[リストへもどる]
一括表示
タイトルコラム#1702(未公開)のポイント
記事No197
投稿日: 2007/03/24(Sat) 20:22
投稿者太田述正
参照先http://www.ueda-reiko.com/
 コラム#1702「慰安婦問題の「理論的」考察(その4)」のさわりの部分をご紹介しておきます。

 では、サルと人間との違いはどこにあるのでしょうか。
 最新の研究によれば、倫理感覚を司っているのは、サルも持っているところの、大脳皮質中の原始的な部位のventromedial(下部中央)領域であるところ、人間の場合、新しく発達した大脳皮質の中で費用便益分析を行う領域があり、両領域間で調整が行われた上で倫理的決断を下すことが分かりました。
 このventromedeial領域は、人間(サル)に対し、例えば、他の人間(サル)を殺すことは悪いことだという倫理感覚を付与しています。
 悩ましいのは、他の人間を殺すこと(費用)が、それ以上の便益をもたらす場合です。 ・・
 例えば、家族と友人達が隠れている所へこれらの人々を殺しに悪漢が接近してきた時、一緒に隠れている赤ん坊が泣き出したらどうするか・・、あるいは、貨車が独りでに動き出し、その先に5人の作業員がいる時、自分の隣に立っている人を貨車の前に突き倒せば、その人は死ぬけれど貨車を止めることができる場合にどうするか、決断を求められたとします。
 ・・
 この場合、ventromedeial領域が病気で破壊された人間は、破壊されていない人間に比べて、赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す、という決断を下す確率が2〜3倍に達するというのです。
 ・・
 私が注目したのはこの研究そのものではありません。この研究を紹介する記事の中で、ニューヨークタイムスの記者が、恐らく上記実験で実際に用いられることのなかったであろう三番目の状況を勝手に想定していることです。
 具体的には、彼は、他の人間を殺してはならない、という倫理感覚と並ぶ倫理感覚として、赤貧の家計の足しにするためと言えども娘をポルノ産業で働かせてはならない、を挙げているのです。
 ・・
 娘をポルノ産業でポルノ女優として、あるいは廓(後任売春宿)で花魁(売春婦)として働かせることを是とするか非とするかは、サルと人間が共有する倫理感覚とは全く無関係であることは、日本人にとっては自明の理ではあっても、米国人、ひいてはアングロサクソンにとっては非常識の最たるものであるらしいことが、このことからも分かりますね。
 ・・
 一体、アングロサクソンにかくもポルノや売春に対して否定的な見方をさせるに至ったゆえんは何なのでしょうか。
 それが、人類共通の倫理感ならぬ、特殊な倫理感たるビクトリア朝的倫理感なのです。

(続く)

タイトルRe: コラム#1702(未公開)のポイント
記事No198
投稿日: 2007/03/25(Sun) 09:49
投稿者しまだ
>  この場合、ventromedeial領域が病気で破壊された人間は、破壊されていない人間に比べて、赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す、という決断を下す確率が2〜3倍に達するというのです。

スペルが間違っているようです。
「ventromedial prefrontal cortex:VMPC(腹内側前頭葉皮質)」
       ~~~
 この手の実験でいつも思うのは、確率が2〜3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。
 VMPC領域に損傷している人でも「赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す」という選択をしていない人も大勢いるわけです。これをどう説明するのでしょうか?
 「VMPC(腹内側前頭葉皮質)という脳領域が、私達の道徳的な判断に関して【重要な】役割を果たしている」という命題はどう考えても論理的に成り立たないと思います。

 こんな実験で
>Yet the findings, appearing online yesterday, in the journal Nature, confirm the central role of the damaged region, the ventromedial prefrontal cortex, which is thought to give rise to social emotions, like compassion.
なんて言えるのでしょうか?

