱音を吐く姿はポルトガル以外では見なかったそうな。
愚痴が言えるというのは「人間主義」社会だからこそではないでしょうか?まあ、甘えもほどほどじゃないといけないけど。
アメリカなんかだと奥さんにさえ仕事の愚痴は言えないと多くの本(精神科医の北山修さんや「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のマイケル・J・フォックスの「ラッキー・マン」など)に書いてあったなあ。
101
陳
2014/02/25(火) 23:28:53 ID:9ukOIe4i
102
太田述正
2014/02/26(水) 22:47:38 ID:LVkNV+90
それぞれ、本社の日本記事執筆方針に従ってるだけかもしれませんよ。
103
名無しさん@安全保障
2014/02/28(金) 11:02:59 ID:p8kD0HNI
>長年日本に住んでいながら日本を貶る記事を書く理由が説明できないのでは。
私の仮説→多様な日本人と接していない人間は結局、人間主義に接する機会が少ない→人間主義者になりにくい。お示しの経済紙の特派員記者の特性はよくわからんが、マクロ経済分析のみならばメディア情報に接したり統計を分析したりするだけで済む。
最初から日本に興味が無い人間なら
必要がなければ生の日本人と接触が求めない。
ただもし仮に日本の地方の中小企業をアナライズするのが仕事の証券アナリストとか、必要性があって日本人と接触せざるを得ないなら仕事で来た外国人でも人間主義に気づく事があるんじゃないかの?
小泉八雲のように
104
まとめ79
2014/03/01(土) 15:36:52 ID:wUudNGVr
やなせたかしさんはじめ、人間主義者は長生き?
「銃殺される自由」を堅持するアメリカや電気すら満足に
使えない北朝鮮とは対遮的な日本が低ストレス社会であることが一因とは思います。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140228-00000028-mai-soci まど・みちおさんの代表作の一つ「ぞうさん」(作曲・団伊玖磨)は、1952年にNHKラジオで初放送され、瞬く間に国民的愛唱歌となった。
この歌詞の意図についてまどさんは後年、詩人で小説家の阪田寛夫氏(故人)の問いに答えて、「ぞうに生まれてうれしいぞうの歌」と説明した(「まどさんのうた」阪田氏著、童話屋
105
名無しさん@安全保障
2014/03/08(土) 22:22:43 ID:7gyl0c0e
106
陳
2014/03/08(土) 22:44:20 ID:WepxL9y3
107
女性読者として
2014/03/10(月) 10:57:17 ID:AUJCSGeD
↓これを読んでとても嬉しかったです。
これまでずっと、主婦が差別されて家庭に押し込められてるという考え方にどうしても納得がいかなかったからです。
主婦や家事手伝いの女性に「お前らも働け!」というのも正しいし、「お金に余裕がありすぎるんだね、うらやましい」というのもまともでしょう。
「お金が足りない」か「どうしてもしたいことがある」女性は働くんですし。
>もともと日本は女性優位の男女同権・共同参画の社会なんだが、先の大戦で、
政府が、女性を兵士にせず、生めや増やせよの担当としたことを奇貨と し、日
本の女性は、戦後も政治や実業の前線に男だけを送り込み、家庭で主婦として財
布を預かり、これら男達から搾取する地位に安住してきた・・最 近の結婚しな
い女性は、実家の父親を搾取している・・ということなんだ、と最近考えるに
至った。
これは実にひどい話で、女性達は、子供はつくらないわ、家事は電化等で楽に
なるわ、であるというのに、この地位を死守して手放そうとしないんだ な。
だから、マジ、日本の男性達は、自分達の地位向上のためのゼロストを敢行
し、女性に意識改革を迫る必要がある。
そして、これと並行して、政治家や企業幹部に女性を登用するクォータ制を導
入し、しぶる女性達の尻をぶったたいて政治や実業の前線に送り込む必 要がある。
108
女性読者として
2014/03/10(月) 12:06:06 ID:AUJCSGeD
あとイギリス。
フランスの田舎に教師の嫁として5年位住んだことがありますが、こんな酷い差別的な扱いは一度もなかった。というかどんな差別も感じたことなかった。なさすぎてびっくりした位。
>「田舎で外国人を見たことの無い文字どおりの「田舎モン」の英人。
未だに人種差別は酷く、通勤でクソガキに「国に帰れ!」と言われて雪をぶつ
けられる。
「アジア人にクレジットカードを触られたくない」の罵る老人等。
109
名無しさん@安全保障
2014/03/30(日) 21:30:03 ID:1YWuqc/z
太田様、<皆さんとディスカッション(続x2212)>内の「・・・韓国外交部「容認できない」・・・」のリンク、間違っておられないでしょうか?
110
太田述正
2014/03/30(日) 21:56:16 ID:rhyi0Tms
サンキュー。
ブログを直しておきました。
111
globalyst
2014/04/08(火) 17:08:54 ID:heiMsG/L
>ASROCで前者を仕留めることができます。(太田。コラム#6862) 細かいことですが、アスロックは水上艦搭載の兵装で、潜水艦にアスロックは搭載されません。
Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/アスロック アスロック(Anti Submarine ROCket、ASROC)は、アメリカ合衆国が開発した艦載用対潜ミサイル(SUM)
運用国と装備艦艇[編集]
海上自衛隊
こんごう型ミサイル護衛艦
むらさめ型汎用護衛艦
たかなみ型汎用護衛艦
あたご型ミサイル護衛艦
ひゅうが型ヘリコプター護衛艦
あきづき型汎用護衛艦(1番艦のみ)
112
太田述正
2014/04/08(火) 17:43:51 ID:Q+AXcdwd
ご指摘の通り。
ASROCは魚雷でなきゃいけませんでした。
もっとも、同じ魚雷発射管から、
対艦ミサイル(ハープーン)も魚雷も
発射されるのですから、潜水艦搭載
ASROCができてもよさそうなものですが
・・。
113
名無しさん@安全保障
2014/04/14(月) 23:45:48 ID:e4+eeTdF
>そもそも、彼のように、美術専門学校卒(ウィキペディア上掲)の監督というのはめずらしいのでは? 社会学者・映画評論家の宮台真司は専門学校卒の映画監督が増えてる事を指摘しているので、必ずしも珍しくないのでは?↓
作り手側の特徴は〈監督の専門学校化〉です。僕は幾つかのコンペで審査員をやってきましたが、ここ数年の変化がすごい。・・・・別言すれば、専門学校出身者が多くなり、かつてのように学生運動あがりで観念的営みに淫したことのある東大・京大・早稲田のインテリが映画監督することも、なくなりました。
http://www.miyadai.com/?itemid=411
114
名無しさん@安全保障
2014/04/20(日) 07:17:24 ID:3HBW3M3X
(「たった一人の反乱(避難所)」の5J/iMIOo(コラム#6880)、hJ.gmqhc(コラム#6868)です。
あちらの掲示板への、これ以上のAcronisTrueImage等に関する投稿は、他の方のご迷惑にな
ると思い、こちらに投稿させて頂きます。こちらならば、太田さんがNGでなければ、OKだろ
うとの判断です。)
(私もAcronisTrueImageを完璧に理解しているわけではないので、一部間違い等があるかも
しれない点はご理解下さい。)
115
名無しさん@安全保障
2014/04/20(日) 07:22:06 ID:3HBW3M3X
1.AcronisTrueImageを使ったリカバリ方法について
リカバリには@ブータブルディスクを使う方法とAWindowsから行う方法の2種があります。
OSがクラッシュした時には@の方法を、OSが起動できる場合(悪質なアプリをインストール
してしまってアンインストールできない・意図しないOSの設定変更が行われて設定の戻し方
がわからない場合等)はAの方法を使うことになります。(Aの方法が取れる場合でも、@の
方法で行ってもOKです。)
@ブータブルディスクを使う方法
↓のページの「5.リカバリ」を参照してください。"2012版"の説明ですが"2014版"でもほぼ
同様です。
http://fromthree.ddo.jp/fromthree/PcTech/Backup/TrueImage/TrueImage.html#00500 ただし、上記のページは
「パーティションを切っていないHDDへのパーティション単位」のリカバリ
を説明しています。太田さんが行うであろうリカバリは、
「ディスク全体」のリカバリ
(パーティション情報はバックアップファイルにあるので、パーティションを切る必要無)
もしくは
「パーティションが切ってあるHDDへのパーティション単位」のリカバリ
(パーティションは既に切られているので、パーティションを切る必要無)
になります。つまり、上記ページのパーティション操作は必要ありません。TrueImageが立ち
上がったら「ツールとユーティリティ」ボタンをクリックせずに、「リカバリ」ボタンor
「リカバリする」ボタンをクリックしてリカバリ作業に入ってOKです。
注1:WindowsとTrueImageのブータブルメディアとではドライブレター(C:,D:・・・)の割り
