タイトル | : コラム#1789(未公開)のポイント |
記事No | : 457 |
投稿日 | : 2007/05/31(Thu) 23:43 |
投稿者 | : 太田 述正 |
コラム#1789(2007.5.31)「イギリス内戦(その2)」のさわりの部分をご紹介しておきます。 ・・ アダムソンの新説は、私の理解では、必然性史観ないし近代化史観から解放されたところの「清教徒革命」概念の復活です。 以前(コラム#90、1334、1695で)ご説明したように、イギリスは、コモンローと(国民主権ならぬ)議会主権の国であり、主権の帰属するところの議会が自ら選んだリーダー(長くは国王、18世紀後半以降は首相)に政治と軍事の全権を委ねる、という国でもあります。 アダムソンに言わせると、そのイギリスで、17世紀の中頃、清教徒(Puritan)的なキリスト教原理主義に取り憑かれた人々が、このようなイギリスの不文憲法を破棄して、欧州的な、すなわち、古代においては共和制ローマ、当時においてはベニス共和国を念頭に置いた、(民主制ならぬ寡頭制的)共和制をイギリスに樹立しようとした、というのです。 このアダムソンの説は、自由主義史観やマルクス主義史観と違うのはもちろんですが、チャールスの国王として不適切な資質に原因を求めたりしてイギリス内戦生起の偶然性を強調するところの修正主義史観とも異なっています。 ・・ <以下は私の所感です。>
キリスト教原理主義なるイデオロギーに取り憑かれた人々が、国王抜きの神の共同体(godly commonwealth)たる共和制の樹立を目指した、とくれば、これは、その1世紀以上後に起こった米独立革命の先駆的事件であると言いたくなります・・。 ・・ このような意味において、清教徒革命から王制復古にかけてのこの時期は、世俗的かつ議会主権を旨とするイギリスが、最も欧州(あるいは米国)に接近した、イギリス史における異常な一時的逸脱期であったと私は考えているのです。
(完)
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