「VMPC(腹内側前頭葉皮質)という脳領域が、私達の道徳的な判断に関して影響を与えている可能性がある」という程度のものでしょう。

以上、傍論ですが。

タイトルRe^2: コラム#1702(未公開)のポイント
記事No199
投稿日: 2007/03/25(Sun) 10:28
投稿者太田述正
参照先http://www.ueda-reiko.com/
 人間の大脳には、損傷を受けた領域を他の領域が代替する機能が備わっています。
 脳梗塞で言語能力や身体能力が損傷を受けた患者がリハビリによってある程度回復することがその証左です。
 従って、たとえ確率が2〜3倍でも、それが統計学的に有意でさえあれば、上記のような結論を導き出すことは可能であると考えます。

タイトルRe^2: コラム#1702(未公開)のポイント
記事No200
投稿日: 2007/03/25(Sun) 14:52
投稿者バグってハニー
あのですね、ちょっと誤解が(先生のコラムにも)あるようなので補足したいのですが...。

まず、どんな実験をしたのかですね。実験には三つの被験者群がいました。前頭前野腹内側部に損傷のある人(実験群)、損傷のない人(ネガティブ・コントロール群)、別の部位に損傷のある人(ポジティブ・コントロール群)。それでまあ、いろいろ質問するわけです。

例えば、5人の作業員の命を助けるために暴走列車の進路を転轍機で変えるか(その進路の先には別の一人がいてそれでもその一人は死ぬことになる)、貧乏のために娘を遊郭に売り飛ばすか、どうでもいい赤子を見殺しにするか、といった類の質問です。これらの質問に対してはどの被験者群も同じように答えます。つまり、5人のためだったら転轍機を操作する、娘を売り飛ばすなんてもってのほか、赤ん坊はたとえどうでもよくでも殺したりなんかしない、といった具合です。

答えが大きく違うのは次の質問です。5人の作業員を救うためには自分がその場にいる誰か一人を線路に突き落とさなければならない、という質問です。二つのコントロール群がそれはしない、と答えるのに対して、前頭前野腹内側部に損傷のある被験者はそれをためらわない、と答えます。つまり、構造的によく似た質問では差が出ないのに、この自分が直接手を下すのかどうかで答えに大きな差が出るようになる、というのがこの実験のミソですね。違いが一点だけ出てくるのでその違いを脳の特定の部位に結び付けることができるわけです。言い換えると、健常な人にとって、少数を犠牲にして多数を救えるのは頭(損得勘定)では良いことだと分かってはいても、生身の人間を誰か一人直接自分で殺すのは到底できない、ということですね。それで、よく訓練された狙撃手でもどうたらこうたら、という話に繋がります。前頭前野腹内側部がこの「仲間(他の人間)を直接殺すことができない」という原始的な倫理観を司っているのではないか、というのがこの実験をした人たちの結論ですね(私、このDamasioと言う人だけ名前を聞いたことあります)。

それでDamasio先生、記事の最後でこう言ってます。“A nice way to think about it is that we have this emotional system built in, and over the years culture has worked on it to make it even better.”前段は今言った通りの生得的な倫理観のことで、後段の文化を通して獲得する倫理観とは、多数のために少数を犠牲にする、ポルノを忌避する、赤ん坊を大事にするといった倫理観を指しているのではないでしょうか。つまり、「娘をポルノ産業でポルノ女優として...働かせることを是とするか非とするかは、サルと人間が共有する倫理感覚とは全く無関係である」と、太田先生同様、このDamasio先生も考えているわけです。むしろ、ポルノを忌避するのはヒトがサルではない、人を人たらしめている倫理観である、という風に考えているんじゃないでしょうか。まあ、私はアングロサクソン論をぶつ立場にはないですが、今までアメリカ人・文化を見てきて、この人たち人間は進歩し続けなければならないという強迫観念に取り付かれているような気がします。ポルノに対する態度はそういう強迫観念とよく合致していると思いますね。

ところで、従軍慰安婦シリーズは「小林よしのりを英訳」とか言い出したときはどうなることかと思いましたが、いい感じになってきたと思いますよ。なんつうか、両者の論点がかみ合ってないんですよね(まあ、政治論争にはつきものですが)。ただ、相手の言い分、なぜそう主張するのか、目的は何なのかをよく理解せずに、論争に勝てるはずはないです。