振りのルールが異なりますので、パーティション単位でのリカバリの際には注意して下さい。
注2:太田さんが直面する可能性がある大事故は、外付HDD/内蔵2台目HDDのバックアップファ
イルを内蔵2台目HDD/外付HDDにリカバリしてしまうことです。不安であればケーブルを抜く/
BIOSから無効にする措置をとってからリカバリ作業を行ってください。
AWindowsから行う方法
↓のリカバリの部分を参照して下さい。こちらも"2012版"の説明ですが"2014版"でもやはり
ほぼ同様です。
http://www.pc-master.jp/backup/acronis.html#recovery
116
名無しさん@安全保障
2014/04/20(日) 07:26:56 ID:3HBW3M3X
2.複数の”バックアップ(保護機能)”を走らせる
「"バックアップ”≒Windowsの保護機能」と思って下さい。そして、このソフトでは"バック
アップ(保護機能)"を複数走らせることができます。また、それぞれの”バックアップ(保護
機能)”にスケジュール(自動バックアップ設定)とバックアップスキーム(完全・増分・
差分バックアップ)を設定することができます。もちろん、手動でバックアップを取ることも
できます。
*完全・増分・差分バックアップの違いは、↓の図か、マニュアルP22-24を参照して下さい。
https://kb.acronis.com/ja/content/16852 (マニュアルは↓のAcronis True Image Homeからダウンロードして下さい。)
http://www.acronis.co.jp/support/documentation/ そして、マニュアルに
「詳しい知識のあるユーザー向け:システムディスクのバックアップを作成する最善の方法
は、Windowsの下ではなくブータブルメディアの下で作成することです。」(マニュアルP54)
「詳しい知識のあるユーザー向け:2〜3個の完全バックアップバージョンを作成し、異なる
ストレージデバイスに保存することをお勧めします。この方法で信頼性を大幅に高めること
ができます。」(マニュアルP54))
とあります。
(本来は、ブータブルメディアから1回は完全バックアップバージョンを取ってほしいので
すが、飛ばすことにして)
とりあえず、4月17日に作成した”バックアップ(保護機能)”1本だけでは不安なので、もう
1本作りましょう。4月17日と同じ要領で、ただし「保存先」は2台目の内蔵HDDに、「バックア
ップ名」を管理しやすいものに、「スケジュール」はOFF、「バックアップスキーム」を
差分にして、作成してみて下さい。(昨日コピペではなく、この方法を勧めるべきでした。も
ちろん新しい"バックアップ(保護機能)"を作成したら、昨日のコピペファイルは削除でOKです。
後述する3と4がバックアップファイルの大きさに影響しますので、一応3と4も目を通してみて
から行って下さい。)
以上でバックアップ体制の基礎が出来たことになると思いますので、後は太田さんの好みで
「スケジュール」「バックアップスキーム」等に変更を加えて下さい。
117
名無しさん@安全保障
2014/04/20(日) 07:33:42 ID:3HBW3M3X
3.クリーニングソフトについて
探しているソフトかどうかはわかりませんが、定番とされている不要ファイル削除ソフト
CCleaner→。
http://ccleaner.softonic.jp/ 確信はありませんが、AcronisTrueImageは一時ファイル等もバックアップしてしまうようです。
ですから、バックアップを取る前に上記ソフト等で不要なファイルを削除するようにして下さい。
また、バックアップ体制が整った後であれば、レジストリの掃除をレジストリのバックアップを
取ること無しに行ってもOKです。Windows環境がおかしくなったら、スマートな方法ではありませ
んが、HDD丸ごとリカバリしてしまえばよいわけですから。
118
名無しさん@安全保障
2014/04/20(日) 07:38:41 ID:3HBW3M3X
119
名無しさん@安全保障
2014/04/23(水) 10:41:11 ID:+eMVuD9u
120
globalyst
2014/04/23(水) 12:32:03 ID:su0TAuKB
“独立”する富裕層 〜アメリカ 深まる社会の分断〜
アメリカの自治体で<は>…「郡」から“独立”するCITY=「市」が相次いでいるのだ。独立運動の中心は高級住宅地に住む富裕層。…彼らは、自分たちで「市」の境界線を決め、州議会を動かし、住民投票を実施。法にのっとり独立を成し遂げている。…税収が少なくなった「郡」では、福祉サービスの予算を削減。貧困層が打撃を受けている。…
http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3488.html 利己主義的人間像(太田。コラム#6679)のホンネが相次いで現出するアメリカ。
121
globalyst
2014/04/23(水) 12:40:06 ID:su0TAuKB
人間主義礼賛論・・が米国で市民権を得る時は恐らく永久にやってこないだろう(太田)、と私も思う。
122
名無しさん@安全保障
2014/04/26(土) 23:12:22 ID:of/uG/be
123
名無しさん@安全保障
2014/05/06(火) 06:24:09 ID:LrLihK9C
・・・今回の被害者の親の「大人の言うことを聞いて死んだ子が間違っていたのか」という質問にしてもそうです。
この質問を発した韓国人は、「大人の言うことを聞いて死んだ子が間違っていた」とは微塵も思っていません。
それどころか、間違っているのは「大人の言うことを聞かずに生還した子」だという確信を持っているでしょう。
「大人の言うことを聞くなと教えなければならなかったのか」という質問にしても同じです。
「子供は大人の言うことを聞くべき」という、韓国では絶対不変の真理とも言える道徳を前提にして、
それを守った聖人か天使のような我が子が何故死ななければならなかったのかという不条理を指摘し断罪する
正義の化身の如き立場で、韓国社会を糾弾しているつもりなのでしょう。
ならば、被害者の親は一点非の打ち所のない過失ゼロの完全無欠な「被害者様」なのでしょうか。・・・
・・・自分は被害者の親だから被害者と同じ立場、つまり被害者そのものだから完璧に正しく非の打ち所なく、
一切の過失も責任も問われず、ひたすら他人の過失と責任を追及出来る立場なのだと思っているとしたら、
それこそが今回の事故の種子を育んだ温床だと思うのです。
今回の事故をほぼ最初から観察し続けていると、何よりしみじみ思うのが、本当に彼らは、反省しないということです。
いやいや、そんなことはない、韓国言論はこぞって反省一色な記事ばかりだという人もいるかもしれません。
ですがそういう記事にしても、よく読んでみると「他人に反省を促している記事」であって、自分が反省している記事ではないのです。
稀に「自分が恥ずかしい」などと書いている記事もあるにはありますが、これも必ずしも自ら反省しているわけではない
と読むべきでしょう。日本人は「恥ずかしい」と思えば「反省する」のが当たり前ですから、韓国人も同じと思ってしまいますが、
韓国人にとって「恥」は「かくもの」ではなく「かかされるもの」であるということを思い出してください。
つまり「恥ずかしい」と書いた韓国人記者が、ちゃんと「恥ずかしい」と思った点を自ら反省して、「恥ずかしいところは直そう」
と思うかどうかは、はなはだ疑問なのです。
それよりも「恥ずかしいと思わされた」という方向に走っていき、「それは他人が悪いからだ」と考えるようになる方が、
韓国人としては自然な反応でしょう。あるいは、「自ら恥ずかしいと思うなら、お前が責任を取れ」と他の韓国人に言われれば、
慌てて「自分は悪くない」と言い張るに違いありません・・・
http://fetia.blog34.fc2.com/blog-entry-1318.html
124
globalyst
2014/05/11(日) 17:25:23 ID:aewUA0Z7
125
管理人 ★
2014/05/16(金) 20:19:25 ID:kanrinin
126
太田述正
2014/05/16(金) 20:48:39 ID:gsloMd60
名誉有料読者は「太田コラム」のバックナンバーを入手でき、そのファイルで「私の歴史観・・様々な補助線について考える」を検索すれば、「講演」原稿コラムが#5569であることが分かる。
これを「講演」動画の説明文でどう言及するかは自分で考えてください。
127
名無しさん@安全保障
2014/05/24(土) 22:16:08 ID:7RkM8xiX
ドーリットル隊に最高位勲章=日本初空襲「傑出した勇気」−米
http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&k=2014052400080 よくこんなのに最高勲章やれるね↓
日本側には死者87名、重軽傷者466名、家屋262戸の被害が出た[70]。このうち9名は日本軍高射砲の破片によると
認められている[71]。国際法上禁止されている非戦闘員に対する攻撃を故意に行った機もあり、葛飾区にある
水元国民学校高等科生徒石出巳之助が機銃掃射を受け死亡した[72]。この学童には「悲運銃撃善士」という戒名が
