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タイトルコラム#1697(未公開)のポイント
記事No181
投稿日: 2007/03/20(Tue) 22:21
投稿者太田述正
 コラム#1697「慰安婦問題の「理論的」考察(その1)」のさわりの部分をご紹介しておきます。

 ・・
 慰安婦問題に関する韓国と米国の反応には違いがあるように思われませんか。
 韓国の方は、少なくとも官憲の関与があったかどうかにこだわる日本政府と同じ土俵の上で対日批判を行っている・・のに対し、米国の対日批判の方は、強制性さえ認められれば、官憲の関与の有無は余り問題にしないものだけでなく、強制性の有無さえ問題にしないかのようなものさえ見受けられる・・からです。
 ・・
・・シーファー駐日米大使が16日、太平洋戦争中の従軍慰安婦について<行った>発言は、保護国日本に君臨する宗主国「総督」の傲慢さの表れであると言うより、米国の識者の最大公約数的見解の表明と受け止めるべきだろう。
 ・・
 日本政府は16日、河野談話発表までに「政府が発見した資料の中には、軍や官憲による、いわゆる強制連行を直接示すような記述は見あたらなかった」とする答弁書を閣議決定し、そのスタンスを改めて明確に表明しました・・。
 この日本政府のスタンスを当然視した上で、在ワシントンの古森義久・産経新聞記者のように、元慰安婦の証言の信憑性に疑問を投げかけたり、米下院で慰安婦問題問責決議案の提出者であるホンダ議員の選挙区事情を暴いたりする・・日本人識者は少なくありません。
 しかし、官憲の関与の有無など米国の識者は余り関心がないとしたら、関与はなかったといくら主張したところでせんないことですし、選挙区事情を云々するのは、民主主義で選挙民の意向を反映するのがなぜ悪いと開き直られるのがオチです。
 ですから、どうして強制性の有無や官憲の関与の有無が重要なのかをわれわれはきちんと米側に説明しなければならないのですが、その前に、どうして強制性の有無や官憲の関与の有無について米国の識者は余り関心がないのかを理解する必要があります。
 これを理解するためのヒントがマッキノンの主張なのです。

(続く)

タイトルRe: コラム#1697(未公開)のポイント
記事No184
投稿日: 2007/03/21(Wed) 10:59
投稿者一有料読者
 強制性の有無や官憲の関与の有無について米国の識者は余り関心がないのらば、聯合軍占領下におけるかのAmusement Center についての米国識者の考えはどうなんでしょうか。ACでは「飢 えと寒さ」以外の強制は一応なかったと思います。

 当時の米国兵顧客の名簿が残っていませんかね。

タイトルRe^2: コラム#1697(未公開)のポイント
記事No185
投稿日: 2007/03/21(Wed) 11:02
投稿者太田述正
 その後米国が変わったのです。
 正確に言うと、先祖返りしたのです。
 捕鯨のために日本を開国させた米国が、捕鯨無条件全面禁止の旗振り役に変わったわけですが、この点では米国に早く先祖返りして欲しいものです。

タイトルRe: コラム#1697(未公開)のポイント
記事No186
投稿日: 2007/03/21(Wed) 11:28
投稿者一井義教
>  コラム#1697「慰安婦問題の「理論的」考察(その1)」のさわりの部分をご紹介しておきます。

太田様:

今回の考察は(その一)ということですので,差し出がましい限りですが,今後の考察用にFYIしておきます.
*****

共和党が米連邦議会両院で未だ多数派だった昨春,米国のJ・トーマス・シーファー駐日大使が一時帰米し,とある大学で講演した際に見かけた光景です.同大使の講演が終了し質疑応答の部になったところで,Alexis Dudden (Connecticut College准教授)という慰安婦研究者が,米連邦下院で審議中の慰安婦問題に関する対日非難決議案の可決の見通しについて質しました.同大使は大使らしい所謂diplomaticな応答でさらりと捌きましたが,彼女は此れに納得せず「これこれの理由で今年は可決されるのではないか」云々と質問を繰出して畳み掛けましたが,大使も言質を与えない短い答えを続けたため,質疑は平行線のままで終わりました.

