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タイトル奴隷についての質問
記事No315
投稿日: 2007/04/19(Thu) 21:25
投稿者田吾作
 「従軍慰安婦」問題の背景となっている「奴隷制度」について解説をしていただきたいのですが。あまり表立って論じられる事はありませんが、ギリシャのデモクラシー(民本主義)は奴隷制度によって支えられ、アメリカの「独立戦争」は「黒人の奴隷制度」を残したまま行われたという事実があり、「奴隷制度」は戦争に伴う副産物として発生したという歴史があると私は考えています。我が国にも古代には「骨姓(かばね)の制(血統的秩序)」の基に奴隷が存在したと白柳秀湖が「國難日本歴史」で述べており、対馬にも江戸時代に「永代拝領奴」が存在したと「日本残酷物語二部」に述べられており他にも小規模な「奴隷制度」は存在したかも知れません。そこで「奴隷」と呼ばれた人達の現実とはどのようなものだったのかをご存知だったら教えていただきたいのですが。

タイトルRe: 奴隷についての質問
記事No317
投稿日: 2007/04/19(Thu) 23:30
投稿者太田述正
>「奴隷」と呼ばれた人達の現実とはどのようなものだったのかをご存知だったら教えていただきたい

http://en.wikipedia.org/wiki/Slavery
にかなり詳しく書かれていますよ。

 ところで、
http://www.religioustolerance.org/slavery.htm(カナダのサイト。ただし、実態は米国のサイトか)において、

Topics covered in this section

Overview

A brief history of slavery:
16th to 18th century including the start of the abolition
movement
19th century

Religious links to slavery:
Slavery in the Bible: (Background; biblical passages)
Christianity and slavery
How religions changed (and are changing) their teachings on
slavery, and other topics

Recent slavery:
 Slavery by the Nazi regime in Germany during World War II
Slavery of "comfort women" in Japan during World War II

Contemporary slavery:
Countries where slavery is practiced today:
Slavery in Sudan

A proposed "Day of Remembrance" of slavery

A list of Internet references and books for further study

という具合に、米国の奴隷制とナチの奴隷労働、日本の慰安婦を並列に並べているのはショッキングです。
 どうやら、日本の慰安婦問題が、米国の奴隷制を罪を水で薄めるために不可欠な役割を果たしていると同時に、先の大戦の米国から見た正当性を根拠づける重要な役割を果たしていることが見てとれます。
 このように見てくると、慰安婦問題の根深さ、「解決」の困難さを改めて痛感させられます。
 それにしても、このサイトの慰安婦問題のページ
http://www.religioustolerance.org/sla_japa.htm
の中身はひどい。
 (このページに限らず、このサイトは)コメントを歓迎するとしているので、誰か、無数の誤りを指摘してくれないものでしょうか。

タイトルRe^2: 奴隷についての質問
記事No324
投稿日: 2007/04/22(Sun) 22:30
投稿者田吾作
奴隷について「60兆個の細胞集合体の問題」として論じてもらえませんでしょうか。
我々は一日にいくらかの体細胞を失い、それに相当する物を食糧・水・酸素より合成して補填し、糞尿・汗・炭酸ガスという形で失った体細胞を排出している状態を生きていると言っています。補填する量は年齢により多少変化します。この様な営為が毎日順調に行われる事の繰り返しが一生と呼ばれるのであり、途中で中断される事が死亡と呼ばれます。
奴隷の一日当たりの消費熱量を仮に3000(大)カロリー(700W/時の仕事に相当)とすればそれに相当する食糧・水・酸素を消費する事になります。(注1)(注2)(注3)