与えられた[72]。朝日新聞社は『鬼畜の敵、校庭を掃射』等を報じている[73][74]。
また、日本軍の航空機と勘違いし、手を振った学童に対しても機銃掃射したが死者は出なかった。
ただし、このB-25(3番機)は学校屋上に設置されていた防空監視櫓を見て軍事施設と誤認した可能性がある[75]。
14番機は名古屋病院を爆撃したが、これは第3師団司令部を狙った攻撃がそれたためである[76]。
16番機は他のB-25に比べて積極的に機銃掃射を行った。
一方、日本軍に逮捕された爆撃機搭乗員8人は、都市の無差別爆撃と非戦闘員に対する機銃掃射を実施した
戦時国際法違反であるとして、捕虜ではなく戦争犯罪人として扱われた[92]。アメリカは爆撃機搭乗員が捕虜に
なったことを知ると、「彼らは軍事目標のみを攻撃した」と事実とは異なる主張を展開した[93]。5月6日、昭和天皇は
蓮沼蕃侍従武官長に以下の希望を述べた[94]。
日本武士道に反せざるよう[94]
国際関係に悪影響を及ぼさざるよう[94]
帝国臣民にして敵側に抑留せらある者(将来も起り得べし)に対する敵側の報復を誘わざるよう、穏便に行うこと[94]
その後、上海市で開廷された軍事裁判の結果、8人全員に死刑が言い渡された。1942年10月15日に上海競馬場で
操縦士2名と銃手1名が処刑された(ディーン・E・ハルマーク(ホールマーク)中尉、ウィリアム・ファロー中尉、ハロルド
・スパッツ軍曹)。捕虜の処刑を受けてアメリカは日本の行為を『野蛮人の蛮行』として非難し、大々的にプロパガンダに
利用した[95]。また日本の指導者であった東條英機を「血に飢えた独裁者」であると宣伝し、現在もアメリカ国内では
そのように認識されている。1944年にこれら捕虜を描いた映画『パープル・ハート』が20世紀フォックスによって製作された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%AB%E7%A9%BA%E8%A5%B2
128
名無しさん@安全保障
2014/05/26(月) 16:14:40 ID:SHzewRP0
#6957<ピケティv.FTの大論争(その2)>
フランスと英国については間違ってて、
米国については正しくて、
それでピケティの本はゴミ箱行き、
というのはどういうことなのか、太田さんの判断についていけないのですが……
米国批判としてなら有効ってことではないんですか。
129
太田述正
2014/05/26(月) 19:06:26 ID:PWtvWlHE
そのコラムの中でも私が引用の形で指摘していますが、ピケティの主張は、資本主義の一般理論としての主張であったところ、それが米国(やスウェーデン(?))にしかあてはまらないとすれば、それは、単なる米国経済論(ないしスウェーデン経済論(?))でしかない、よってそんな主張はゴミ箱行きだよ・・そもそも、このウン十年、米国で富や所得の不平等度が高まってきているなんてことは常識です・・という趣旨です。
130
名無しさん@安全保障
2014/05/27(火) 19:48:09 ID:NKmYnFGY
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名無しさん@安全保障
2014/05/30(金) 14:39:24 ID:i3bhZbDl
日経のサイトより
「日本は米国の属国であり続けるのか―」
現代日本史の専門家、オーストラリア国立大学のガバン・マコーマック名誉教授に聞く
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20140528/265633/?P=1 「米国が戦後、日本を「アジアの一国」というより常に米国の「手先」として位置づけてきた」っていっていて、そして集団的自衛権は「かねて米国が日本に求めてきたこと」ともいっていて、ということは、米国は集団的自衛権を行使して日本にもっと役に立つ「手先」となれと命じていることになるんですか?
それでこの状況で集団的自衛権を行使することに決めたら、ただただ米国にいいように使われるだけと日本人は恐れていると。
太田さんのいうのは、それでも今、集団的自衛権を行使することを選択して、米国の手先からは、そのあとぼちぼち脱却すればいいってことなんですか?
132
太田述正
2014/05/30(金) 22:45:21 ID:5SzHzpNk
「日本人は恐れている」かもしれないけれど、中共当局は、日本が「集団的自衛権を行使することに決めたら、ただただ米国にいいように使われるだけと」は明らかに考えていません。
つまり、日本は「米国の手先から・・・そのあとぼちぼち脱却す」るだろうって思ってるらしいんですな。
この中共当局のヨミは正しい、というのが私の見解です。
133
名無しさん@安全保障
2014/05/30(金) 23:54:27 ID:i3bhZbDl
バークはイギリス人ではなくてアイルランド人ですよね。
134
管理人 ★
2014/06/01(日) 00:58:46 ID:kanrinin
135
名無しさん@安全保障
2014/06/03(火) 00:05:37 ID:UYOIggxs
136
globalyst
2014/06/13(金) 16:18:48 ID:CYGwd3Yf
137
globalyst
2014/06/13(金) 16:32:21 ID:CYGwd3Yf
訂正
「現在UN High Commissioner for Human Rightsで働いており、」
→
『現在UN High Commissioner for Human Rights(国際連合人権高等弁務官)であり、』
138
名無しさん@安全保障
2014/06/18(水) 22:16:00 ID:Tk9F9ySs
139
名無しさん@安全保障
2014/06/22(日) 18:06:12 ID:sTFZ7vtu
140
名無しさん@安全保障
2014/06/24(火) 02:22:23 ID:3PWZBkC8
141
管理人 ★
2014/06/24(火) 19:17:52 ID:kanrinin
142
名無しさん@安全保障
2014/06/27(金) 20:41:31 ID:U8WeH9Jg
コラム#7022
赤坂真理女史の発言にまったく同意できない。
女に生まれた敬宮殿下だけでなく、皇族に生まれなかった私も天皇になれないが、そんな理由で自分は「いてもいなくてもよ」いのだなどと思ったことは一度たりともない。
勿論、私が天皇になれないことは「不条理」だが、それは世の中に数多ある不条理のひとつにすぎず、その程度のことでいちいち悩んでも無意味だ。
天皇になれなくたって、人は充実した人生を送ることができると、赤坂女史に教へてやりたい。
143
U8WeH9Jg
2014/06/28(土) 18:36:21 ID:ZbkX6n9B
144
太田述正
2014/06/28(土) 18:56:52 ID:I3PqHqW7
145
U8WeH9Jg
2014/06/29(日) 20:53:12 ID:y6MSnqj7
そのとほり。皇室典範は法律ですから、改正なしで内親王殿下が即位なさったら違法ですよね。その上で、秋篠宮殿下以来の親王殿下がお生まれになったのですから、「有識者会議」設置の前提が崩れ、典範改正の動きが (当面) 止まるのは何の不思議でもありません。外国軍が侵略攻撃をしてきたので第三国軍への援助要請を検討したが、独力で撃退できたので要請をとりやめたといふのとおなじですよ。
ところで、集団的自衛権の行使には被害国による要請が必要だといふ高橋洋一氏の見解を、コラム#7016 で批判なさっていらっしゃいますが、氏がおっしゃるとほり、侵略されて援助要請しない国といふのもすこし考へにくいのですが、自らを衛る意志のない国を他国が衛るのは現実的ではないと思ひます。すこし詳しく解説してください。
自殺をとめるの比喩にしても、自殺志願者をなぐるのが精精で、殺しては意味がないから、通常の正当防衛権に比して、違法性の阻却には著しく制約があるでせう。また、他人を殴ってケガをさせたら普通は暴行傷害ですが、ボクサーが試合や練習で対戦相手を殴っても正当業務行為です。援助要請があればそれが違法な侵害であるとわかりますが、なければ判断しかねます。
なほ、 JCJ もニカラグア事件 *1 判決で被害国による援助要請を必要と判断してゐます *2 。
*1
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B0%E3%82%A2%E4%BA%8B%E4%BB%B6 *2 「国際司法裁判所が、1986年のニカラグア事件判決において、集団的自衛権を行使するためには、攻撃を受けた国による攻撃事実の宣言及び他国に対する援助要請が必要であると判断した」 コラム#5997
http://blog.ohtan.net/archives/52162131.html
146
U8WeH9Jg
2014/06/29(日) 21:00:05 ID:y6MSnqj7
誤 JCJ
正 ICJ
147
太田述正
2014/06/30(月) 15:08:23 ID:MV6uN8Uq
コラム#7028を読んでください。
148
名無し@安全保障
2014/07/01(火) 18:14:39 ID:DsYW5jx5
今回の集団的自衛権の解禁、
太田さんは安部首相に対し一定の評価をしているんですか?
