コラム#1714「慰安婦問題の「理論的」考察(その11)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
その後、朝鮮日報が、「カナダ議会では従軍慰安婦への謝罪はもちろん、賠償を要求する決議案が推進されている。・・この決議案は、・・カナダ下院の外交・国際開発委員会傘下にある人権小委員会・・で・・可決され、常任委員会に付された。・・」と報じています。 ・・ ・・マッキノン・・の主張の全体像をお示ししておきたいと思います。・・ 本来平等とは・・、同じような個人は同じように、違うような個人は違うように扱うというものだ。しかし、このような平等の考え方は、あるグループが社会のヒエラルキーの中で法または力によって従属的な地位に置かれている場合には、ねじまげられてしまう。 例えば、女性と男性は、妊娠できるかどうかという点では違うというのに、米国の法は両者が同じだとみなして、・・産休・・すら与えておらず、裁判所もこの取り扱いを是認している。 また、・・強姦者が相手の女性が性交に同意したと信じたことに落ち度がないとみなされた時はおとがめなしだ。そもそも強姦が罪とされるのは、女性の精神的肉体的権利を侵害するからではなく、強姦者以外の男性が持っているところの女性に対する潜在的な財産的権利を侵害するからだ。 更に、売春に対する禁忌は、一見女性を守るためのものに見えるが、その実、男性の性的利益に奉仕するためのものなのだ。 そしてポルノは、強姦、殴打、セクハラ、売春、子供の性的虐待を男性的観点からとらえる・・ことによって、これらの行為を祝福し、促進し、容認し、正当化している。 このポルノ等を通じて女性は、男性の視点で世の中を眺めさせられており、女性は自分を自由だと思っているものの、自由意思を行使できないのが現実だ。 ・・ マッキノンは最先端のフェミニストを自認しつつ、このような主張を行っているわけですが、要するにそれは、ビクトリア朝的倫理・・男性を性的野獣とみなし、女性を男性の情熱の犠牲者ととらえた・・への先祖返りではないか、と評されているのももっともです。 ・・ ・・彼女は実質的にセクハラなる新しい概念の母であると言ってよ<いでしょう>。
マッキノンが一躍全米に名前が知られるようになったのは、1982年にミネソタ州のインディアナポリスの市議会の依頼を受けて、女性を蔑視するポルノ・・を禁止する市条例案の策定に携わった時のことです。 この条例案は、市長が拒否権を発動したため、制定には至りませんでしたが、次いでインディアナ州のインディアナポリスでは、市長が先頭に立って同様の条例の制定にこぎつけます。 インディアナポリスは、・・米国で最も保守的な市のうちの一つであることは象徴的です。 つまり、性革命を苦々しく思っていた米国の保守層と「最先端の」フェミニストや左翼が同床異夢の野合をするに至ったのです。 その背景には、米国社会のキリスト教原理主義化がある、と私は思うのです。 しかし、上記インディアナポリス市条例は、1986年・・、米連邦最高裁において、・・違憲判決が下されてしまいます。 <他方、>1992年に、隣国のカナダの最高裁が彼女のポルノに関する学説を採用し、暴力的で女性蔑視的なポルノを禁止する条例を合憲だと判示し<まし>た・・。 米国はまだかろうじて踏みとどまっているけれど、この判決によって、カナダは言論の自由を大きく制約する社会、すなわち非アングロサクソン社会への第一歩を踏み出してしまったのではないでしょうか。 ポルノに対してかくも厳しいのですから、当然、愛のない性交を女性が経済的事情等で「強いられる」ところの、売春に対しても厳しい姿勢がとられることになるはずです・・。 ・・ 以上が、米国とカナダで今湧き上がっている「従軍」慰安婦非難の合唱の背景である、と私は考えているのです。
(完)
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