(注1)「・・私たちは、エネルギーをつくりだすとともないし、どこか超自然の源泉からエネルギーをとってくることもない。私たちは機械とおなじように、食物の酸化によって生じるエネルギーをつかうのである。・・人間のエネルギーの生産量と必要量は、大カロリーではかられるのが、ふつうである。1カロリーは、1キログラムの水の温度を摂氏1度あげる熱量である。体をうごかすことがごくすくない者は、一日に2,000カロリー以下でもやっていけるが、ふつうの労働者は3,000カロリーあるいはそれ以上を必要とする。採炭夫は5,000カロリーを必要とし、競輪選手は10,000カロリーもつかうが、ただ競輪選手がこれだけのものをつくるには、なん日間かの食事が必要なのである。はげしい仕事に熟練した者は、仕事の効率が二0パーセントにもなる。いいかえると、かれのだすエネルギーの五分の一が仕事になり、五分の四が熱になる。・・」(人間とは何か)
(注2)「・・( いくつか数字をあげてみると、我々は [体温を保ったり、動きまわったりするのに] 、食物と酸素を組み合わせたものから約100ワットを消費して います。) このことは、一日に換算すると、100×86400秒≒10の7乗ジュール≒2300キロカロリー=2300食物「カロリー」 (一食物カロリーは1000物理カロリーな ので) になることからだけでなく、我々が一日に約2000キロカロリーを口にすることからもわかります。ではここで、人が10キログラムの重りを1メートル持ち上げると仮定しましょう。その人は10×1 × 9.8 =100ジュールの仕事をしたことになります。しかしこの量はわずか一秒間、生き長らえるための平均エネルギー (100ワット) にしかなりません。我々が階段を上った り下ったりするときに、さほどの違いを直に感じない理由はここにあるのです( しかし、たくさんの階段を上るより下るほうが楽なことは、誰もが認めるでしょう) 。・・」(ファインマンの手紙)
(注3)「・・排泄物の量の算定を誤ったために、アメリカ軍は、その歴史に輝かしいぺージを記すことになった。第二次大戦中のこと、ガダルカナル島を占領する日本軍の規模を判断するため、アメリカのシークレットサービスは、海岸の近くで見つかったいくつかの便所から、排泄物の総量を算定した。日本兵が栄養不足に陥っていると予想して、一人当たりの毎日の排泄量を最大100グラムとして計算した。そのため、敵の数をかなり過大に評価することになった。参謀部は、攻撃に必要と考えられる軍隊の量を二倍にした。実のところ、日本兵は元気いっぱい、毎日400グラム排泄していた。そのため、アメリカ軍は予想の四分の一の敵と戦えばよかったのである。・・」(排泄全書)

このうち消費された食糧に相当する物質を「奴隷労働(1日で700W/時に相当する)」(注4)を使用してどのように生産し、再分配したのかが明らかにされるべき事柄だと私は考えます。「・・この種の計算(注5)は絶対必要なのにもかかわらず、想像力に訴えるところがない。・・」(注6)ので歴史家は取り組まなかったのでしょうが、「いいがかり」に対して物事を明確にして反論(注7)する場合にはやるべき作業だと私は考えます。外国の「いいがかり」の質がどんなものであるかは引用(「電気は火ですか ?」)が 長くなるので付けたりに廻します。

