タイトル | : コラム#1759(未公開)のポイント |
記事No | : 376 |
投稿日 | : 2007/05/07(Mon) 15:58 |
投稿者 | : 太田述正 |
コラム#1759(2007.5.7)「米国とは何か(続々)(その4)」のさわりの部分をご紹介しておきます。 ・・ 1607年にイギリスが最初の恒久的植民地をバージニアのジェームスタウンに設立した瞬間から、原住民であるインディアンとの戦いが始まったのは、当然のことでした・・。 ・・ 今から申し上げる米国の膨張は、常にインディアンとの戦いと交錯しつつ行われていったのですが、余りに当然なるがゆえに語られることがほとんどありません。
さて、米国にとって、「本来の」ローマ領の回復をめざす戦争が、米国独立後も英領北米植民地として残ったカナダを併合しようと、米国が英国に戦争をふっかけた1812〜14年の米英戦争です。 しかし、この戦争は相手が悪すぎました。英軍の強さ、就中英海軍の強大さを思い知らされ、首都ワシントンが焼き払われるなど、さんざんな目に遭い、米国は、事実上敗戦の憂き目を見るのです。 ・・ 武力による米国の最初の膨張は、旧メキシコ領のテキサスの併合です。 これは以下のような経過をたどります。 1821年にメキシコがスペインから独立した直後の1923年に、初めて、米国人達がメキシコ政府からテキサスへの入植を許可され、土地を与えられます。 その条件は、カトリックに改宗すること、メキシコ国籍を取得すること、名前をスペイン風に改名すること等でした。後に、農産品はメキシコ内で優先的に販売すべきもの、また、当時の国際商品で最も儲かった綿花を栽培してはならないものともされました。 そのメキシコが1924年憲法によって奴隷制を廃止した頃から、これら入植者達とメキシコ政府との間にすきま風が吹き始めます。・・ 米国政府は、1827年と1829年の二回にわたって、テキサス購入をメキシコに持ちかけますが、メキシコはこれを拒絶します。 そうこうしているうちに、メキシコ独立戦争のリーダーの1人であったサンタ・アナ・・が1834年にメキシコの権力を掌握し、地方分権的であった1824年憲法を廃止し、中央集権化を図り、綿花栽培者達を牢屋にぶち込み始めます。 これに対する反発からメキシコ各地で独立の気運が高まり、叛乱が起きます。 このうち、独立に成功したのは、1935年に独立宣言を行ったテキサスだけでした。 この過程で起こった、アラモ(Alamo)砦に立て籠もった入植者達とこれを包囲したメキシコ軍との戦いで、入植者側は全滅するのですが、この事件は、専制に対する自由人の戦いとして、爾後米国において神話化されることになります・・。 ・・ 独立したテキサスは、結局1845年に米国に併合されます。 ・・ 要するに、米国人を相手の好意につけ込んでその領内に入植させ、次いでその地域の割譲を求め、容れられないと阿吽の呼吸で入植者達に叛乱を起こさせ、独立させた上で、最終的にその地域を併合した、ということです。しかも、入植者達の叛乱の主要な理由の一つがメキシコでの奴隷制廃止だったというのですから、それだけでも恥ずかしい話です。
米国がメキシコ領の半分を奪取した米墨戦争・・は、当時の米国人ですら、大方は侵略戦争であることを認めていた戦争でした。 当時のポーク・・米大統領は、何が何でも米国領を太平洋岸まで拡大しよう・・これは奴隷制の拡大と裏腹の関係にある(コラム#1473)・・と考え、この戦争を引きおこしたのです・・。 ・・ メキシコは、そもそもテキサスの独立を認めていなかったのですが、米国がテキサスを併合したら開戦する、と公言してきました。 米国はそのテキサスを併合した上、広義のニューメキシコとカリフォルニアの購入をメキシコに持ちかけるのですが、メキシコにこれを拒絶されるや、わざわざテキサスとメキシコ国境の帰属係争地域に軍事拠点を設けてメキシコを挑発したのです。 これに対し1846年、世論の沸騰したメキシコは対米開戦をします。 米国もこれを受けてメキシコに宣戦します。 この米国の宣戦布告がカリフォルニアに到達する前に、カリフォルニアでは米国からの入植者達が、潜入した米陸海軍とも連携しつつ叛乱を起こします。 結局この戦争は、米軍がメキシコの首都メキシコシティーを陥落させて米国の勝利に終わり、ポーク大統領は、当初の戦争目的を全面的に達成するのです。 ・・ この米墨戦争開戦前後の経緯を見ると、形の上ではメキシコが先に開戦しているものの、挑発することによってメキシコにそう仕向けたのは米国であり、しかも、カリフォルニアでは、宣戦布告がメキシコ領カリフォルニアや現地周辺米軍に到達する前に米軍がカリフォルニアに入って「開戦」しているのであって、これらは、共和制ローマのやり口と同じようなものであるとはいえ、日米戦争開戦時の日本のハワイ攻撃を一方的に非難する米国のご都合主義には、ただただ呆れるほかありません。
(続く)
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