タイトル | : コラム#1777(未公開)のポイント |
記事No | : 413 |
投稿日 | : 2007/05/23(Wed) 20:26 |
投稿者 | : 太田 述正 |
コラム#1777(2007.5.23)「スターリン(その2)」のさわりの部分をご紹介しておきます。 ・・ 若かりし頃、天才的な詩人であったのだから、スターリンの知性と感性が傑出していたことは確かだ。 これまで、レーニンと比較して、知的にははるかに凡庸であるとされてきたスターリンの評価は間違いであり、スターリンは、少なくともボルシェビキの指導者群の中では、レーニンに匹敵する群を抜いた知性と感性の持ち主だった、ということだ。
スターリンの愛読書は、・・ロシア文学書はもちろんのこと、・・外国文学に及んだ。 彼が特に好んだのは、・・。奇しくもすべてが英米文学だ。 スターリンは歴史も大好きだった。 ・・ また、気持ちを落ち着けたい時には、スターリンは、モーツアルトのピアノ協奏曲第23番を何度も繰り返して弾いたという。 薔薇やミモザを育てるのも好きだった。 彼はまた、映画狂でもあった。・・ ・・ しかもスターリンは、良き夫にして良き親、つまり良き家庭人でもあった。 ・・ 総じて言えば、スターリンは人間的な魅力に溢れる人物だったのだ。 ・・ 独裁者にして殺戮者たるスターリンについては、従来からよく知られていたところだが、ソ連崩壊後、詳細が分かってきた。 ・・2,000万人にも及ぶソ連の人々が、粛清や強制収容所送りによって殺戮された。 ・・ 1935年に制定されたソ連の法律によって、罪を犯した人物の家族や親戚は、たとえ全く無実であっても連座責任を問われることになった。この結果、粛清された人物の妻、子供、兄弟姉妹に対しても処刑等がなされるようになっていった。 ・・ 帝政ロシアでは、レーニンの兄が大逆罪を犯して処刑されたけれど、レーニンは処刑されるどころか、学業を全うすることを許された。また、シベリア送りになった流刑囚だって、ソ連の場合のように、餓死させられたり死ぬほどこき使われるようなことはなかった。 だから、ソ連はロシアよりはるかに人間性に悖る体制であったと言える。 この恐怖政治の下で、・・エセ科学がはびこったし、政治エリートは萎縮し、知性が鈍磨したため、スターリンの死後、ソ連はフルシチョフのようながさつな指導者やブレジネフのような凡庸な指導者をいただく羽目になった。 ・・ このソ連に、少なからぬ欧米のインテリがいかれ、ソ連のシンパになったことは遺憾なことだった。 ・・
(続く)
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