それとも前に言ってた通り、限定解禁なら「しないほうがマシ」という立場でしょうか?
149
太田述正
2014/07/01(火) 22:56:00 ID:tzVSJmKa
かなり前に、限定解禁でもやらないよりはマシって立場に変わってまっせ。
なお、先ほどの私のツイートも参照のこと。
150
名無し@安全保障
2014/07/03(木) 09:18:15 ID:WQ7h2yQe
151
小林哲夫
2014/07/08(火) 20:35:09 ID:+diecmsv
152
太田述正
2014/07/08(火) 22:24:12 ID:/9MgKgPi
書き上げられたら拝見させていただきます。
153
名無し@安全保障
2014/07/09(水) 23:25:03 ID:GpKco5zU
【世界安全な国トップ10】
1位:日本 / 犯罪率:13.11、安全率:86.89
2位:台湾 / 犯罪率:16.26、安全率:83.74
3位:香港 / 犯罪率:16.57、安全率:83.43
4位:韓国 / 犯罪率:17.40、安全率:82.60
5位:UAE / 犯罪率:18.01、安全率:81.99
6位:マルタ / 犯罪率:18.54、安全率:81.46
7位:ルクセンブルグ / 犯罪率:18.75、安全率:81.25
8位:グルジア / 犯罪率: 19.57、安全率:80.43
9位:バーレーン / 犯罪率:19.79、安全率:80.21
10位:シンガポール / 犯罪率:19.98、安全率:80.02
http://rocketnews24.com/2014/07/09/463592/ 小国や都市国家が多い中、大日本帝国勢が上位を占めている。
154
globalyst
2014/07/11(金) 15:50:20 ID:Zals9paw
155
globalyst
2014/07/11(金) 16:03:44 ID:Zals9paw
アフガニスタンじゃなくてパキスタンでした。
157
名無し@安全保障
2014/07/14(月) 23:46:26 ID:Sl3ikGGW
158
globalyst
2014/07/16(水) 11:29:54 ID:4D32phek
>よくまあ、その記事に載っている小さな図の細部に注意を払いましたね。 >この図を手掛かりにどうやって調べたんです?(コラム#7052。太田) 拡大してよく見ると…
この形は、イスラエルじゃなくてヨルダンですね。
An out-of-print collection of essays about corporate America first published in 1969 has shot to the top of bestseller lists after Bill Gates revealed it was his favourite business book.
John Brooks's Business Adventures is a collection of the late journalist's New Yorker articles from the 1960s, covering topics from the rise of Xerox and the $350m Edsel disaster to scandals at GE and Texas Gulf Sulphur. Gates wrote in the Wall Street Journal this weekend that the long out-of-print title "remains the best business book I've ever read".・・・
ビル•ゲイツが、彼のお気に入りのビジネス書であったと明らかにすると、1969年に最初に出版されたアメリカ企業に関するエッセイの絶版コレクションが、ベストセラーリストのトップに踊り出た。
今は亡きジャーナリストであるところのジョン•ブルックスのBusiness Adventuresは、<雑誌>ニューヨーカーにおける彼の1960年代からの記事集であり、Xerox(ゼロックス)社の台頭や350億ドルに登る<Ford社の>エドセルの大失敗からGE社やTexas Gulf Sulphur社における不祥事に至るトピックスをカバーしている。今週末、ビル•ゲイツは、ウォールストリート•ジャーナルにおいて、長い間絶版になっているこの本(タイトル)は「私が今まで読んだ最高のビジネス書のままである」と記した。•••
ジョン•ブルックスのBusiness Adventuresは、かのウォーレン・バフェットがビル・ゲイツに「これ読んどけ!」と渡した本だそうです。
http://markethack.net/archives/51929296.html
159
globalyst
2014/07/16(水) 14:06:58 ID:4D32phek
すみません。
2件アップしてしまいました。後半部分はコラム#7058からの引用です。
それと、エドセルの損失は、350億ドルではなく、3.5億ドルでした。
>ビル・ゲーツが、絶版の某経営書を絶賛したというので、ベストセラーになるかもってさ。↓(コラム#7058。太田) An out-of-print collection of essays about corporate America first published in 1969 has shot to the top of bestseller lists after Bill Gates revealed it was his favourite business book.
John Brooks's Business Adventures is a collection of the late journalist's New Yorker articles from the 1960s, covering topics from the rise of Xerox and the $350m Edsel disaster to scandals at GE and Texas Gulf Sulphur. Gates wrote in the Wall Street Journal this weekend that the long out-of-print title "remains the best business book I've ever read".・・・
ビル•ゲイツが、彼のお気に入りのビジネス書であったと明らかにすると、1969年に最初に出版されたアメリカ企業に関するエッセイの絶版コレクションが、ベストセラーリストのトップに踊り出た。
今は亡きジャーナリストであるところのジョン•ブルックスのBusiness Adventuresは、<雑誌>ニューヨーカーにおける彼の1960年代からの記事集であり、Xerox(ゼロックス)社の台頭や3.5億ドルに登る<Ford社の>エドセルの大失敗からGE社やTexas Gulf Sulphur社における不祥事に至るトピックスをカバーしている。今週末、ビル•ゲイツは、ウォールストリート•ジャーナルにおいて、長い間絶版になっているこの本(タイトル)は「私が今まで読んだ最高のビジネス書のままである」と記した。•••
ジョン•ブルックスのBusiness Adventuresは、かのウォーレン・バフェットがビル・ゲイツに「これ読んどけ!」と渡した本だそうです。
http://markethack.net/archives/51929296.html
160
いうはやすし
2014/07/22(火) 19:01:12 ID:BaVwNGpa
161
globalyst
2014/07/25(金) 14:10:12 ID:S/yAQdAV
162
名無し@安全保障
2014/07/27(日) 00:51:04 ID:0i0FktiX
163
時頼について1
2014/08/07(木) 10:38:07 ID:9rk86uNd
最近話題に上っていた北条時頼について。
太田さんが人間主義的名君として挙げておられる北条時頼ですが、そのような要素を前面に打ち出した時頼像については、どうも違和感を感じていました。
