タイトル | : コラム#1781(未公開)のポイント |
記事No | : 434 |
投稿日 | : 2007/05/26(Sat) 17:01 |
投稿者 | : 太田 述正 |
コラム#1781(2007.5.26)「英国・日本・捕鯨(その1)」のさわりの部分をご紹介しておきます。 ・・ 捕鯨問題については、これまで何度となくとり上げてきた(コラム#766〜768、1272、1273、1307、1313、1317、1318、1320)ところですが、英BBCが2回に渡って、日本側の視点を紹介する記事を電子版に掲載したので、ご紹介の上、私のコメントを記したいと思います。
<まず、一つめの記事の概要です。> 日本は、殺生戒を持つ仏教の国であり、また、欧米流の動物愛護精神も普及しているというのに、どうして爆発性の銛を使った残酷な捕鯨を止めないのだろうか。
そこで、1600年代から捕鯨が行われてきた山口県長門市の捕鯨博物館を訪問した。 日本人は、宗教的理由から支配者達は、長く肉食を禁じてきた。 しかし、海の幸に関しては、魚類と動物とを区別することなく、食してきており、鯨は、8,000年前からずっと食用に供されてきた。 油だけ採って後は捨ててしまった欧米とは全く違って、鯨の油や骨は肥料にされ、肉は、陰茎を含むあらゆる部位が調理され食された、と展示されている。。 長門の人々が捕鯨を止めてから1世紀が経つ。 それでも、毎年、人々は伝統的な衣装をまとい、伝統的な舟に乗って、伝統的な銛をかざして金属製でスクリューで走る鯨を捕るお祭りを行っている。 長門には、鯨の胎児の共同墓もある。 捕った鯨が胎児を宿していると、人々は、この胎児を海の見えるお寺の境内に17世紀に設けたこの墓に葬ってきた。鯨の胎児は、生前海を見ることがなかったので、死後は毎日海が見えるようにというわけだ。 このお寺には、亡くなった檀家の戒名が記録されている過去帳があるが、ちゃんと仏教式の戒名をつけた鯨の過去帳も残されている。 住職は、鯨に対する人々の感謝の念から、鯨も弔いの対象になってきたと語った。 ・・ 日本では、タイ等の他の東アジア諸国とは違って、色鮮やかな寺院があらゆる街角にあるというわけでもなければ、オレンジ色の衣を纏った僧侶達が喜捨を求めて歩き回っている姿も見られないが、それでも仏教の教えや習慣はいまなお生きている。 私には、冒頭掲げた鯨をめぐる日本の「矛盾」について、若干なりとも理解が深まった思いがした。
<私のコメントです。> BBCは、同じ英国のガーディアンやファイナンシャルタイムスに比べると、日本に関し、時に杜撰な、あるいは偏見のある記事が出ることがあり、クォリティーが低いのですが、この記事はなかなか秀逸だと思います。 ただし、若干補足すれば、・・日本人の、肉食の忌避はもとより、あらゆる生き物への慈しみについても、仏教伝来以前からの日本の生き様ないしは宗教意識に根ざす、と考えるべきでしょう。 ・・戦後・・学校給食を通じて、肉食一般とともに、鯨食の習慣もまた日本全国に広まった(コラム#766、767、1698)ことを付言しておきましょう。
(続く)
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