タイトル | : Re: コラム#1697(未公開)のポイント (補足) |
記事No | : 187 |
投稿日 | : 2007/03/21(Wed) 11:46 |
投稿者 | : 一井義教 |
前のコメントに書ききれなかった部分を以下に補足します.
心情的反米日本人学者と反日米国人学者の共生
今日,米国あたりでは,英文による日本研究の蓄積が相当な規模になったため,日本語に難があっても英文文献を主体とした研究で「日本研究者」を名乗れる時代となりました.よって,在外研究で来日した日本語が不得意な外国人研究者に,英語に弱い日本人研究者がネタを提供することにより,ある種の共生状態(日本人側:自分の研究が英文研究論文に引用されて世界に知られる;外国人側:世界に余り知られていない日本の研究を仕入れそれらを素に上手く調理・加工すれば,素早く研究業績を積める・自分の活動に使える)が生まれています.その一例が,2003年『文藝春秋』に掲載された秦郁彦氏の論文「歪められた昭和天皇像−話題のビックス本は呆れるほど間違いだらけ」(同論文は『歪められる日本現代史』(PHP研究所2006年刊)に再録された)が指摘している,ハーバート・ビックスとかつて在籍した一橋大学での同僚との関係です.いい加減な日本研究を米国で学会発表しても,不埒千万とわざわざ米国まで乗り込んで英語で論難したり,また英文誌上で論争を挑むだけの執念が,一般的に英語が不得意な日本人研究者にあるかどうか疑問です.更に,日本語が不得手な者による英文日本研究は二流以下という中華的先入観に縛られていれば,無視に至るのも当然でしょう.たとえ日本語媒体上で内弁慶的に批判しても,その読者は高々1.2億ですから,65億マイナス1.2億に浸透した英語経由の「世界の常識・史実」を動かすことは非常に難しいことになります.
心情的に反米の日本人研究者と反日基調の米国人研究者とが何故このような共生を維持できるのか,太田氏のコラム読者や政治学者片岡鉄哉氏の著作を読まれている方には直ぐお分かりでしょう.現在反米姿勢の左翼系日本人研究者は,元々占領終了後における米軍日本占領正史の語り部になることを期待され,公職追放・言論統制・検閲という占領軍の用意した温室で特別に育成された申し子です.よって,これ等の語り部は,戦前の日本が如何に反民主的で軍国主義に染まり残虐であったか等の占領軍の初期プロパガンダを鸚鵡返し的に復唱することが求められます.しかし,日本を含むアジアに対する無知や希望的観測による国際認識に基づいた所謂占領初期の「民主化路線」は冷戦の顕在化で破綻し,占領軍は現実的な妥協路線の選択を余儀なくされ,占領の申し子として手塩をかけて育てた彼等は仇花扱いとなりました.
しかし,ここで話がややこしくなるのは,米国の寵愛を受けながら状況が変われば簡単に見捨てられた南米諸国の独裁者やイラクのフセイン元大統領の例とは違い,占領初期に人為的に咲かせた申し子達を米国は今も必要としているというジレンマです.何故ならば,米国が対外的に日本占領を「民主化の成功例」と引き合いに出す際,占領の申し子が,自らが過去において「戦争犯罪人・自由民主主義の敵である軍国主義主義者」という烙印を押しながら冷戦激化後に御都合主義的に復活させた旧体制エリートという二番目の申し子では,占領政策に矛盾・失敗があった事が一目瞭然となります.よって,日本占領が民主化成功譚として語られる際のショー・ケースは,民主化路線上で育成しながら見捨てた第一の申し子でなければならず,この申し子達が,米国によるヤラセではなく,彼等の本音として「初期」占領政策を賛美(例えば現行[占領]憲法の絶対堅持や占領初期憧憬[占領初期は黄金時代でそれ以降は反動の一途]等)すればするほど,米国の主張に説得力を持たせることになります.更に,当該申し子達が,自尊心の発露としてのプチ反米を抑えられず,戦後の日本の諸制度変更は占領軍への面従腹背的collaborationではなく,戦後変革の種子は戦前から日本に内在していて,日本人による自主的開花という側面が強い,というような米軍が与えた枠組みや指示を過小評価した神話を主張するに至れば,米国にとってこれ程望ましいことはないでしょう.予断を許さない極東外交において日本に求めるのは,現実路線から,旧大日本帝国の末裔である第二の申し子で,世界に向かって民主主義の唱道者として振舞う際は,極東軍事裁判史観の建前に従い,民主化路線で育てた一番目の申し子と,適宜パートナーを取り換えなくてはいけない,此処に米国の苦衷があります.よって極東軍事裁判史観に未だ疑念を抱かない反日米国人と占領初期民主化路線で育成された日本の申し子達はそのドグマ(日本の戦前・戦中の対アジア蛮行の謝罪・賠償は済んでいない等)を共有する点において親和性が高く,先のコメントで述べたような研究・活動上の相利共生が維持できるのです.
最後に,慰安婦問題をめぐる当該第一の申し子と極東諸国の関係については,筑波大学教授古田博司氏が『東アジア・イデオロギーを超えて』(新書館2003年刊)の170頁で次のように述べています:
[日本の対東アジア贖罪派は]日本が道徳的に劣っているがゆえに,彼らは韓国や中国と連帯し,日本を内側から撃とうとする.のみならず,外から撃たせるべく,中・韓の諸官庁に向けて日本批判の資料を秘かに郵送・配布することを怠らないと,現地の役人より聞いている.彼いわく,「我々のナショナリズムを擁護するために,日本のナショナリズムを,我々ともども撃ってくれる人々だ」と.「しかし少々困る.その資料があまりに多すぎて,われわれは辟易しているのだ」ともいうのである.([]内は当筆者補足)
古田氏は,対東アジア贖罪派(米軍占領の第一の申し子)が自国のナショナリズムを論難しておきながら,極東諸国のナショナリズムに対しては,頬かむりどころか,むしろ助長させる方向で関与するという,一貫性のなさを指摘しています.詳しくは,同書及び同氏の『東アジア「反日」トライアングル』(文春新書467,2005年刊)を御覧になってください.
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