善政を行ったことは事実ですし、「鉢の木」に見られる時頼廻国伝説も知るところですが、北条時頼と言われてまず思い浮かべるイメージといえば、手段を選ばず専制に突き進んだ厳格なリアリスト、鉄の意志の権謀家といったものだったからです。
以上のことから、北条時頼をできるだけ立体的に捉えなおして実像に迫ることができればと思い、時頼について改めて調べてみました。
本からの引用の形になりますが、1.兄・経時と執権の委譲、2.宝治の乱、3.得宗専制への移行、4.廻国伝説と4つに分けての引用となります。
必要上かなりの分量になってしまい申し訳ありませんが、ご了承ください。
164
時頼について2
2014/08/07(木) 10:39:50 ID:9rk86uNd
1.兄・経時と執権の委譲
「ただし、ここまで述べてきて言うのもいかがかと思うが、筆者は右の『吾妻鏡』にある話、全面的には信用していない。ことに時頼を考える場合、この幕府の正史ともいうべき記録はむしろ、装飾が甚(はなは)だしいと考えてきた。
なにしろ『吾妻鏡』の成立は、時頼の子・時宗(第八代執権)、その子・貞時(第九代執権)の代によるもので、当然、時頼のことを悪くは記録していないはずだ。
歴史に学ぶとき、史料を鵜呑にしては真実を見損なうことがある。できるかぎり傍証(ぼうしょう)の史料にもあたり、客観的な判断・検証を心掛けねばならない。
なぜ、このようなことをいうかといえば、”名執権”時頼は、本来、次男であり、執権職を継ぐべき立場にはなかったからだ。にもかかわらず、時頼の扱われかたが『吾妻鏡』では兄以上に際立っていた。」(『北条家の英知 日本最強の一族』加来耕三 P274-275)
「これらはのち、いずれも弟の時頼に継承され、彼の功績として称えられたが、もとは経時時代にはじめたものばかりであった。しかし、経時の評価は後世、ほとんど顧みられたことはない。なぜか。一つには、経時の施政が四年と短かすぎたことがあげられるが、より以上の理由として、その跡を幼いわが子が継がず、弟の時頼が継承したことが大きかったように思われる。
ここはぜひ、立ち止まって考えていただきたいところだ。」(同上 P278)
165
時頼について3
2014/08/07(木) 10:42:31 ID:9rk86uNd
「『吾妻鏡』に拠れば、病いに倒れ、回復がのぞめないと観念した経時は、二人の息子は幼いので、時頼に執権を委譲(いじょう)。さらにはこれを、五代将軍・頼嗣の命令として御家人たちへ伝えたとある。
なるほど、経時の長男・頼助(よりすけ)はわずかに二歳でしかなかった。が、頼助を執権に立てて叔父の時頼が輔弼(ほひつ)する形をとることもできたはずだ。現に、将軍は幼少でも成立している。あるいは、頼助が成長するまで、時頼が期限つきの執権となってもおかしくはなかった。のちに時頼自身が、幼いわが子・時宗の成長を待つ間のみ、一族の長時(義時の三男・北条重時の子)に第六代執権を委譲している(長時の死後は、重時の弟・北条政村第七代執権となった。)
にもかかわらず、この時だけ、なぜか時頼が無条件の執権就任を果たした。しかも、普段は無視している将軍の命令という形式まで踏んでいる。
歴史は結果論でとらえるほど、危ういものはない。すべてが肯定されてしまい、そもそもの疑問が浮かんでこないからだ。プロセスで立ち止まり、確認する作業が必要である。
たとえば、この執権委譲はどのような場所で決定されたのか。
「深秘(しんぴ)の御沙汰」
密室での、謀議の中での結論であった。
…(略)…
また、経時の長男・頼助はのちに仏門に入り、佐々目僧正と称し、鶴岡八幡宮の別当にはなったものの、永仁(えいにん)四年(1296)二月に五十二歳でこの世を去るまで、ついぞ一度も、北条氏の家督=「得宗」の地位について、返却の相談もなければ、意見すらも聞かれていない。頼助の弟・隆時(隆政(りゅうせい))も同じで、仏門に入れられてしまったままであった。
時頼には一面で仏法に帰依し、弱者救済に懸命で、過渡期の幕府の舵取りをみごと成功させた名執権としての顔があった。これは間違いない。が、人間は完璧な人など存在しない。時頼には反面、冷酷な政治家としての顔が隠されていたことを忘れてはなるまい。この人物の凄さは、後者の、むしろ本性と思われる部分を、決して第三者に覚(さと)らせなかったところにあった。
読者諸氏の中には、時頼をけしからん、簒奪者(さんだつしゃ)ではないか、と思うかたがいるかもしれない。
確かに、その通りである。時頼には、否、北条一族にはすべて、この種の残忍さがあった。だが、これは一面、彼らの成そうとする事業そのものが、そうした精神を必要としていたことを抜きには語れない。
少しでも弱い者が上に立つと、それに害を加える者が周囲から出る、というのがこの頃の日常感覚であった。その害を防ぐには、能力ある強い者が上に立つしかなかったのである。自己の属する組織の長が、脆弱(ぜいじゃく)であれば替わり得る立場の人間が取って替わってもかまわない。むしろ、それを容認するのが、この時代の公理であったといってよい。
時頼はこうした時代にいきあわせた。そして、悪知恵の限りをつくした陰謀=必要な処置を講じて、前将軍・九条頼経の京への追放。それにからんだ人々への弾圧をおこなった。
…(略)…
それにしても先代=時頼の兄・経時は、なぜ、前将軍頼経を鎌倉から追放しておかなかったのであろうか。反執権の象徴として担がれることがわからなかった、とでもいうのか。否、むしろ逆であったとも考えられる。将軍の座を追われても「大殿(おおとの)」と呼称され、ある程度の権威は保たれたままの頼経であった。十二分に火種となることを、経時は承知していたはずだ。
それを知っていながら経時は、頼経を許しておける寛容さを持っていたのか、それとも頼経を利用して反執権派の人々を一掃するつもりでいたのか。結果論からいえば、どちらとも取れる。が、これから時頼がおこなう苛烈(かれつ)な対応を見せつけられると、少なくとも経時には、北条氏嫡流(ちゃくりゅう)の人らしい寛容さがあったと思いたい。」(同上 P279-282)
166
時頼について4
2014/08/07(木) 10:44:13 ID:9rk86uNd
「北条経時の政治は、武士のための、武士による、武士の執権政治の安定維持に貢献したことにおいて、それが一面では北条氏の地位の保全強化をも目的としていたとはいえ、立派なものであったといってもさしつかえない。しかし、彼の施政の期間がわずか四年でしかなかったこともあり、またかつて泰時から叱られたりしたことがあるように、鎌倉時代においてすら評価されなかったこともあって、現在においてすら、正当な評価はなされていない。
…(略)…
経時は、自分の症状から見て病気の回復は望めそうにもないし、二人の息子はまだ幼いので、執権職を弟時頼に委譲した。実際には、経時自身の発意によるものであるが、混乱が生じてはいけないから、(まだ八歳でしかない)将軍頼嗣の命令ということにしたというのである。
一見、もっともそうであるが、よく読むとおかしいことだらけである。たしかに、このとき、経時の長男頼助はわずか二歳であったが、これを執権に立てて弟時頼が輔弼の任にあたってもよく、また、頼助が成長するまでのつなぎとして時頼が執権になるという方法もあったはずである。
のち、時頼が長時に執権を委譲したときには、後者の方法がとられている。また、経時の発意だと混乱が予想され、八歳の将軍の命だと混乱は生じないというのもおかしな話である。その上、将軍の命によるという形式をとったにしても、真実は経時の発意によるとダメ押しのように記しているのも、不自然である。
だいたい、このような重大な決定が、「深秘の御沙汰」によってなされたということが問題である。本来、これは北条氏得宗の私邸における家族会議のようなものだったと推測される。かつて北条時政の名越邸で、時政、牧の方、義時、時房が畠山重忠討滅の可否を論じたことがあるが、いわばこれであろう。
しかし、話題あるいは議題が畠山重忠討滅といった種類のものであった場合には、当然、他へは秘密にされるべきものであり、それが幕政の実権を握る得宗の私邸で行われたので、ついに「深秘の御沙汰」ということになってしまったのである。『吾妻鏡』を一読した者でなければ、この語の持つ不気味さは理解できないのである。『吾妻鏡』の後半には数回この語が見られるが、そのあと、きまってなにか事件が起こり、陰謀が発覚し、合戦が起こるのである。
