タイトル | : コラム#1762(未公開)のポイント |
記事No | : 380 |
投稿日 | : 2007/05/09(Wed) 16:57 |
投稿者 | : 太田述正 |
コラム#1762(2007.5.9)「シラク・欧州・反アングロサクソン」のさわりの部分をご紹介しておきます。 ・・ ・・日本では、欧州の元首中随一の知日派と目されるシラク・・大統領の引退を惜しむ声がひとしおです・・。 しかし、シラクは、欧州の元首中、最も反アングロサクソン的言動を躊躇しなかった人物でもありました。 ・・ <シラクは、>アフリカの象牙海岸・・の終身大統領に向かって「複数政党主義は一種の贅沢品だ」と語った。 警察国家であるチュニジアを訪問したある時、「最も重要な人権はメシが食えて健康で教育を受け寝る場所があることだ。だから、チュニジアの人権水準は極めて高い」と語った。 ・・「アフリカにとって民主主義は時期尚早だ」と語った。 ・・ 一昨年7月・・「<英国のように>>料理が不味い国の人々は信頼できない。英国料理はフィンランド料理に次いで、世界最悪だ。・・連中の欧州の農業に対する貢献は狂牛病だけだ」と語った(コラム#786参照)。 ・・ 昨年3月のEU首脳会談の際、フランスの実業家が英語でスピーチを始めたところ、「深い衝撃を受けた」シラクは、席を蹴って部屋を出て行った。 ・・ ロシアの人権状況を悪化させたというのに、「そのフランスとロシアの友好への貢献を称えて」シラクは昨年、プーチン・・ロシア大統領に・・フランスの外国人の最高の友に対して贈られてきたレジオンドヌール勲章を贈った。 その数週間後、シラクはNATOの首脳会談が開催された直後のラトビアの首都リガで74歳の誕生パーティーを開催した。その時、プーチンは呼んだがブッシュ米大統領は呼ばなかった。・・ ・・ シラクが首相であった1974年に、当時イラクの副大統領で事実上の最高主権者であったフセインに対し、「あなたは私の個人的友人だ。私があなたを尊敬し、あなたのことを考えており、あなたに強い絆を抱いていることを申し上げたい」と呼びかけた。 その3ヶ月後に、フランスの石油会社が石油利権を与えられる見返りにイラクに原子炉を売却する、という交渉がまとまる。 フセインはこの原子炉で核開発を行おうとし、イスラエルが1981年に・・同原子炉を爆撃し破壊した(コラム#65、1354)ことはご承知の通りだ。 ・・ また、イラクの核開発について、「一個目、そして遠からず二個目の核爆弾を持ったとしても、そんなことは対して危険なことではない。」と語ったこともある。 更に、対イラク開戦のお墨付きが欲しい米国を東欧諸国が支持する動きを見せた時、「それは責任ある行動とは言えない。育ちの悪さを露呈した。こういう時には口を閉じているべきだ」と宣った。 ・・ シラクはこのように、アングロサクソンや英語に対する反感、自由民主主義への無関心、自国の言うことを聞く・・独裁者達への親近感、を表明することを躊躇しなかったわけですが、これはシラクの特異性などでは決してないのであって、彼は、フランス、ひいては欧州の人々の、反アングロサクソン的感情を率直に代弁している、と考えるべきなのです。 ですから、シラクが2003年の米国の対イラク戦開戦に、開戦理由が不十分であるとして反対したのは、一見正論のようですが、彼の反対の本当の理由は、イラクの独裁者フセインへの親近感と反米感情、つまりは反アングロサクソン感情にあったと言うべきでしょう。 ・・ こんなシラクの引退は、アングロサクソン好きの日本人であれば、諸手を挙げて歓迎すべきことなのです。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー <太田> 私のコラムは、昨年7月から部分的に有料化し、今年1月からは基本的に全面的に有料化していますが、昨年7月〜12月の有料コラムについては、適宜、また、今年1月からのコラムは、時事的なものは1ヶ月後以降、それ以外のものは6ヶ月後以降公開することにしています。 ところが、本日朝公開したコラム#1721は、時事的なものとは言い難いにもかかわらず、誤って1ヶ月目で公開してしまいました。 有料読者の方々、ご宥恕を!
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