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管理人 ★
2018/12/19(水) 23:21:45 ID:kanrinin
993
太田述正
2022/03/16(水) 21:54:02 ID:TqcygQu9
若干なりとも解説を。
994
管理人 ★
2022/03/20(日) 19:03:43 ID:kanrinin
3月19日からブログのリンクが死んでる。テキスト見るとリンクの先頭と最後が文字化けしている。
995
名無し@安全保障
2022/03/20(日) 21:12:51 ID:NQ4U3Qo1
ウクライナの戦争を見ていると、我々の先祖たちが米国を相手にして、たとえ「負けた」にしても必死に戦った意味が分かってくるような気がしています。太田史観に挙げられているものと別に、以下のようなことも考えてみました。典拠がなく申し訳ないです。誤りを御叱正ください。
まず一つ目が、米国の占領が、比較的寛容なものとなったことです。昭和天皇の廃位をはじめとして日本の世論を敵に回すようなことをした場合、苛烈な戦闘経験を経たものも含む、何百万の復員兵達が死に物狂いで歯向かってくる恐怖をより現実的なものとして認識させたのではないでしょうか。
次に、長期間にわたって米軍が日本を離れられなくしたこと。対ソ正面たる日本の重要性ということは置くとしても、前述の復員兵達の存在を前提とすると、早期の米軍撤退はその統制の効かない強力な新日本軍の誕生を想定させるものであり、これもまた恐怖を認識させるのに十分ではないでしょうか。(もちろんその恐怖心は米国よりも例えば韓国の政権担当者において顕著であったのでしょうが。)
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太田述正
2022/03/20(日) 22:06:33 ID:WlAcvKdi
>994
どうすりゃ、いいんです?
997
名無し@安全保障
2022/03/20(日) 23:49:18 ID:1/+710xD
管理人は念のため0ch+の操作ログなどをみたほうがいいかもしれない。
ハッキングされていないか?
998
太田述正
2022/03/21(月) 07:31:34 ID:oBMWjW90
>995
徴兵軍だったのに、帝国陸軍の部隊・兵士が先の大戦において、全ての戦線で「必死に戦った」のは、漠然とではあれアジア主義が浸透していて大義は自分達にあり、と信じていたからだ、というのが大前提としての私の見解であることはご承知だと思います。
その上で、(戦前において意図的に対米装備に係る経費を抑えて他に回したこともあって質量ともに不十分な装備で太平洋戦線で戦うことになったにもかかわらず、)対米戦でも「必死に戦った」、というか、杉山らが太平洋戦線で戦いを継続させた理由は、ロシア(ソ連)が対日参戦をして、しかも、日本の領土、できれば北海道、まで侵攻してくる時まで、米軍の日本本土上陸作戦の発動時期を遅らせる必要があったからであり、その目的は、米軍をロシア軍と直接「対峙」させることによって、戦前まで親露(ソ)であった米国、しかしさすがに猜疑心が高まりつつあったと杉山らが見ていたであろう米国、に、それまでの日本がやってきた対露(ソ)抑止を全面的に、しかも、全世界的に、肩代わりさせることであった、と、私が見ているのもご承知だと思います。
で、杉山らは、これにほぼ成功して終戦を迎えることができた、と。
(「ほぼ」の意味はここでは繰り返しません。)
太平洋戦線で「必死に戦った」それ以外の対米「効果」・・例えば天皇制の維持・・なんてものは、どうでもいいとまでは言いませんが、派生的なものでしょう。
ついでに、対露(ソ)抑止を含め、戦争目的を全て達成したわけですから、日本は対支英米戦争であった先の大戦で勝利したのであって、先の大戦の終了を日本で「敗戦」ではなく「終戦」と形容したのは正しかった、という私の見解を改めて記しておきましょう。
ああそうそう、米軍がどうしていまだに「日本を離れ」ていないか、についてですが、それは私が日本の戦後史の大きなテーマであり、ここでは立ち入らないことにします。
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名無し@安全保障
2022/03/21(月) 18:51:58 ID:/IaHfkx3
>998
文字どおりの拙い考えに応答くださりありがとうございました。
「日本の戦後史の大きなテーマ」についてのご論考、楽しみにしています。
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管理人 ★
2022/03/21(月) 18:58:46 ID:kanrinin
文字化けは個人の環境に依存するのでなんとも言えない。