小林よしのりは、主張が一貫していず、反米が嵩じて左翼と迎合したりすることもあって、軍事オタク(私は"広義"の軍オタ)の間では非常に評判が芳しくないです。

タイトルRe^3: コラム#1702(未公開)のポイント
記事No201
投稿日: 2007/03/25(Sun) 16:02
投稿者しまだ
 解説どうもです。

 ネイチャーに30ドル払わなければ読めないので残念ですが、
http://www.nytimes.com/imagepages/2007/03/22/science/22moral_graphic.html
 80%強がyesなんですね。これは驚き。
 即座に損得計算をして、感情に惑わされず(または殺して)に実行できる「軍事頭脳」「危機管理頭脳」みたいで、国防総省のマッドサイエンティストが喜びそう。

> 答えが大きく違うのは次の質問です。5人の作業員を救うためには自分がその場にいる誰か一人を線路に突き落とさなければならない、という質問です。

 5人対1人と命の比較とか、質問の立て方が異文化的で面白いですね。自己犠牲の選択肢がないのも面白い。
 ただ、わたしはこの質問の状況が、いまいちレアルに想像できないのですが・・・

タイトルRe^4: コラム#1702(未公開)のポイント
記事No207
投稿日: 2007/03/27(Tue) 05:53
投稿者バグってハニー
私が誤解していると書いたのは、この脳の当該部位が倫理判断一般に関わっているのではなくて、その中でも自ら手を下す人殺しを伴う倫理判断だけに関わってくることを示したかったからです。

それで、前回は疑問にちゃんとお答えしてなかったので。

>  この手の実験でいつも思うのは、確率が2〜3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。

この手の実験結果が有意かどうかは統計的検定を用いて決めます。この研究者達はオッズ比
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%83%E3%82%BA%E6%AF%94
の検定を行っています。具体的なこと書いても仕方ないので背後にある思想だけ書いときますが、しまださんが書いたとおり、こういう結果が出たのは、たまたま損傷患者群に冷徹な人が多くて、対照群(健常者)にたまたま情に篤い人が多かったからじゃないか、という可能性が必ずあるわけです。統計検定ではこの「たまたま」を数値化します。オッズ比が高ければたまたまでない可能性が高まりますし、被験者の数が多くなってもたまたまでない可能性が高まると直感的に理解してもらえると思います。(二つのグループの癌の罹患率を調べてあるグループは他のグループの三倍、癌患者がいたとしましょう。各グループで1000人ずつ調べた場合と3人ずつ調べた場合で、1000人の方がその結果はたまたまじゃない可能性が高く、むしろ両者の違いは癌のなりやすさと関係があると結論できます。この論文の場合、損傷患者は6名、対照群はそれぞれ12名でした。)
全く同じ母集団から二群の標本をランダムに抽出しても必ず二群の間にはある程度の差は出るわけです。両者の差がそういう試行を20回繰り返したときに初めて出るような大きな差であれば、つまり恣意的な数字ですが伝統的に確率が5%未満であれば、二群は同じ母集団から抽出されたがたまたまそれだけの大差が出たとは考えられない、二群は異なる母集団に属していると結論します。これが新聞なんかで「両者には統計的に有意な差があった」などと意味不明は日本語で書かれるやつです。この論文の場合、オッズ比がたまたま2〜3倍になる確率は4%未満だったので、それはたまたまじゃない、と結論されました。

>  VMPC領域に損傷している人でも「赤ん坊を窒息死させる、あるいは人を突き倒す」という選択をしていない人も大勢いるわけです。これをどう説明するのでしょうか?

これは全くその通りです。しかし、こう考えてください。様々なところで喫煙は肺癌のリスクを上昇させると聞いていると思います。それこそ、研究者達は山ほど統計的検定を繰り返してきたでしょう。しかし、そんな研究がいくら蓄積したところで、今隣でタバコを吸っている人が将来癌になるかどうかを言い当てることはいつまでたってもできません。だからといって、これらの喫煙と肺癌の罹患率を調べた疫学的研究には意義がない、とは言えないでしょう?

>  ただ、わたしはこの質問の状況が、いまいちレアルに想像できないのですが・・・

以下、実際に用いた質問文
A runaway trolley is heading down the tracks toward five workmen who will be killed if the trolley proceeds on its present course. You are on a footbridge over the tracks, in between the approaching trolley and the five workmen. Next to you on this footbridge is a stranger who happens to be very large.

The only way to save the lives of the five workmen is to push this stranger off the bridge and onto the tracks below where his large body will stop the trolley. The stranger will die if you do this, but the five workmen will be saved.

