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タイトルコラム#1750(未公開)のポイント
記事No349
投稿日: 2007/04/28(Sat) 20:50
投稿者太田述正
 コラム#1750(2007.4.28)「欧州文明の成立に関する阿部謹也説(その1)」のさわりの部分をご紹介しておきます。

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 阿部氏の、欧州文明はキリスト教が形作ったという主張自体は目新しいものではありませんが、氏はこの主張を、独特の視点から行っています。
 そこで、阿部氏の主張をかいつまんでご紹介した上で、私のコメントを付したいと思い立ちました。

 「ひとつの社会における人間と人間の関係・・は、・・贈与・互酬関係<等の>モノを媒介とする関係と目に見えない絆で結ばれた関係<からなっています。>・・目に見えない絆<とは、>・・愛や思想、掟、迷信、信仰、習慣、音楽など<です。>」
 「ヨーロッパ・・中世社会は身分制社会でした・・<ただし、>市民、農民、貴族の間で身分の上下はあったのですが、それぞれの身分の内部では自分たちで規則をつくり、それに従わない者を罰する権利をもち、他の身分の者の介入を許さない組織をつくっていたのです。」
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 「古代、中世の人びとは空間を均質的な場であると理解してはいませんでした。聖なる空間とそうでない空間があって、前者は恐れをもって接しなければならない空間でした。・・<聖なる>空間をアジール(聖域、避難所)といいます。」
 「<聖なる空間たる>小宇宙である人体に生じたすべての現象(病気だけでなく、背が低いことや赤ら顔であることなどの肉体的特徴)はみな、<同じく聖なる空間たる>大宇宙の影響によるものと考えられていたのです。個々の人間の運命も、大宇宙の星の運行との関係できまると考えられていましたから、占星術が中世では大きな位置を占めていたのです。」
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 「11、12世紀以前のヨーロッパの人間関係は、モノを媒介とする関係と、目にみえない絆に媒介された関係の二つの面で、現在までの日本人とひじょうに似た社会関係を結んでいたのです。・・<その>ヨーロッパ社会が、・・かなり違った人間関係の社会に変化したの<です。>」
 「<それは、>11、12世紀のヨーロッパ・・<では、>キリスト教がようやく社会の下層まで普及しはじめ、キリスト教の教義に基づく世界の捉え方が広まっ・・たためです。・・<聖なる空間とそうでない空間>という世界の構図が崩れはじめた<のです。>・・戦争や不作、病気や運・不運、幸・不幸などの背後には、それらを司る神々や諸霊がいると信じられていましたから、人びとはそれらの神々や諸霊に供え物をささげ、保護を祈願していたのです。神々や諸霊と人間の間に互酬関係が成立していたのです。ところが、キリスト教の教義では、・・この世におけるすべての出来事は、病気も不幸も、あるいは災害や戦争、不作なども、みな神の摂理の結果として説明されることになったのです。」
 「かつては個人と個人、集団と集団の間の互酬関係か、人間と神々の間の互酬関係しかなかったのですが、キリスト教とともに教会という権力が、人と人との互酬関係の間にはいり、天国か地獄かという絶対的な終着点を基準にして、人と人との間にやりとりされていたモノ(財産)が、教会に大量に流入することになったのです。」
 「<ここに、>モノを媒介とする関係・・よりむしろ、目にみえない絆によって結ばれた関係を重視しようと<する>・・新しい文明・・ヨーロッパ文明<が>成立<したのです。この文明は、>・・地域を越えた普遍性をもとうとして<おり、>人間関係の総体が、一応予見しうる・・<という>意味・・で合理的、機能的になるという特徴をもっています。<そして、>全世界を包含するキリスト教世界を創り出そうとし・・たのです。」 「モノを媒介とする関係が強く正面に出ている現在の日本のような状態は、必ずしも人間にとって幸福とはいえないでしょう。しかし、目に見えない絆によって結ばれた関係が強く正面に出てくる社会もまた、幸福な社会とはいえません。」
 「ところが、<その後ヨーロッパに出現した>プロテスタンティズム<は、それを更に進め、>人間と人間の関係のなかから、モノを媒介とする関係をいっさい捨てさ<ってしまった>のです。・・<その結果、>目に見えない絆によって結ばれた関係になんら対応するところのない形で、モノを媒介とする関係をつくられてゆき、<これが、>資本主義社会の成立に<つながった>のです。」)
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(続く)
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<太田>
 5月19日(土)1330〜の緊急オフ会への出席予定者は、既に4名になっています。どしどしご出席下さい。