そして、経時から頼時への執権委譲を決定したこの「深秘の御沙汰」は、『吾妻鏡』でその語が用いられた初例であった。この不吉な語を見るだけでも、執権職委譲には、なにか裏があったと感ぜずにはいられない。
…(略)…
<経時の子である>二人とも北条氏の家督(得宗)の地位は、時頼から返却されてはいない。
…(略)…
泰時(時氏)、経時と代々嫡男が嗣いできた北条氏の家督(得宗)の地位も、これ以降、経時の弟時頼の系統に移り、時宗、貞時、高時となっていくのである。
経時から時頼への執権職委譲は、兄から弟への委譲というだけではなく、嫡男の系統から次男の系統へという系統上の変化でもあったのである。そして、経時のことをあまりよくは言わない『吾妻鏡』は、時頼系の時宗、貞時の頃に編纂成立したものだったのである。」(『鎌倉北条一族【新版】』奥富敬之 P151-154)
167
時頼について5
2014/08/07(木) 10:45:23 ID:9rk86uNd
2.宝治の乱
「かくして、ついに”三浦氏の乱”、または”宝治の乱”と呼ばれる合戦は起こったのである。
ところで、前述した和田氏の乱もまたこの三浦氏の乱も、そのありようはおおむね『吾妻鏡』の記載に拠っている。そして、その『吾妻鏡』は北条氏に都合よく書き記されていることは、よく知られた事実である。にもかかわらず、『吾妻鏡』には、その編纂者が後世に対して隠しておこうとしたことが、文字の裏からチョロチョロと見えるのである。
和田氏の乱にさいしては、和田義盛らが挙兵する予定だった日の前日に、北条義時は兵を動かして和田氏を攻め、和田氏方の援軍と和田本軍とを二分して滅ぼした。そして、この三浦氏の乱では、和平成立の使者を送って三浦氏を安堵させた直後、安達氏が突如兵を発したのである。北条時頼と安達景盛の両人の間にはみごとなまでの連携が見られることを指摘しておこう。」(鎌倉北条一族【新版】』奥富敬之 P175)
「時頼のやり口は、生粋の鎌倉武士らしいものではなかった。
打物(うちもの)とっての、正々堂々の合戦で勝負を決めず、流言飛語を用いて、相手方を心理的に操り、浮き足立たせて暴発寸前まで追いつめる。そうしておいて、ぎりぎりのところで話し合いに持ち込み、あるいは合戦に踏み込ませ、結局は一族を殲滅し、その所領の没収を含め、所期(しょき)の目的を達した。
…(略)…
しかし、よくよく検証してみると、この寄正応変の道、換言すれば譎詐奸謀(きっさかんぼう)こそが、北条氏の代々に伝わる生き残り策、兵法であったともいえる。」(『北条家の英知 日本最強の一族』加来耕三 P288)
「時頼は安達一族を急き立てて、ついに開戦の口火を切らせた。六月五日のことである。
しかもこの極めて慎重な権謀家は、この日、開戦の直前に家令の平盛綱を三浦邸へ派遣し、「世上の物騒、天魔の人性に入りたるか。上計(じょうけい)においては、貴殿を誅伐(ちゅうばつ)するにあらず、日頃のごとく、異心あるべからず」
と和平に決した旨をとどけさせている。
この日まで徹底して時頼に揺さぶられてきた<三浦>泰村は、この瞬間、全身の力がぬけたことであろう。周囲の者も、ほっと安堵の溜息をもらしたに違いない。そこへ安達氏を主力とした軍勢がなだれ込んで来た。今日でいう午前十時頃の出来事であった。
…(略)…
――幕府創業以来の功臣、三浦一族はここに滅んだ。
しかし時頼は、決して追捕(ついぶ)の手をゆるめず、全国の一族、縁者を次々と誅殺していった。
かつて三浦氏と双璧を謳(うた)われた千葉氏の当主・介秀胤も、泰村の妹婿であることを理由に自刃を強いられた。いうまでもなく、三浦一族の旧領は北条氏へ加増となり、ここに時頼の政権は名実ともに盤石となる。
興味深いのはこの騒動、宝治合戦はこと細かに当時の記録に述べられ、後世へ伝えられた。
つまり、勝者の北条氏はこうしたやり口を世間に対して、隠蔽する必要を感じなかったということである。世間も認めていた、ということになろうか。弱いこと、敗北することを悪とする当時の世相がうかがえる。」(同上 P306-308)
「乱の直後、陸奥名取郡(現名取市)、会津四郡、上総与宇呂保(現市原市養老)、同市原荘(現市原市)、武蔵六浦(むつら)荘(現横浜市金沢区)等々、三浦、上総権介、関、毛利などの諸氏の所領で北条氏のものとなったのも、また数多い。東北大学の教授だった故豊田武氏は、代々の北条氏のうち、時頼の代のときにもっとも北条所領が増加したのではないだろうかと推測されているが、その大部分は三浦氏族滅の直後のものだったと思われる。」(『鎌倉北条一族【新版】』奥富敬之 P179)
168
時頼について6
2014/08/07(木) 10:45:59 ID:9rk86uNd
3.得宗専制への移行
「かつては将軍の代官にすぎなかった北条氏は、時頼の代で名実ともに幕府の主催者となった。
時頼はつとめて御家人のために、否、己れへ向ける御家人たちの冷たい視線を少しでもやわらげるために、経時時代からすすめていた幕政改革をいっそう前進させ、訴訟の公正さと迅速さを求めて、問注所(もんちゅうじょ)の奉公人らを召集しては”はっぱ”をかけ、新たに「引付衆(ひきつけしゅう)」を設置した。
評定衆の仕事を分担させることにより、何よりもスピード審理を心がけた。御家人の京都大番役も半年から三ヵ月に半減せしめ、各々の負担を軽くする処置を講じている。
「悪党」の退治令を出したのも、時頼らしい。
…(略)…
物価の統制を積極的に押しすすめたのも、時頼であった。とくに炭・薪(まき)・萱(かや)・藁(わら)・糠(ぬか)などが法外な値段にならないよう、今でいう物価調整をおこなっている。
こうしたいくつかの行財政改革は、より弱者への救済という方向へ広げられていった。
…(略)…
これは宝治合戦の、五ヵ月後に出された通達である。この達しは、土民百姓に対して、年貢を余分に水増しして課する守護や地頭があり、その「内検」をおこなった時頼が、土民百姓の惨状を知り、救援に踏みこんだ、いわば弱者救済令のようなもの。
こうした処置はおおむね、世間に好意的に迎えられたようで、後世の人々が時頼を北条執権中最良の人物にあげ、身分を隠して時頼自らが諸国を歩き、弱きを助け、強きを挫(くじ)く”廻国伝説”を生む契機ともなった(詳しきは後述)。」(『北条家の英知 日本最強の一族』加来耕三 P308-310)
「時頼が引付衆を新設して、訴訟事務の合議制を推し進め、御家人の利害保護を理念とする執権政治を最高潮にまで達しさせたとき、鎌倉幕府政治第三段階である得宗専制が開始されていたのである。
すなわち、合議制と法治主義を二大根幹とし、御家人の利害保護を目的として、北条氏が執権職に準拠して政治を行う執権政治は、宝治の乱を契機として、大きく後退した。これにかわって、北条氏得宗(家督)が得宗であるが故に権力を有し、その権力を得宗御内の利害を目的として行使する、いわゆる得宗専制政治が開始されつつあったのである。
御家人(東国武士)連合政権的性質を持つ執権政治は、御家人の代表者が評定衆に任ぜられて合議を行ったのであるが、得宗専制が開始されると、評定衆中に占める北条氏の割合が大きくなり、同時に、評定衆に任命される北条氏の年齢が下がり、ときには十歳前後の評定衆という例も頻出する。この場合、本当の幕政に関与し得たはずがないから、評定衆就任が一定の栄誉栄爵と化していたものと見ることができる。新設された引付制度においても、三番の引付頭人三人がすべて北条氏であったことも、注目すべきである。
かくして”武士のための、武士による、武士の”政権であった鎌倉幕府執権政治は、宝治の乱を契機として”北条氏のための、北条氏による、北条氏の”政権へと変質したのである。
評定衆任命が栄爵化し、評定衆制度が形骸化していったとき、ちょうど反対に幕政の実務に関与するようになったのが、寄合衆であった。本来、北条氏得宗の私邸に北条氏一門の主立った者が集まる家族会議的な”深秘の御沙汰”が、寛元・宝治の乱からしだいに定置のものとなり、重要幕政の枢機を審議する機関になっていったのである。」(『鎌倉北条一族【新版】』奥富敬之 P181-182)
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時頼について7
2014/08/07(木) 10:46:54 ID:9rk86uNd
4.廻国伝説
「晩年の時頼が、三年間、密かに諸国を廻国したという伝説がある。『太平記』巻三十五、『増鏡』九および謡曲の「藤枝」、「鉢ノ木」、「浦上」などが出典で、いずれも後世の成立だから信憑性はほとんどない。