Would you push the stranger on to the tracks in order to save the five workmen?

つまり、5人を救うためにたまたま歩道橋の上に居合わせたでかいやつを線路に投げ込むかどうか。ありえねえーって感じですか?なんか、日本映画で乗客を救うため、暴走列車を止めるために自らの身を線路に投じるというの、なかったでしたっけ?全ての質問は、はい、いいえで答えることになっています。

タイトルRe^5: コラム#1702(未公開)のポイント
記事No209
投稿日: 2007/03/27(Tue) 10:12
投稿者太田述正
> この手の実験でいつも思うのは、確率が2〜3倍というのが有意な実験結果なのかという疑問です。

 この島田さんの疑問は、どうして「2〜3倍」の差しか出ないのか、であると私は受け止めています。
 これについて、私のシロウト判断をお示ししてありますが、専門家として「正解」お答えいただければ、と思います。

タイトルRe^6: コラム#1702(未公開)のポイント
記事No218
投稿日: 2007/03/27(Tue) 23:16
投稿者バグってハニー
>  これについて、私のシロウト判断をお示ししてありますが、専門家として「正解」お答えいただければ、と思います。

「正解」なんておこがましいですが、というかNo.199が「正解」じゃないですか。もう少し正確に書くと、「ある倫理命題に対して脳の単一の部位が専断的に判断を下すわけではない」ということじゃないですか。つまり、「前頭前野腹内側部はこの手の倫理命題の判定に関与はしているが、それはこの領域のみがこの手の倫理命題の判定を下すことを意味しない」ということです。だからこの領域が機能しなくなると他の領域での判断が優先されるようになってYesの比率が高まるが、それでも当該領域以外でNoの判定を下す別の領域が生き残っているので、100%答えがYesになるわけではない、ということじゃないでしょうか。

喫煙と肺癌の例えで言えば、喫煙は確かに肺癌の主要因子ではあっても、それ以外の因子もあるわけです。家族歴とかアスベストとか粉塵とかその他の肺の疾病とか。喫煙するかどうかだけで肺癌になるかどうかが決まるわけでもないし、喫煙すれば100%肺癌になるわけでもない、ということと同じだと思います。

太田先生が指摘した通りで、脳に限らず生物というのは冗長にできていて、ある器官やその一部が損なわれたところで、別の部位やその一部がその機能を代替するということはよくあるわけです。脳の一部が壊れただけで冷徹無比の殺人者に変貌するんだったら、人類は今までもってないですよね。

タイトル太田氏へ
記事No208
投稿日: 2007/03/27(Tue) 07:32
投稿者バグってハニー
私が間違いだと思ったのは二つあります。

まず、「娘を売り飛ばす」という設問は記者の想定でも筆の綾でもなく、実際に用いられた設問で、損傷患者と対照群(健常者)の間で答えに差が出なかった設問の一例として紹介されたに過ぎない、ということです。まあ、この記事の書き方では記者がそう思って作った質問だ、と読めなくもないですが。別にこの実験の目的は平均的な米国人の倫理観を調べるためではないですから、予備実験や先行研究で設問に対する答えを予測していたとしても、たまたま設問の中に全員一致したり、損傷患者だけYesの答えが妙に多いのがあったりして、それを解析した結果、この脳の部位にはこんな働きがあるのではなかろうか、という結論に至ったわけでして。もちろん、太田先生のスタンスは「そもそも、この研究者がこんな設問をコンフリクトのある倫理問題として挙げるのはおかしい、記者が数ある質問の中でわざわざ、この質問に言及するのはおかしい」ということなんでしょうが。最後に実際の質問文をあげときますが、実際これ読んでYesと答えるのはかなり勇気がいるんじゃないですかね(実際の実験では全員がNoと答えています)。児童ポルノとか言われちゃってるし。

二点目は「貧乏のためだったら娘を売り飛ばすか」という質問に対して損傷患者も対照群も同じ答え(No)を出している、という事実から導かれるのは、まさに

「これは、前頭前野腹内側部での判断と損得勘定をする前頭葉の領域での判断に矛盾が生じ得ないケースということになります(太田コラム#1703)」

言い換えると「娘を売り飛ばすかどうかの判断には前頭前野腹内側部は関わってこない」ということです。実験的には答えがNoであったということよりも同じであったことに意味があります。ですから、