(注4)3000大カロリー=3000*1000小カロリー、熱効率20%=0.2、以上は1秒を基準にして論じているいる。1小カロリーは4.2ジュールに相当する。1W(ワット)は1秒当たり1ジュールの仕事に相当する。従って3000大カロリー*0.2=3000*1000*0.2=600,000(小カロリー)=600,000*4.2=2,520,000(ジュール)、以上は1秒当たりで論じているいるので2,520,000(ジュール)/秒=2,520,000W(ワット)、1時間(60分*60秒)当たりに換算すると2,520,000/3,600=700W/時となる。
(注5)「・・熱(heat)という言葉は、素人っぽい感じで、科学的ではないようだけれども、これで十分にあいまいさなく〈測定しうる量〉を、表わすことができる。なぜならば、「熱」と量を表わす言葉とをあわせて使えば『どれだけの量の熱』のことを言っているのかがわかるからである。私たちは、熱という言葉には、『熱いもの』という抽象的な意味は持たせない。もし『新しいミルクの〈熱〉』と言いたい時には、〈より科学的な言葉〉である『温度』を使って、『新しいミルクの温度』と言うべきである。・・」("Theory Of Heat" James Clerk Maxwell)
(注6)「・・司令官が作戦行動とか戦闘発起、前進、浸透、包囲、せん減、消耗など、要するに長々と続く全戦略の実行を頭に描き始める以前に、彼にはしなければならないし当然すべき事柄がある。それは麾下(きか)の兵卒に対して、それなくしては兵として生きられない一日当たり3000キロカロリーを補給できるかどうか、自分の才能を確かめることである。・・このためには偉大な戦略的才能のみならず、地味なハードワークや冷静な計算が必要になってこよう。この種の計算は絶対必要なのにもかかわらず、想像力に訴えるところがない。軍事史家によってしばしば無視される理由の一つは、このためであろう。・・」(補給戦)
(注7)「・・だが、ここで私はどうしても一つの古いできごとに話をもどさなければならない。というのは、私の知るところでは、マルクスの引用の正しさが疑われた場合が、一つだけあるということである。ところが、このことがマルクスの死後までつづいてきたので、ここでこれを見すごすわけにはゆかないのである。・・二0年間にわたって二つの大国にまたがって続けられた教授たちの共謀の全体をひっくるめての成果は、もはやマルクスの文筆的良心に指を触れようとするものはなくなったということだったのであり、また、それ以後はおそらくセドリ・テーラー氏もブレンターノ氏の文筆上の戦闘報告には信をおかないであろうし、ブレンターノ氏も『ハンサード』の教皇的不可謬性には信をおかないであろうということだったのである。・・」(資本論 第四版エンゲルス序文)

