[リストへもどる]
一括表示
タイトルコラム#1694(未公開)のポイント
記事No174
投稿日: 2007/03/17(Sat) 20:37
投稿者太田述正
 コラム#1694「日本人のアングロサクソン論(続)(その1)」のさわりの部分をご紹介しておきます。

 渡部昇一氏の『アングロサクソンと日本人』(新潮社1987年)を・・読んでみました。
 ・・
最初は、いささか技術的なお話です。
渡部氏は、ノルマン公・・ウィリアム・・のイギリス征服によって、フランス語がイギリスの公用語になり、英語は300年近く・・正確には1066年から1362年まで・・姿を消した、と記しています。
 しかし、これは本来英語学者である筆者にしては、いささか雑駁に過ぎる記述です。
 より正確なところをお教えしましょう。
 
 まず、11世紀当時にはまだ標準フランスは成立しておらず、ラテン語のガリア地方における方言であるガロ・ロマンス(Gallo Romance)語の、これまた各種方言が、後にフランスの版図となる地域等で並立して用いられており、その内の一つがノルマンディー地方にその100年ほど前に侵攻したノルマン人が用いていた言語でした・・。
 しかも、この言語には、かつてバイキングであったノルマン人のゲルマン系の単語が多数混入していました。
 この言語は、後にアングロ・ノルマン語・・と呼ばれることになります。
 イギリスを征服したノルマン人は、アングロ・ノルマン語を用い続けたのですが、300年経たずして、被支配者の言語である英語を、原住民のみならず彼等まで用いるようになります。
 ・・これは不思議でも何でもありません。
 第一に、ウィリアムは、イギリス王位の正当な継承者として、あえて大部分の布令をラテン語または英語で発布しましたし、そもそも、イギリスの法制度に変更は加えたものの、ノルマンの法制度で置き換えたわけではなかったことです。
 ・・
 第二に、1066年以降のノルマン人のイギリスへの移住はせいぜい2万人程度であり、当時のイギリスの人口の1.3%に過ぎなかったことです。
 そこで、13世紀初めに・・はノルマン系貴族の間でもアングロ・ノルマン語はほとんど用いられなくなったのです。
 そして、1362年には、行政(議会を含む)及び司法の場で話し言葉としては英語を用いなければならないとする法律が成立するのです。
 ・・