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タイトルコラム#1696(未公開)のポイント
記事No180
投稿日: 2007/03/19(Mon) 22:51
投稿者太田述正
 コラム#1696日本人のアングロサクソン論(続)(その3)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
 ・・
 このあたりで、渡部氏のアングロサクソン論の根本的な問題点を挙げておきましょう。
 第一に、氏が本来は言語学者であるにもかかわらず、平気で「アングロ・ノルマン語」を「フランス語」とぼかした記述を行ったり、今度はcommon senseを「王様の首を斬ったり<といった>ラディカラルなこと」をしないことという意味で用いる・・という誤りを犯し・・たりしていることです。
 ・・ラディカルな米独立革命の理論的煽動書となったトマス・ペイン(Thomas Paine)の1776年の小冊子のタイトルがcommon sense であったことを思い出すだけでも、渡部氏の言葉に対する感覚の杜撰さは明らかだろう・・
 第二に、日本史について論じる時と同じく、イギリス史を論じる時に、特定の人物の役割を過大視することは禁物であることを氏は分かっていないことです。
 ・・<渡部氏は、英国の初代「首相」のウォルポールが傑出した政治家であったとしていますが、>ウォルポールは英国憲政史の発展にはほとんど寄与していない、というのが英国での一貫した「常識」なのです。・・
 第三に、これは渡部氏のしかもアングロサクソン論に限った話ではなく、日本の評論家のあらゆる論考に一般的に当てはまることですが、氏が一切典拠を示していないことです。・・
 第四に、これも渡部氏のしかもアングロサクソン論に限った話ではなく、日本の評論家一般にしばしば見られることですが、一つの本、一つの論考の中で、互いに相矛盾すること無神経にも主張されていることです。
 渡部氏は、「平和主義の弊害」を力説し、「クエーカーの平和至上主義が第一次大戦を招来」し、「チェンバレンの国際平和主義が第二次世界大戦に走らせた」と力説しています・・。ところが、その一方で氏は、ウォールポールの孤立主義、非戦主義については、当時の英国に経済的繁栄をもらたしたとして、手放しで礼賛しています・・。
 しかし、これでは著しく一貫性に欠けると言われても仕方がないでしょう。
 少なくとも渡部氏は、平和主義の弊害がどうしてウォルポールの時代には生じなかったのか、その理由を説明すべきでした。
 私には、ウォルポールの引退直後の1745年に、フランスに亡命していた(ジェームス2世の孫の)ボニー・プリンス・チャーリー・・のスコットランドを根城にした叛乱によってすんでのところでハノーバー朝が倒されそうになった・・のは、ウォルポールが軍事力、就中陸軍力の整備を怠ったことも原因の一つだと思えてならないのです。

(続く)