(付けたり)「…略…――ここでちょっと言いそえておくが、この会議中僕はユダヤ教の神学校に寝泊りしていた。この学校で勉強していたのは、( 多分正統派だったと思うが )若いユダヤ 教のラビ( 教師) たちだった。僕自身ユダヤ系の人間だから、彼らがタルムード( 解説付きのユダヤの律法集―訳注) について僕に話してくれたことについては、多少の知識はあったが、タルムードというものを実際に見たことはなかった。ところがこれはたいへんに面白いものなのだ。見ると大きなベージの隅が四角く区切ってあり、そこにタルムードの原文が印刷してある。そしてこれをとりまくL 字型の余白に、その内容についてのいろいろな人の注釈が書きこんであるのだ。こうしてタルムードは、中世的な道理に基づいて隅から隅までくり返し念入りに論議がなされ、発展してきでいる。しかしこういった注釈は、たしか十三世紀か十四、五世紀ごろ中止されたので、近代の注釈はまったくでていない。ありとあらゆるものを網羅する雑録みたいなこのタルムードは、偉大な驚くべき書物なのだ。中には取るに足らない問題もあるかと思えば、いかに教えるべきかなどという教師にとって重大な問題もある。そしてまた些細な質問がはさまっている――という調子だ。だからこのタルムードが一度も翻訳されたことがないと神学生たちが教えてくれたとき、このような価値のある本がなぜ翻訳されないのだろうとふしぎな気がした。
 ある日のこと、若い神学生たちが二、三人僕のところにやってきて、「いくら何でも科学を知らないでは、この現代にラビになるための勉強はできないと思うので、実は先生にうかがいたいことがあるんですが――」と話しかけてきた。
 すぐ目と鼻の先にコロンビア大学もあることだし、科学について知りたいのなら行くべきところはいくらでもある。だが僕は彼らがいったいどんなことに興味をもっているのか知りたいと思い、話を聞くことにした。
「ええと、たとえばですね、電気は火ですか? 」
「いや、違うよ」と僕は答えた。「だが何でそれが問題になるんだね? 」
 すると彼らは「土曜日には決して火をたいてはいけないと、タルムードに書いてあるんです。だから土曜日に電気のものを使っていいかどうかということを僕らは知りたいんです」と言った。
 僕はあきれてしまった。彼らは科学なんぞに本当に興味をもっていはしないのだ! 科学が彼らの生活に少しでもかかわりがあるとすれば、それはタルムード の解釈に役立てるためでしかない。彼らは自分たちの住んでいる世界の自然現象について興味をもっているのでも何でもなく、ただひたすらタルムードの中の質問を解釈すること、これだけがその関心事なのだ。
 またある日( 多分土曜だったと思うが) エレベーターを待っていると、そばに男が一人立っている。下りてきたエレベーターに僕が乗りこむと、この男もまた乗りこんできた。「君は何階に行くんですか? 」とボタンに 手をかけて聞くと、彼はあわてて
「いや、私がそのボタンを押す係なんですが」と言いだした。
「え ?それはなぜだい? 」
「実はね、ここの学生たちは土曜日にはエレベーターのボタンを押せないんで、私がいつもボタンを押す係なんです。つまり私はユダヤ系じゃないから、土曜にボタンを押してもちっともかまわないわけです。だからこうしてエレベーターのそばに立っていて、学生たちが何階に行きたいのか言ってくれれば、私がボタンを押すことになっているんですよ。」
 これを聞いて僕はどうも腹がおさまらない。そこで一つ論理的討論で、この神学生どもをとっちめてやろうと思いついた。僕だってユダヤ系の家庭に育っているから、どんな「屁理屈」をこねればいいかくらい、ちゃんとわかっている。「こいつは面白そうだ! 」と僕はほくそえんだ。
 僕のもくろみでは、まず「ユダヤ教の見解というものは誰でもが持てるような見解だろうか ?もしそうでなければ人間にとって真に価値あるものとは言えないだ ろう云々」という質問から始める。そう聞かれれば、彼らは「そうです。ユダヤ教の見解は人間誰でも共通に役立つものです」と答えざるを得ない。
 そこで僕はもう少し糸をたぐって、「ある人間にとって非道徳的な行動であることを、人を雇ってこれをさせるのは道徳的と言えるだろうか? たとえば君は誰か人を雇って、盗みを働かせ るようなことをするかね? 」と質問する。そしてゆっくりと気づかれないようにだんだんおびきよせて、彼らが知らず知らずのうちにわなに落ちるようにしむけるのだ !
 さてこの僕の策略の結果はどうだつたか、というと、とにかく相手が悪かった。何しろこの連中はラビになる勉強をしているような神学生のことだから、僕などより1O倍もうわてだったのだ !わなに落ちそうだと気づいたとたん、どうやってすりぬけたのかは覚えていないが、ぬらりくらりとうまい具合にすりぬけてしまった。この策略はなかなか独創的だと自負していたのだが、とんでもない、こんなことはもうタルムードが昔からさんざん討議を重ねてきたことなのだ。だからこの神学生どもは、とうてい僕などが太万打ちできる相手ではない。僕はまんまとやっつけられてしまった。
 僕はしまいに、エレベーターのボタンを押すときに働く電気の火花は、決して火ではないと納得させようと思って、「電気は火ではないよ。火のような化学的過程じゃないんだ」と言った。
 「ええ? ほんとですか? 」
 「むろん火の中にある原子間には電気があるがね。」
 「そうら、やっぱりだ! 」と彼らは言った。
 「だがそれは世の中のどんな現象にも言えることだよ。」
 僕はさらに火花を出さずにすむような実用的解決法までもちだしてみた。「そんなに火花が気になるんだったら、スイッチのところにコンデンサーをつければ、電気がぜんぜん火花なしについたり消えたりするよ。」しかしどういうわけかこのアイデアは神学生たちの気に入らないようだつた。
 せっかくこの連中少しは科学に興味をもちはじめたかと思ったが、やっぱりただひたすらタルムードをよりよく解釈するためだけだったのだと思うと、僕はがっかりした。この現代というときに生をうけながら、世に出て何かやろう、しかもラビになろう、という若い連中が、科学に思いを馳せる唯一の理由といっては、彼らの古めかしい偏狭な中世的問題が、新しい現象のおかげで少しばかり面倒なことになったから、というだけのことなのだ !
…略…」「ご冗談でしょう、ファインマンさん」U R・P・ファインマン著 1986年 滑笏g書店 P164―P168より引用」