しかし『吾妻鏡』に欠落している正元元年(一二五九)ないし弘長二年(一二六二)には、あり得たことだと見る人もある。しかし所詮は、時頼が密偵を諸国に派遣した程度のことで、これが廻国使と呼ばれるようになったものかと思われる。廻国使ということでは、北条泰時、時宗、貞時なども、諸国に派遣した形跡がある。」(『時頼と時宗』奥富敬之 P196-197)
「いずれも伝説に過ぎず、『吾妻鏡』にも、時頼が三年間も登場しなかったことはない。しかし、これだけ多くの本に記されていることは、そこにはなにかがあったのではないかと推測させるに充分である。
…(略)…
火のない所には煙は立たないのである。時頼の諸国巡検伝説は、彼が廻国使を派遣したという事実を火とした煙だったろうと思われる。
…(略)…
つまりは、密偵政治が行われたということであろう。泰時の派遣した巡国使は、たんに京方与力か否かだけを取り調べるものであったが、時頼が始めた廻国使は、そのほか全般にわたって、微行隠密のうちに調査したものではなかったろうか。そして、このような密偵政治は、すぐに恐怖政治に転化する性質を内包しているものであった。」(『鎌倉北条一族【新版】』奥富敬之 P186-188)
「その時頼が、正体を隠して法衣をまとい、諸国を行脚(あんぎゃ)したとの伝説が、やがて南北朝時代に成立する。
…(略)…
佐野源左衛門が登場する謡曲(ようきょく)「鉢(はち)の木」(南北朝成立)はそうした伝説の最高傑作といってよい。が、こうした時頼の活躍は、幕府の正史『吾妻鏡』にはもとより記載されていない。したがって創作だ、との見解が多いわけだが、これまた一蹴してしまうのはいかがなものか。
北条泰時が平盛綱を「安芸巡検使(あきじゅんけんし)」として派遣したことが『鎌倉遺文』に残されている。『北条九代記』には、時頼の時代「巡検使」「巡国使」がいたことが語られており、先の『弘長記』にも諸国をまわったのは時頼自身だが、ときに器量人を選んで諸国七道に代理の人間を派遣したとも述べている。
――時頼ならば、やりそうなことだ。
いま一つ、各地に残る時頼の廻国伝説を調べてみると、興味深いことに気が付いた。東北地方に現われる時頼は、悪地頭を懲らすのではなく、なぜか天台宗系の寺院を禅宗に切りかえる作業をおこなっているのである。」(『北条家の英知 日本最強の一族』加来耕三 P312-313)
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時頼について8
2014/08/07(木) 10:47:52 ID:9rk86uNd
「ところでこれらの時頼廻国伝説は果たして事実か、それとも『太平記』『増鏡』などの作者による虚構の創作なのか、一体どちらなのでしょう。かつて明治末・大正初の頃、この点をめぐって歴史家の間で論争が行われたことがあります。
…(略)…
批判論者の三浦さんは「自分は時頼廻国を史実とみるのは疑問が多いと思う、ただし完全に否認するにはまだ十分な条件が備わっていないと考えている」と言われましたが、これはたしかにもっともな意見と思います。
…(略)…
ただし私は、今に伝えられている時頼廻国伝説のすべてを以上のようにわり切って考える者ではありません。江戸時代以後、筆録された多くの伝承には、「いざ鎌倉」という表現の一般化にも示されているように、時頼礼賛の何種類もの書物の刊行・流布されていった影響が考えられるからです。ですから、この種の伝説については一つひとつ相当にきびしい吟味をしてみる必要があり、時頼の人と時代を考える際、安易な援用はさけたほうがよいと考えているからです。
それにしても時頼廻国伝説には、これまでみてきたのとは全く別種類のものもあります。それはもっぱら東北地方に分布しているのですが、代表的な例を三つあげてみます。一つは日本三景の一つ、陸奥の松島にあった天台宗の古刹(こさつ)松島寺の場合です。宝治二年(1248)、廻国の途中、ひそかに山王大権現の祭礼を見物中の時頼は、うっかり奇声を発したため衆徒にとがめられて危うく殺されそうになった。鎌倉に帰った時頼は直ちに武士を派遣して寺を焼き払い、その跡に禅寺の円福寺を建立、幕府の祈祷寺に変えてしまったというのです。
二つ目も有名な出羽の山寺(立石寺(りっしゃくじ))の場合です。慈覚(じかく)大師円仁(えんにん)の開創と伝えられる天台の古寺のこの寺にも、廻国中の時頼が立ち寄り、衆徒の勢いの隆盛なのをにくんで強制的に禅宗に改宗させたといいます。一の例によく似た伝説です。
三つめは東の松島に対する名所としても名高い出羽の象潟(きさかた)の蚶満寺(かんまんじ)の例です。この寺もまた円仁の建立と伝える天台寺院でしたが、ここにもまた時頼が廻国の途次に立ち寄り、新たに寺院を再興して干満寺とし、禅宗に改めさせたというのです。これらは皆、時頼廻国をきっかけとして天台宗から禅宗へと強制的な転宗が行われたことを伝えておりました、没落した御家人救済の物語などは全く伴なっておりません。
したがって、これらの伝説は前でみてきた時頼礼賛の伝説の影響は考えられず、これまでとは別の見方をとらなければなりません。とりあえずここでは、鉄の人、剛腕の政治家とも評される時頼の現実の政策の今一つの側面が、とくにこの地方に反映したのではないかと申し上げておきましょう。」(『鎌倉びとの声を聞く』石井進 P171-175)
171
時頼について9
2014/08/07(木) 10:48:21 ID:9rk86uNd
以上、4つに分けた引用でした。
「時頼には、謀略の匂いがある。泰時のカラッとした明朗さ、たくましい究理力に比べると、巧知におぼれ、謀略を弄しかねない憾みがある。将軍を代えた場合も、三浦泰村にいったん和平の誓書を与えながら、その直後に討っている場合など、どうも、暗い印象を免れがたい。そのほか、罪人の取調べにあたっても、白状すれば許すと約束しておきながら、さて白状したとなると、法は法だからといって、斬罪に処したりもしている。
権力者というものは、そういうものだと言ってしまえば、それまでだが、果たして、一個の人間、生身の人間が、そういう暗さに堪えきれるであろうか。」(『新編 日本武将列伝』 P50-51)
調べなおしてみての感想ですが、やはり北条時頼を人間主義的名君とするのは一面的であり、そぐわないように感じました。
私は多少時頼のことを知っていたので引っかかりを感じたのですが、もし時頼のことをほとんど知らなかったら、北条時頼を人間主義的名君と言われて、そのまま受け入れていたように思います。
以上から、人間主義的名君の例として誰かを挙げる場合、他を探したほうがいいのではと思いました。
172
名無し@安全保障
2014/08/14(木) 22:59:08 ID:ib3/hPeR
太田述正コラム#7117(2014.8.14)
<皆さんとディスカッション(続x2354)>
二、天皇の祖先は支那の江南人と朝鮮人との混血。
シナ大陸から日本列島にやって来た人達は、稲作漁労民のモンゴロイドである長江文明の人々で、
彼らは畑作牧畜民のコーカソイドである黄河文明の人々の侵略から逃れてきたのだと考えられます。
これまで長江流域に住み長江文明を築いていた人達の一部分は黄河文明のシステムの中に組み
込まれて漢民族化し、一部は雲南や貴州、広西に移り山岳民族となり、一部は南海の方へ逃れます。
またある一部はボートピープルとなり、日本にやってきました。
また、最終氷期が終わる一万年ほど前まで、朝鮮半島はほぼ無人地帯であり、その後日本列島から
縄文人が朝鮮半島に渡って行きました。この事は、朝鮮半島南部で縄文土器が出土している事からも
裏付けされています。それ故、初期の朝鮮半島は日系人の勢力が強く、百済はもとより新羅の王に
成った日系人も居たくらいでした。そしてその後日系人は徐々に駆逐され、漢族の流入、高麗時代の
モンゴルとの大規模混血、李氏朝鮮初期に於けるシベリアからのツングース系民族の流入によって
現在の朝鮮民族は形成されました。
つまり、古代に於いて日本列島にやって来た人達というのは、異質な文明の人間ではなく、
現在の支那人・韓国人というのは、その人達を追いやった敵の文明の後継者であるのです。
我々現日本人が現支那人・韓国人を生理的に忌避する根本理由は、ここに有ります。
173
太田述正
2014/08/15(金) 15:13:56 ID:Ba7Z0zwC
典拠を付けましょう!