このDudden准教授の研究活動をWeb検索するとすぐ分かるのですが,日本の大学関係者の慰安婦等の「研究」活動を基にした日・米・豪等在住の研究者兼活動家による英文情報発信・活動網があり,その一媒体がJapan Focusという日本研究英文雑誌(http://www.japanfocus.org/)です.当誌に集う研究者を調べると,今回の対日非難決議案だけでなく,女性国際戦犯法廷及びその後のNHK対朝日新聞誤報事件,扶桑社の歴史教科書への抗議等にも関与していることが分かります.また,俵義文氏のサイトにある「日本の歴史教科書に関する国際研究者アピールについて」という頁(http://www.linkclub.or.jp/~teppei-y/tawara%20HP/rekisi2001.html)にリストされている内外の研究者を見れば,今後慰安婦問題に関して海外在住のどのような日本研究者からコメントが登場するか,ある程度予想できるでしょう.

Dudden準教授の米国における研究仲間を辿っていくと彼等の活動方針の一端が其れなりに分かります.例えば,米アイヴィー・リーグの一校であるブラウン大所属のKerry Smithという準教授がいます(先の国際研究者リストにも含まれています).同大学での彼が関与した委員会が以下の報告書をまとめています:

Slavery and Justice: Report of the Brown University, Steering Committee on Slavery and Justice
http://brown.edu/Research/Slavery_Justice/report/index.html
(慰安婦に関しては42頁他)

太田様の過去のコラムで既に言及済みと思いますが,米国では90年代ころから,アフリカ系米国人を中心に黒人奴隷売買の賠償・謝罪要求活動が主流メディア上でポツポツ報道されるようになりました.例えば,米国における奴隷取引に関与したという廉(かど)で現存の老舗保険会社が訴訟されるという具合です.この背景には,日系米国人の戦時強制収容に対する米政府による謝罪や賠償金支給の立法化という影響があります.このような世相において,慰安婦活動家達は,米国及び世界において「慰安婦」が「性奴隷」であったという説得に成功したならば,慰安婦問題がより普遍的な「奴隷」問題の一部として世間の認知を受けるだけでなく,賠償活動等においても同等の手段が適用可能と考えているようです.上記の委員会報告書には,そのような活動方向が展望されています.よって,これ等の慰安婦問題活動家達は,活動の本義上,慰安婦とは,経済的理由による自発的売春婦(prostitute)で運が悪いと略取の対象になった者ではなく,官憲の関与は兎も角,略取・誘拐された性奴隷(sex slave)であった,という主張を貫く必要があり,慰安婦が英文報道される場合はsex slaveという強烈な見出し語が使われなくては困るわけです.自分達の御先祖様が残した原罪に対する贖罪活動を,日本等の他国まで巻き込んで同活動の規模拡大を図り,人類・世界規模での崇高な贖罪・正義追求活動としての体裁を整え,自らその唱道者に納まるというのは,民主主義の唱導国として米国の面目躍如,国際連盟を提唱した国の遺伝子を垣間見る感じです.

タイトルRe: コラム#1697(未公開)のポイント (補足)
記事No187
投稿日: 2007/03/21(Wed) 11:46
投稿者一井義教
前のコメントに書ききれなかった部分を以下に補足します.

心情的反米日本人学者と反日米国人学者の共生

今日,米国あたりでは,英文による日本研究の蓄積が相当な規模になったため,日本語に難があっても英文文献を主体とした研究で「日本研究者」を名乗れる時代となりました.よって,在外研究で来日した日本語が不得意な外国人研究者に,英語に弱い日本人研究者がネタを提供することにより,ある種の共生状態(日本人側:自分の研究が英文研究論文に引用されて世界に知られる;外国人側:世界に余り知られていない日本の研究を仕入れそれらを素に上手く調理・加工すれば,素早く研究業績を積める・自分の活動に使える)が生まれています.その一例が,2003年『文藝春秋』に掲載された秦郁彦氏の論文「歪められた昭和天皇像−話題のビックス本は呆れるほど間違いだらけ」(同論文は『歪められる日本現代史』(PHP研究所2006年刊)に再録された)が指摘している,ハーバート・ビックスとかつて在籍した一橋大学での同僚との関係です.いい加減な日本研究を米国で学会発表しても,不埒千万とわざわざ米国まで乗り込んで英語で論難したり,また英文誌上で論争を挑むだけの執念が,一般的に英語が不得意な日本人研究者にあるかどうか疑問です.更に,日本語が不得手な者による英文日本研究は二流以下という中華的先入観に縛られていれば,無視に至るのも当然でしょう.たとえ日本語媒体上で内弁慶的に批判しても,その読者は高々1.2億ですから,65億マイナス1.2億に浸透した英語経由の「世界の常識・史実」を動かすことは非常に難しいことになります.

