タイトル | : 情報屋台コラムへのコメント |
記事No | : 363 |
投稿日 | : 2007/05/02(Wed) 08:51 |
投稿者 | : 太田述正 |
高成田氏のコラム http://johoyatai.com/?page=yatai&yid=50&yaid=417 に対し、以下のようなコメントを投稿しました。(太田) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
>共同通信社の「世界年鑑2007」によると、1787年に英国内の解放奴隷を移住させてフリータウンを建設したとありますから、米国にとってのリベリアみたいな国なのでしょう。
より正確にはこういうことです。 シエラレオネは、英国史と米国史において、重要な役割を果たしています。 シエラレオネは、英国による北米・カリブ海向け奴隷貿易の主要根拠地であったからです。
さて、18世紀後半に、英国内で奴隷解放の機運が高まり、1772年に判決で英本国内での奴隷制が廃止されます。 この結果、1786年にまず、英本国内の解放奴隷(殆どは北米・カリブ海から奴隷主とともに移入してきたもの)がシエラレオネに送り込まれることになったのです。 もっとも、シエラレオネは瘴癘の地であり、彼らは短期間で死に絶えてしまいます。
また、米独立戦争が起こった時に、英国は北米植民地の黒人奴隷に対し、英本国の側に立って戦ったら解放すると約束しました。(独立派の側は、奴隷を持たない白人達に、勝利の暁には奴隷主にしてやると参戦を呼びかけた。) 英本国側は破れましたが、この約束を守り、協力した奴隷を解放し、一旦英領カナダに送り込んだ後、再びこれら解放奴隷を、1792年にシエラレオネに送り込んだのです。
(太田述正コラム#591、592、881参照。 http://www.ohtan.net/board/ または、復活した http://www.ohtan.net 経由、その「コラム」の所をクリックされたい。)
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