タイトル | : コラム#1763(未公開)のポイント |
記事No | : 382 |
投稿日 | : 2007/05/10(Thu) 16:37 |
投稿者 | : 太田述正 |
コラム#1763(2007.5.10)「米国とは何か(続々)(特別編)」のさわりの部分をご紹介しておきます。 ・・ ジェームスタウンに関する記事が随分たまったので、もう少し、この町に関わるエピソードをご披露したいと思います。 ・・ 1606年にバージニア会社・・ジェームスタウンを建設・・に勅許を与えた英国のジェームス1世・・にとって、英領北米植民地はさしたる関心の対象ではありませんでした・・。 ・・ とはいえ、彼の前のイギリス国(女)王であるエリザベスの時代に始まったスペインとの戦争の完全終結に心を砕き続けたジェームスでしたが、在英スペイン大使が彼に対してジェームスタウンの閉鎖を求めた時には、何の言質も与えようとはしませんでした。 ・・彼のおかげで米国の現在がある、と言えるのかもしれません。 ・・ 1620年にメイフラワー号に乗ってニューイングランドのマサチューセッツに移住した清教徒達がつくったプリマス(Plymouth)の陰に隠れて、つい最近まで、ジェームスタウンのことはほとんど語られることがありませんでした。 その理由としては、プリマスで、現在の米国における最古かつ最大の祝日である感謝祭(Thanksgiving)が始まったとされてきたこと、プリマスが、住民の素行が比較的良かったこと、インディアンと余り諍いを起こさなかったこと、奴隷制を持ち込まなかったこと、そして、マサチューセッツにハーバード大学がつくられる等、ニューイングランドは米国の学術・教育の中心であり続け、プリマス起源の米国史観とも言うべきものを全米で流布させてきたこと、プリマスをつくったのは宗教的自由を求めた中流階級の勤勉な人々であったのに対し、ジェームスタウンをつくったのは上流階級のはぐれ者か一攫千金を夢見る下流階級の人々でそのほとんどが勤労を厭う人々であったこと、ジェームスタウンは南北戦争で敗れた南部に位置しており、爾後、南部に関わるものは何でも貶められてきたこと、プリマスと違ってジェームスタウンが放棄されて町として継続しなかったこと、等が挙げられます。 しかし、そもそもジェームスタウンの起こりは、株式会社であった勅許バージニア会社であり、米国の自由な企業の伝統はここに始まるとも言えること、プロテスタント至上主義的であったプリマスとは違って、ジェームスタウンでは人々はまさに本来の意味での宗教的自由を享受していたこと、そしてジェームスタウンでは、最初から北米植民地最初の地方議会(council)による自治が行われていたことから、様々な暗黒面があったとはいえ、ジェームスタウンこそ米国の起源である、とする説が現在では有力になりつつあります。 ・・ ところで、北米大陸における(インディアンによるものを除く)最初の定住地は、ジェームスタウンではなく、実はスペイン人が1565年につくったフロリダのセント・オーガスティン(St. Augustine)なのです。 この地で、北米大陸最初の都市計画がつくられ、裁判所、学校、病院、教会がつくられたのです。 ・・ しかし、セント・オーガスティンは、ジェームスタウン以上に無視されてきました。 スペインが北米大陸における敗者となったからです。 ・・
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