心情的に反米の日本人研究者と反日基調の米国人研究者とが何故このような共生を維持できるのか,太田氏のコラム読者や政治学者片岡鉄哉氏の著作を読まれている方には直ぐお分かりでしょう.現在反米姿勢の左翼系日本人研究者は,元々占領終了後における米軍日本占領正史の語り部になることを期待され,公職追放・言論統制・検閲という占領軍の用意した温室で特別に育成された申し子です.よって,これ等の語り部は,戦前の日本が如何に反民主的で軍国主義に染まり残虐であったか等の占領軍の初期プロパガンダを鸚鵡返し的に復唱することが求められます.しかし,日本を含むアジアに対する無知や希望的観測による国際認識に基づいた所謂占領初期の「民主化路線」は冷戦の顕在化で破綻し,占領軍は現実的な妥協路線の選択を余儀なくされ,占領の申し子として手塩をかけて育てた彼等は仇花扱いとなりました.

しかし,ここで話がややこしくなるのは,米国の寵愛を受けながら状況が変われば簡単に見捨てられた南米諸国の独裁者やイラクのフセイン元大統領の例とは違い,占領初期に人為的に咲かせた申し子達を米国は今も必要としているというジレンマです.何故ならば,米国が対外的に日本占領を「民主化の成功例」と引き合いに出す際,占領の申し子が,自らが過去において「戦争犯罪人・自由民主主義の敵である軍国主義主義者」という烙印を押しながら冷戦激化後に御都合主義的に復活させた旧体制エリートという二番目の申し子では,占領政策に矛盾・失敗があった事が一目瞭然となります.よって,日本占領が民主化成功譚として語られる際のショー・ケースは,民主化路線上で育成しながら見捨てた第一の申し子でなければならず,この申し子達が,米国によるヤラセではなく,彼等の本音として「初期」占領政策を賛美(例えば現行[占領]憲法の絶対堅持や占領初期憧憬[占領初期は黄金時代でそれ以降は反動の一途]等)すればするほど,米国の主張に説得力を持たせることになります.更に,当該申し子達が,自尊心の発露としてのプチ反米を抑えられず,戦後の日本の諸制度変更は占領軍への面従腹背的collaborationではなく,戦後変革の種子は戦前から日本に内在していて,日本人による自主的開花という側面が強い,というような米軍が与えた枠組みや指示を過小評価した神話を主張するに至れば,米国にとってこれ程望ましいことはないでしょう.予断を許さない極東外交において日本に求めるのは,現実路線から,旧大日本帝国の末裔である第二の申し子で,世界に向かって民主主義の唱道者として振舞う際は,極東軍事裁判史観の建前に従い,民主化路線で育てた一番目の申し子と,適宜パートナーを取り換えなくてはいけない,此処に米国の苦衷があります.よって極東軍事裁判史観に未だ疑念を抱かない反日米国人と占領初期民主化路線で育成された日本の申し子達はそのドグマ(日本の戦前・戦中の対アジア蛮行の謝罪・賠償は済んでいない等)を共有する点において親和性が高く,先のコメントで述べたような研究・活動上の相利共生が維持できるのです.

最後に,慰安婦問題をめぐる当該第一の申し子と極東諸国の関係については,筑波大学教授古田博司氏が『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館2003年刊)の170頁で次のように述べています:

[日本の対東アジア贖罪派は]日本が道徳的に劣っているがゆえに,彼らは韓国や中国と連帯し,日本を内側から撃とうとする.のみならず,外から撃たせるべく,中・韓の諸官庁に向けて日本批判の資料を秘かに郵送・配布することを怠らないと,現地の役人より聞いている.彼いわく,「我々のナショナリズムを擁護するために,日本のナショナリズムを,我々ともども撃ってくれる人々だ」と.「しかし少々困る.その資料があまりに多すぎて,われわれは辟易しているのだ」ともいうのである.([]内は当筆者補足)

古田氏は,対東アジア贖罪派(米軍占領の第一の申し子)が自国のナショナリズムを論難しておきながら,極東諸国のナショナリズムに対しては,頬かむりどころか,むしろ助長させる方向で関与するという,一貫性のなさを指摘しています.詳しくは,同書及び同氏の『東アジア「反日」トライアングル』(文春新書467,2005年刊)を御覧になってください.