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タイトルコラム#1767(未公開)のポイント
記事No386
投稿日: 2007/05/13(Sun) 22:10
投稿者太田述正
 コラム#1767(2007.5.13)「米国とは何か(続々)(特別編3)(その1)」のさわりの部分をご紹介しておきます。
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、このたび、ローマと現在の米国とを比較した、元雑誌The Atlanticの、そして現在は雑誌Vanity Fairの編集者であるマーフィー(Cullen Murphy)の'ARE WE ROME? −−The Fall of an Empire and the Fate of America, Houghton Mifflin Company'が上梓されたので、その概要をご紹介し、私のコメントをつけることにしました。

 ・・マーフィーの主張

 共和制ローマの末期に生きたローマの政治家にして哲学者であったキケロ・・は、「数ではスペイン人に劣り、体力ではガリア人に劣り、知力ではカルタゴ人に劣り、文化ではギリシャ人に劣り、抜け目ない常識では土着のラテン人やイタリア人に劣るのが自分達ローマ人であるが、ローマはこれらの人々を全て征服し巨大な帝国をつくった。それは、敬虔さ、宗教や全能の神々を尊敬する点でローマ人は他に抜きん出ていたからだ。」と述べた・・。
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 このような、自己例外視は米国にも見られる。
 歴代の米大統領達は、プリマスに植民したウィンスロップ・・が、プリマスを「丘の上の都市にしよう」と述べた(コラム#372)ことを引き継いで、キケロの上述のような言葉で米国のことを形容してきたものだ。
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 ローマも米国も、強大な軍事力と経済力を持つ。
 ただし、貧富の差はどちらも甚だしい。
 どちらの言語も、国境を超えて使われた。
 どちらも他文化を貪欲に吸収する。ローマは宗教等を、米国は料理等を。
 どちらも軍事力を実際に行使することなく、軍事力を背景に目的を達成することに長けている。
 また、言語・文化・ノウハウ・贅沢品といったソフトパワーを駆使することにも長けている。
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 キンキナートゥス(・・Cincinnatus・・)は、BC460年にローマが外から脅威が迫り、独裁官就任を求められた時、就任後16日目にこの脅威を打ち破り、ただちに独裁官を辞任して農耕生活に戻った。BC439年に平民達の叛乱が起きて再び独裁官に就任した時も、同様だった。
 ワシントン・・はキンキナートゥスの心酔者であったところ、米独立革命の時の植民地叛乱軍の司令官であった彼は、1783年に勝利が確定すると、ただちに辞任して農耕生活に戻り、またその後、米国の初代大統領に就任した時も、任期が終わると直ちに農耕生活に戻った。
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 しかし、そのローマも、帝政時代ともなると、プリニウス・・のようなフィクサーやおべっか使いや役人的人物ばかりになってしまった・・。
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 米国もそうなってしまったのではないか。
 1956年に米プリンストン大学を卒業した750人はそのうち450人が軍務を経験したが、2004年の卒業生では1,100人中8人に過ぎない。
 しかも、軍の機能はどんどん民間会社に下請けに出されてきている。
 その上、現在のイラクでは、米国の行政官も軍人も民間会社員もほとんど現地住民のことを知らないで勤務している、ときている・・。
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 そして、ワシントンでは、アブラモフ・・のような、プリニウスでさえ真っ青になるような悪質なロビイストが暗躍している。

(続く)