「「娘をカネで売り飛ばす」ことへの禁忌は前頭前野腹内側部での判断・・サルと共有する倫理感覚・・だということを意味します。(太田コラム#1703)」

というのは全く逆です。これは、質問を受けた米国人被験者がそう思った、ということを太田先生が言いたかったのかも知れないですが、実験をしたDamasio先生もその意を受けた記者もそうなふうに考えているとはこの記事からは読み取れないです。この記事だけからでははっきりしないですが、研究者や記者は進化の過程でサルとは異なり前頭葉の別の部位が発達してそのような倫理観を獲得したのか、あるいは文化として後天的に習得したのか、と考えているはずです。「娘を売り飛ばさない」という倫理観に対しては、私は(おそらく彼らも)後者だと考えます。というのは、おそらく太田先生はこれから日本の売春文化がどれだけ長い歴史を誇るのか、それに比べてアングロサクソンの性意識がどれだけ日が浅く浅薄なのか、といったことを議論するのだと思いますが、文化に差異が生じたり変遷するぐらいのタイムスケールでは、進化は生じないからです。

5. Hard Times (Mean emotion rating: 5.8, Low-conflict)
You are the head of a poor household in a developing country. Your crops have failed for the second year in a row, and it appears that you have no way to feed your family. Your sons, ages eight and ten, are too young to go off to the city where there jobs, but your daughter could fare better.
You know a man from your village who lives in the city and who makes sexually explicit films featuring small children such as your daughter. He tells you that in one year of working in his studio your daughter could earn enough money to keep your family fed for several growing seasons.
Would you employ your daughter in the child pornography industry in order to feed your family?

タイトルRe: 太田氏へ
記事No210
投稿日: 2007/03/27(Tue) 10:25
投稿者太田述正
 娘の年齢が出てきませんが、息子のほうは8歳と10歳というのですから、8〜10歳ということでしょう。
 私は、性的に成熟した娘、というイメージでとらえていたので、「誤解」が生じたようです。
 さて、性的に未成熟な娘だとすれば、はたして親であるサルは、オスのサルがその娘に性的に興奮して近づいてきた時にどうするかです。
 私は自然人類学の専門家ではないので分りませんが、おそらく追い払うのではないでしょうか。
 つまり、性的に未成熟な娘をオスと性交させない、というのは、前頭前野腹内側部での判断だ、ということになります。

 結論的に申し上げれば、NYタイムスの記者のネーチャーの記事の要約の仕方に問題があったということが第一点、しかし、この記者による記事の最後の箇所の解釈は、やはり私の解釈が正しいのではないか、というのが第二点です。

 島田さんご指摘のように、本件は私の本シリーズの趣旨からすれば、傍論にあたるわけですが、英文解釈や科学的方法論をめぐる頭の体操にはなったのではないでしょうか。

 
 

タイトルこれはひょっとしてちゃんとしたコラムかも
記事No219
投稿日: 2007/03/28(Wed) 00:31
投稿者バグってハニー
うう〜ん、しつこくて申し訳ないですが、どうしてもこの実験のロジックを理解してほしいので繰り返しますが

>  つまり、性的に未成熟な娘をオスと性交させない、というのは、前頭前野腹内側部での判断だ、ということになります。

とは言えません。もしも「娘をオスと性交させないのは前頭前野腹内側部での判断」なのであれば、当該領域が損傷すればこの判断に変化が生じるはずなのです。しかし、実際にはそうならなかった。この結果から導かれる結論は「当該領域は娘を性交させるかどうかの判断には関わっていない」ということです。さらに言うと「その判断はどうやら脳の別の部位が担っているらしい」と推定されます。一般化すれば分かりやすいかもしれないですが、この実験では倫理的価値判断を必要としない質問もあり、その場合、損傷のあるなしで答えに変化は生じませんでした。そこから導かれる結論は「前頭前野腹内側部は倫理観と無関係な判断には関わってこない」ということです。