タイトルRe^3: 奴隷についての質問
記事No325
投稿日: 2007/04/22(Sun) 22:33
投稿者太田述正
>奴隷の一日当たりの消費熱量を仮に3000(大)カロリー(700W/時の
仕事に相当)とすればそれに相当する食糧・水・酸素を消費する事になります。

という文中で「奴隷」という言葉を使う意味が全くないのでは?
「人間」でいいでしょう。
ですから、何がおっしゃりたいのか分かりません。
「奴隷」は「人間」である、とおっしゃりたいのですか?
そんなこと当たり前では。

タイトルRe^4: 奴隷についての質問
記事No326
投稿日: 2007/04/22(Sun) 22:35
投稿者田吾作
「・・『奴隷』は『人間』である、とおっしゃりたいのですか?そんなこと当たり前では。・・」についてですが、おっしゃるとおり「当たり前」ですが、「当たり前」と自分が思う事と他人に「当たり前」の内容を説明する事とは別の事柄だと私はと考えています。(「・・Aさん《普通の日本人》とBさん《普通のアメリカ人》の間で日本語会話が成立しないのは、Bさんが日本語を知らない為だと一応考えられます。私はこの件についてまだ良く理解していないのでここで詳しく説明する事はできません・・」)(田吾作)

異なる原因は「自分」と「他人」の間に「共通知識」が無いことにあります。私は「奴隷」は「700W/時を発生する人間である」と言いたいのであり、単なる「人間」であると言っているわけではありません。つまり「・・私たちは、熱という言葉には、『熱いもの』という抽象的な意味は持たせない。もし『新しいミルクの〈熱〉』と言いたい時には、〈より科学的な言葉〉である『温度』を使って、『新しいミルクの温度』と言うべきである。・・」と言いたいわけです。この科学的に定義された「人間」の概念を使用すると、「・・記号が一義的であれば、要素の組み合わせを議論し、明白な事実を連続させながら提案をつなげていき、やがて議論の余地をなくする、つまり論理を完成させることができる。・・」(図の記号学)事が期待できます。

バスケットボールの試合時間は40分間と決められていますが、実際に消費される時間は試合時間よりも長く、40分では終了しないのが普通であるように、1日に「700W/時」のエネルギーを発生すると言っても抽象的な定義であり、それが個別具体的にどのように発生されたかは自分の判断で動く人間については物理法則のように一般化は出来ません、しかし結果として1日に「700W/時」以内しかエネルギーを発生する事が出来ない点では一般化できます。

「人間」の定義を物理学の量を使った表現にすると、物理学の論理空間内で点検される事になります。「・・アメリカのシークレットサービスは・・一人当たりの毎日の排泄量を最大100グラム・・」と定義したのですが、実際には「・・毎日400グラム・・」だったので「・・予想の四分の一の敵と戦えばよかった・・」事になり「・・アメリカ軍は、その歴史に輝かしいぺージを記すことになった・・」とフランス人の著者に揶揄される事になったのですが、彼らの「共通知識」は、「・・兵卒に対して、それなくしては兵として生きられない一日当たり3000キロカロリーを補給できるかどうか・・」という視点で一貫しています。日本軍内の「共通知識」は(付けたり1)参照。

私の考えでは世界中の色々な時代や場所に、「奴隷」という名で呼ばれる人間が存在したという事は事実ですが、「奴隷」という名で呼ばれたからといって実体が同じであった訳ではありません。そこで科学的に定義された「人間」の概念を使用して特定の時代や場所に存在した「奴隷」という名で呼ばれる人間を説明してみようと考えたわけです。


(付けたり1)「・・米軍が戦場の第一線部隊への補給をいかに重視していたかを示す資料が、『世界大戦における米軍の数字的記録』の一節にある。日本軍には到底想像することも出来ない補給重視の思想が見られる。その一部を紹介しよう。

『軍需品を後方より軍隊に補給することは、丁度旧式の水桶消防隊で火災を消火するのと同様で、絶えず一桶の水を火に注ぐためには、水源から汲み出した多数の水桶及び運搬途中にある多数の水桶を必要とするように、軍隊の補給も、軍隊が集積基地から隔離するに従って、輸送途中にある軍需品が多数なければならないのである。従って軍隊が集積地から三千哩(四千八百キロ)から四千哩(六千四百キロ)も離れていると、その補給予備品及び輸送途中にある数量は、戦場にある部隊の実際の消費量に比して、著しく増加するものである』と原則を述べてから、衣服の補給の例を挙げている。

