タイトル | : 第4次産業 |
記事No | : 306 |
投稿日 | : 2007/04/15(Sun) 14:44 |
投稿者 | : 田吾作 |
<太田>
私のコラムや著書にひっかけないこのようなメールは、本来、掲示板に転載する対象ではないのですが、例外的に転載させていただきました。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私は理論的に説明出来ませんが、ニクソン・ショック(注1)以後、ファントム・インダストリー(虚業)(注2)とでも名付けるべき「第4次産業」が形成されたとの印象を持っています。私の直感によると訴訟産業は第4次産業の一業種(虚業)になります。
(注1)ドルと金との交換停止・1971年8月15日発表、「・・この日を画期として、われわれの経済生活から不動の基軸が完全に失われた・・」(円・元・ドル・ユーロの同時代史) (注2)「ファントム・・感覚には明らかであるが実体は存在しない像または姿」、「インダストリー・・実業または製造工業の一部門」(ウェブスター英英和辞典)
まだよく分からないのですが、私の考え方の大元には物理学の法則(物質とエネルギー保存の法則・・生産されたものと消費されたものは厳密に等しい、つまり閉鎖系内では新たに物質とエネルギーが増大する事は無い)があり、本質的には「富は保存されない」という感覚があります。「労働(人間の創造力・・時間で計る)」が「富」の源泉なのですが「労働(時間)」は保存できないので労働の結果である「富」も保存できないという見方です。私は「資本論」で「消費された労働力」が理論の中でどのような意味を持つのか、つまり流通過程を経て最終消費者に渡った商品の持つ意味がまだ良く分かりません。
具体例で示すと、他人に販売する目的ではなく、自ら装飾として利用する為に購入した黄金製品は消費された事になるので「資本論」の対象ではなくなります。同じ事は太古の植物が地中に埋没して億年単位の時間が経過して後に原油や天然ガスとして採掘される場合にも言えるのですが、個人に所有された黄金製品や原油や天然ガスとはどのような意味で「富」と呼ばれているのかが分からないという事です。自分と黄金製品しか存在しない世界(黄金製品と交換すべき労働力が存在しない)あるいは、「・・丸い金属と重たい紙、彼らがお金(かね)と呼んでいる、これが白人たちの本当の神さまだ・・」(パパラギ)(付けたり3)の世界では黄金製品は「富」ではありません。
私の考えでは「資本論」は以下に説明するような意味で虚構だと思いますが、物質世界と厳密に一対一対応していれば、虚構ではあっても正しい虚構(現代物理学では虚数という虚構が現実に使用されている)なので事実として取り扱っても問題は起こらないと思います。
私は事態がまだ良く分からないのでうまく具体的に表現できないのですが、我々は昨日の続きが今日で、今日の続きが明日だと思っています。しかし私の考える実体は、現在という瞬間しか存在せず、現在という瞬間が予想通りに経過しているので昨日の続きが今日で、今日の続きが明日だと思っていられるに過ぎないというものです。
我々は昨日が夏で今日が冬で明日が秋という自然は考えられませんが、ジェット機で世界を飛び回るビジネスマンにとっては現実なので、一般化すれば「人の数ほど世界は存在する(実体)」が「共通知識」(注3)の範囲内では「世界は一つ(虚構)」であると言える事になります。
(注3)「・・『共通知識』ということばはさまざまに用いられるが、ここでは、厳密な定義に限定しよう。集団の中で、ある事象あるいは事実について、皆がそれを知っており、皆がそれについて知っていることを皆が知っており、皆がそれについて知っていることを皆が知っていることを皆が知っている・・場合に、それを共通知識という。・・」(儀式は何の役に立つか)
「第4次産業(虚業)」は機軸通貨である「ドル」の兌換性が失われた時より誕生して、インフラ(下部構造)に寄生する産業(アメリカの「タバコ」訴訟の結果ユーザーが罰金を負担する・・最終的には納税者が費用を負担する「談合」と共通する点がある)だと私は考えますが「資本論(正しい虚構)」より見た場合の意味が良く分かりません。
結論的にはややこしい表現になりますが、「虚業(第4次産業)」を「虚構(資本論)」を使用して説明するとどうなるのかと言う事になります。
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