>  私は自然人類学の専門家ではないので分りませんが、おそらく追い払うのではないでしょうか。

これは専門家に聞いてみるのが一番よいでしょう。ということで、今回は同じくネーチャーに掲載された類人猿研究の権威デ・ワール(Frans de Waal)によるOur Inner Apeという入門書の書評を紹介したいと思います。
http://www.nature.com/nature/journal/v437/n7055/full/437033a.html

初めに断っておきますが、私は動物の行動を擬人化して人間社会に当てはめることには否定的です。後ほどデ・ワールの見解にも触れますが、それは他の動物と比べて複雑怪奇な人間の行動をあまりにも単純化しすぎますし、本能や生得的な行動がどうであろうと、ヒトにはそれに反して本人の意思で自由に行動を選択するという特権が備わっているからです。

ちなみに日本語では一口に「サル」と言いますが、英語ではMonkey(いわゆるサル)とApe(類人猿)は大概はっきり区別して用いられます。例:Planet of the Apes→猿の惑星(あいまいな訳)。今回はそのApeに分類されるチンパンジーとボノボ(ピグミー・チンパンジー)のお話...

チンパンジーの悪逆さをつまびらかにしたのは、ジェーン・グドール(Jane Goodall)のドキュメンタリー映画だった。彼らは殺人(殺猿?)、食人(食猿?)、さらには戦争(よく統制された、群れ同士のケンカ)までする。がっかりするのは、我々はこの種と98%もDNAを共有しているということだ。我々は殺人者として運命付けられたようなものだ。

しかし、救いはある。それがボノボだ。ボノボはおとなしく平和的な種族で、遺伝的にはチンパンジーと同じくらい我々に近い。彼らの社会はメス優位で、エサを分け合い、子孫を残すためにオスは別のオスを押しのける必要がない。

ボノボのセックスは破廉恥極まりない。動物ドキュメンタリーとはいえ、親は子の目を覆う必要がある。それは受胎不可能なものを含むあらゆる体位で、二頭あるいはそれ以上の間で、異性間、同性間、挨拶のため、外敵から受けた恐怖を和らげるため、エサの発見を祝うため、体を弄してそれを分けてもらうため、そして理由もなく行われる。ボノボは妊娠中のメスや未成熟な子供も性行動をとることで知られている。(以下はややグラフィカルです。要ペアレンタル・コントロール)
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/shakai-seitai/shakai/BONOBOHP/sexual.htm

では、一体我々はチンパンジーとボノボとどちらに近いのだろうか?デ・ワールはその質問には答えてくれない。理由は三つある。

まず、チンパンジーもボノボも我々の祖先ではないということだ。約500万年前に枝分かれしてから、彼らは我々同様進化を続けてきた。その意味で彼らは我々の父祖ではなく従兄弟に当たる。

次に、どのような種を調べたところで、ヒトとの類似点と一緒に相違点も見つかる。つまり、あらゆる種は我々と似通っていて、そして異なっている。

最後に、チンパンジーは野蛮な保守主義者でボノボはリベラルな平和主義者というのは単なる単純化でしかないということだ。ボノボの社会にも支配−被支配の関係はあるし、彼らは理想として平和主義を選択したのではなく、それは必要に迫られた選択にしか過ぎない。ボノボの破茶滅茶な性行動はまず第一に嬰児殺しを避けるために発達したと考えられている。チンパンジーにも互助や利他行動はあるし、太田コラム#1701で指摘されたようにヒトの同情や共感を思わせる行動をとることもある。彼らの暴力性や競争は社会の秩序を維持するために必須なのである。

タイトル前の投稿は結論がなかったので補足します
記事No220
投稿日: 2007/03/28(Wed) 01:54
投稿者バグってハニー
さて、冒頭の太田氏の問いに立ち返ってみたいと思いますが、今概観したチンパンジーとボノボの行動様式に照らしてみると、特定のオスがメスを独占するチンパンジーの場合「追い払う」が、ボノボの場合は子どもも性行動をとるので「追い払わずに娘と性交させる」という可能性が高いように私は感じました。少なくともボノボの場合、父と娘婿の間で生じた緊張は暴力に発展する前に性行動によって解消されることが予測されます。つまり、問いに対する答えは「それはサル次第」という見栄えのしない、無難なものになると思います。