『被服の補給については、一般に次によった。兵員一名につき、フランス国内に三ヶ月分の予備、米本国内に二、三ヶ月の予備、常時輸送途中にあるもの一ヶ月分を必要とした。例えば上衣について見れば、上衣は戦場での命数が三ヶ月であるから、戦場にある兵員に対する予備をフランス国内に一着、米本国内に一着、輸送途中のもの一着を常に準備した。換言すれば一名の兵員を職場に送ると、現在着用している分と併せて四着分の上衣が必要であって、二百万人の兵員には直ちに八百万着の上衣を準備し、しかも命数が三ヶ月だから、三ヶ月毎に一着の上衣を新しく調達しなければならない』

以上は衣服の例であるが、一事が万事、米軍の補給は弾薬、兵器、糧食、衛生用薬品などを戦場近くに、常に四十五日分を保持するのを最小限の標準としていた。その上、後方連絡線が相手の潜水艦の脅威にさらされる危険を伴った戦争初期には、九十日分を戦場の近くに集積することを目標としていた。

参考までに日本軍の補給は、参謀本部の幕僚手簿や大東亜戦争陸軍給与令細則などで調べたり、また補給業務に携った先輩各位の記憶をたどったが、防衛庁戦史部にある資料から見ると、南方軍用として準備した夏服は、綿麻製が二年に一着、防暑服も二年に一着という数字が出るものの、一着の耐用命数を何ヶ月または何年にしていたかの根拠になる数字は探し出せなかった。
要するに日本陸軍では、一度与えられて戦地に向った部隊は、これを修理して着用していくのが原則となっていて、米軍のような更新計画はなかったようである。従って新品の服は第一線から要求があったときに追送することになるが、海上輸送を絶たれてしまったので、着たきり雀にさせられたのが実情だった。

要は制空権が基因で、日本軍の戦局が危急を告げたのが動機であったろうが、日本が、最初から米軍にとっての最大の脅威と関心が補給であることを研究していなかったことも大きな誤認識であったといえよう。これに対して米軍の潜水艦は徹底して日本軍の輸送船(兵員、物資)を狙って太平洋上の守備隊を飢餓と熱帯病に追い込んだ。・・

米国がいつ頃から太平洋で戦争することを考えていたかは、もちろん詳らかではないが、寺本中将はウェワクで堀に、米国駐在の経験から『大正十年以来』という言葉を使っていた。その時期はちょうど、ワシントン会議で日米の海軍戦力が三対五と米国に押しきられた年と一致する。
だが、この『米軍野外教令・上陸作戦』の中で、米国が対日作戦をいつ頃から準備したかを示す一つのカギも残っていた。

それはこの教令の中で米軍は、『馬匹の卸下』という条項があって、馬を輸送船からおろすには、長さ八フィート、幅二フィート半、高さ六フィートの木製の組立馬匹箱を用意するとか、馬は泳げるから泳がせて上陸するのも一つの方法だが、その距離は五百メートルを越えてはならない、という規定を書いていることから考察すると、米軍は教令作成当時はまだ馬を持っていた時代で、現在のように機械化、自動車化されていない時代ということになるから、大正末期頃という寺本中将の言葉は肯けるところであった。

いずれにしても、この上陸作戦の米軍野外教令一つを読んだだけでも、日本の作戦当事者は、『治にいて乱を忘れ』て、大正十年以来惰眠をむさぼっていたといえよう。米軍と日本軍とは実に二十余年の聞きがあった。
『軍人には軍事研究という大へんな仕事があったのに、軍中枢部の連中は、権力の椅子を欲しがって政治介入という玩具に夢中になりだした』とはウェワクでの寺本中将の言葉であった。まさに然りである。・・」(大本営参謀の情報戦記)