174
名無し@安全保障
2014/08/17(日) 22:46:40 ID:0JcoyZ/L
175
名無し@安全保障
2014/08/21(木) 10:43:10 ID:TXvLXIk5
176
名無し@安全保障
2014/08/26(火) 23:45:35 ID:7VPFU/xk
太田さんが横井小楠コンセンサスで、
日本は昔から日本なりのグレートーゲームやってたってのはわかりました。
でもそれじゃあ太平洋戦争は間違ってなかったけれども、
日清・日露戦争は大間違いってことになりませんか。
日清はロシアを増長させ、日露はロシア帝国を瓦解させたんですから
177
太田述正
2014/08/27(水) 11:39:01 ID:6JimRfmf
>日露はロシア帝国を瓦解させた 横井小楠コンセンサスは、ロシアを念頭に置いたものであり、ロシア「帝国」を念頭に置いたもんじゃないぜ。
横井小楠コンセンサスを口にするんなら、その意味をちゃんと理解してくれよな。
>日清・日露戦争は大間違いってことになりませんか。 日清戦争や日露戦争を口にするんなら、せめてウィキペディアで自分の知識をチェックしてくれよな。
日清戦争(1894〜95年):「戦争目的としての朝鮮独立は、「清の勢力圏からの切放しと親日化」あるいは「事実上の保護国化」と考えられている。それらを図った背景として、ロシアと朝鮮の接近や前者の南下政策等があった・・・<具体的には、例えば、英国は、>1885年・・・、アフガニスタンでの紛争をきっかけに、ロシア艦隊による永興湾(元山沖)一帯の占領の機先を制するため、4月・・・に巨文島を占領<するという事件が起こっていた。>・・・
<日清戦争での日本の勝利の結果、>1897年・・・、<朝鮮の>高宗は、皇帝即位式を挙行し、国号を「朝鮮」から「大韓」と改め、大韓帝国の成立<(清からの独k率)>を宣布した。・・・<また、>義和団の乱後にロシアが満洲を占領するまでの間、朝鮮をめぐる国際情勢が小康を保つことにな<った。>」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%B8%85%E6%88%A6%E4%BA%89 日露戦争:「ロシアは露清密約を結び、日本が手放した遼東半島の南端に位置する旅順・大連を1898年に租借し、旅順に太平洋艦隊の基地を造るなど、満洲への進出を押し進めていった。1900年にロシアは清で発生した義和団の乱・・・の混乱収拾のため満洲へ侵攻し、全土を占領下に置いた。ロシアは満洲の植民地化を既定事実化しようとしたが、日英米がこれに抗議しロシアは撤兵を約束した。ところがロシアは履行期限を過ぎても撤退を行わず駐留軍の増強を図った。・・・<更に、>1903年8月からの日露交渉において、・・・ロシアは・・・、朝鮮半島の北緯39度以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。・・・
<日露戦争での日本の勝利の結果、>日本は朝鮮半島の権益を確保した上、ロシア帝国の軍事的脅威を排除して当面の安全保障を達成した。また新たに東清鉄道の一部である南満洲鉄道を獲得するなど満洲における権益を得ることとなった。・・・不凍港を求め、伝統的な南下政策がこの戦争の動機の一つであったロシア帝国は、この敗北を期に極東への南下政策をもとにした侵略を断念し<、>南下の矛先は再びバルカンに向かい、・・・ドイツや、同じくバルカンへの侵略を企むオーストリア・ハンガリー帝国との対立を招き、第一次世界大戦<、ひいてはロシア革命によるロシア帝国のスターリン主義ロシア(赤露)への変貌>の引き金となった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9C%B2%E6%88%A6%E4%BA%89
179
名無し@安全保障
2014/09/04(木) 07:43:05 ID:/fDj4gXX
180
小さいおじさん
2014/09/05(金) 11:44:11 ID:NHTQOJLt
P8にはソノブイがあるからソーナー探知できますよ。
故にESM探知だけではありません。
だからP8は有効です。
でも私はP1の方が好きです。高いけどね。
181
名無し@安全保障
2014/09/08(月) 11:10:08 ID:Ru4J2Gfn
182
管理人 ★
2014/09/10(水) 19:28:53 ID:kanrinin
183
globalyst
2014/09/11(木) 19:53:03 ID:1PUM8tcf
184
名無し@安全保障
2014/09/12(金) 15:40:41 ID:XyYMtAnH
185
太田述正
2014/09/12(金) 18:40:55 ID:dknBb/Dl
186
管理人 ★
2014/09/13(土) 17:40:59 ID:kanrinin
187
陳
2014/09/15(月) 19:20:55 ID:9VwoAsAa
188
太田述正
2014/09/15(月) 21:38:01 ID:DTGImre9
有料読者じゃないと私の関連コラム全部を読んでおられないかもしれないけれど、私の考えは以下の通り。
理神論≒無神論だが、欧米の理神論者は、往々にして、リベラルキリスト教徒になってしまったり、キリスト教の代替全体主義イデオロギーの信徒になってしまったりする。
もちろん、理神論経由ではなく、まともな無神論者になる人もいれば、理神論経由で、または無神論経由で、もしくは直接、人間主義的なものに関心を抱き始める人もいる。
しかし、人間主義的なものに関心を抱き始めた欧米人には、チベット仏教に関心を持ったり、ヒンドゥー教における瞑想やヨガに関心を持ったりはしても、(日本の社会とまでは行かなくても)日本の禅に関心を持つ人は殆んどいない。
しかし、これは私には解せない。
なぜなら、瞑想を一番早く欧米に伝えたのは日本の禅者達であることは欧米の知識人なら知っているはずだし、少し日本の歴史を勉強すれば、武士の間でかつて禅宗が流行したことも知るところとなるはずだ。
その日本は、欧米の上位並の経済発展を遂げている。
つまり、日本では瞑想文化と戦士文化がオーバーラップしながら共生してきたと考えられるだけではなく、瞑想文化と経済発展もまた共生してきたらしいことに思い至るはずだ。
だとすれば、戦士文化とも経済発展とも共生ができずに現在に至っているところの、(漢人に支配され、少なからぬ人々が亡命を余儀なくされていて、経済発展からも取り残されている)チベット(チベット仏教)や(イスラム勢力やイギリスの支配をずっと受け、貧困に満ちている)インド(ヒンドゥー教)なんぞではなく、(戦いに強かった過去を持ち経済も発展している)日本(禅宗)に目を向けてしかるべきだ。
ところが、彼らはそうしていない。
このような私の見解に対してコメントするなり批判するなりをしたいのであれば、実態が必ずしも明らかでないメイソンの話を持ち出す必要はないのであって、私の見解に即したより直截的なアプローチをした方が建設的では?
189
名無し@安全保障
2014/10/02(木) 00:12:22 ID:ma60WfM0
190
名無し@安全保障
2014/10/12(日) 03:37:44 ID:McKMPGqd
191
名無し@安全保障
2014/10/15(水) 19:55:52 ID:pJXZ/pHD
自衛官の確保について語ろう!
多分このさき志願者へるぜ。
192
名無し@安全保障
2014/10/22(水) 17:15:27 ID:ciVRpkWb
2014年10月17日、クレディ・スイスが富豪による富の独占状況についての研究報告を発表した。
報告では世界主要国(地域)における、所得上位10%人口の資産が、該当国の総資産に占める割合が示されている。
報告によると、2014年現在、富豪による富の独占が最も進行している国家はロシアである。
所得上位10%人口の資産が、ロシア総資産に占める割合は84.8%に達している。
第2位はトルコの77.7%。第3位は香港の77.5%。第4位はインドネシアの77.2%。第5位はフィリピンの76%。
第6位はタイの75%。アメリカは第7位で、74.6%に達する。第8位はインドの74%となる。
一方、富の分配が最も進んでいる国家はベルギーであった。所得上位10%人口の資産が、
ベルギー総資産に占める割合は47.2%にとどまる。
第2位は日本の48.5%。富の独占率が50%を下回ったのは調査国中、ベルギーと日本の2カ国のみであった。
また中国所得上位10%人口の資産が、中国総資産に占める割合は、2000年には48.6%にとどまっていたが、
2014年には64%にまで上昇している。中国は過去14年間で、最も富の独占が進んだ国家となった。
http://www.chinapress.jp/12/43753/ Global Wealth Inequality - What you never knew you never knew
https://www.youtube.com/watch?v=uWSxzjyMNpU 上記の動画によれば、200年前には富裕国と貧困国の経済格差は3倍に過ぎなかったが、
植民地時代を経て、1960年代にはその差は35倍に開き、現在では80倍にまで拡大しているとの事です。
国内外の格差縮小に努めてきた我が国の偉大さが分かろうというものです。