日本は自分からアメリカの属国をしている

太田述正さんは、安全保障の専門家として、現在の日本の状況をどのような危機感を持たれておられますか?

戦後日本の国家戦略は、自らの意思で属国・・外交、防衛を米国に依存・・となり、経済に専念するという、いわゆる吉田ドクトリンです。 要するに、日本は、集団的自衛権行使の禁止というエゴイズムの奨励と国家としてのガバナンスの放棄を自ら行い、現在に至っているのです。 現在の政治、官僚機構、ひいては政府依存度の大きい大企業における、三位一体的癒着構造の下での退廃・腐敗はその論理的帰結である、と私は考えているのです。 このような人類の歴史上余り例をみない退嬰的な戦略に半世紀以上も経っていまだにしがみついている日本を、米国の指導層は軽蔑しきっています。

ここで日本の安全保障状況についてちょっと触れておきます。

冷戦時代を含め、戦後一貫して、日本に対する直接侵略の脅威はありませんでした。 というのは、一つには四囲が海であることです。これが核時代においては決定的な意味を持ちます。日本に対する上陸作戦の実施がほとんど不可能になったからです。 次に、在日米軍が日本に前方展開し、朝鮮半島には、在韓米軍と韓国軍が存在して、日本を大陸からの脅威から守ってくれていることです。 結局、日本にとっての軍事的脅威は、核の脅威とテロリスト的脅威だけなのです。 しかし、核の脅威に対しては、米国の核抑止力に依存できることに一応なっていますし、テロリスト的脅威に関しては、軍事的脅威というよりは、治安上の脅威であり、基本的に警察力で対処すべきものです。

このように、国内では軍隊として活動をする場面はまず考えられないわけですが、そこへもってきて、政府憲法解釈により、集団的自衛権行使が禁じられているのですから、海外で軍隊としての活動をすることも不可能です。

それだけではありません。 念が入ったことに、自衛隊は軍隊ですらないのです。 憲法解釈上の建前論を言っているのではありません。 編成・装備は軍隊のように見えますが、軍隊もどきの警察にほかなりません。 「警察」予備隊のままだ、と言ってもいいでしょう。 (国際法上は軍隊とみなされるでしょうが、それは別の話です。) というのは、自衛隊は、政府憲法解釈により、(コラム#5)など、軍隊の基本的な機能を欠如したまま、ポジリストにより管理されているからです。

ポジリストとは、何をやってよいか、細かく法律によって定められていることです。 これは、自衛隊が単なる一行政機関であって、まさに警察そのものであることを意味します。 およそ軍隊というのは、政府の最後の拠り所たる暴力装置であって、諸外国においては、国際法上禁止されていること・・ネガリスト・・以外は、何でもやらせることができるものなのです。 このように、国内で自衛隊法でがんじがらめにしばっている上に、海外に派遣する時には、いちいち特別法をつくるというやり方をしています。 イラクに派遣するのも特別法をつくり、インド洋で給油活動をするのも特別法をつくり、すべて期限を付している、というのですから、何をかいわんやです。

結局、自衛隊は軍隊としてやるべきことは何もないし、何もできない、ということです。 その結果、これまで国内ではもちろんですが、PKO等で民間人、外交官、警察官は任務遂行中の死亡者が出ているけれど、自衛官の死亡者は一人もいないという笑い話のような話になっているわけです。

こんな自衛隊が、退廃、腐敗しない方が不思議でしょう。 これほどひどくはないけれど、似たようなことが、外交の基本を宗主国の米国に委ねていることから外務省についても言えます。 安全保障に関係のない省庁などありませんし、グローバル化した現代においては、外交と関係のない省庁もほとんどありません。 結局、退廃、腐敗は全省庁、ひいては政府依存度の高い全企業を覆うことになって現在に至っているのです。

このような見解に私が到達したのは、私が、戦後日本の吉田ドクトリンの矛盾を集約したような官庁である防衛庁に30年近く在職したからこそですが、だからといってこのような見解をバイアスがかかったものである、とは考えていません。

ところで、勘違いしてもらっては困るのであえて申し上げておきますが、官僚批判にせよ自民党批判にせよ、これらは私の裏芸であって表芸ではありません。 7年以上にわたって書き綴ってきた私の防衛省OB太田述正ブログをご覧になればすぐお分かりになるように、私の表芸は比較政治論であり国際安全保障論なのです。 しかし、残念ながら日本の現状においては、私が比較政治論や国際安全保障論をどれほど論じようと、それらが日本の政治、日本の安全保障に活かされることはありえません。なぜなら日本にガバナンスが欠如しているからです。 だからこそ、私は官僚批判や自民党批判を行い、日本が米国から自立を果たし、ガバナンスを回復するために戦っているのです。 米国の属国なるがゆえに政官業が退廃・腐敗したという私の認識を今申し上げたところですが、政官業の退廃・腐敗を突くことは、米国の属国という現実を浮かび上がらせることにつながる、と考えています。


軍律法廷 コラム#5
https://www.ohtan.net/blog/archives/499

コラム#2613『実名告発防衛省』序文、コラム#2989、#30、57、58)

オンリー・イエスタデー・・冷戦時代の自衛隊
https://www.ohtan.net/blog/archives/524

苦悩する自衛隊――インド洋への海上自衛隊の派遣をめぐって――
https://www.ohtan.net/blog/archives/549

日本の防衛力の過去と現在――新たなあり方を考える出発点として――
https://www.ohtan.net/blog/archives/550

「桜」出演準備(続x3)
https://www.ohtan.net/blog/archives/3674

表芸・裏芸が表裏一体であると理解しました。では、本日のテーマである米国論、属国論について教えてください。まず、米国論からうかがいましょう。私たちは経済的にも文化的にもまた安全保障の観点からも過度に米国に依存している感があります。先生のご専門である我が国の安全保障の観点から、このような状態は望ましいものなのでしょうか?言葉を変えると、米国とはそれほど頼りにしてよい国なのでしょうか?

(アングロサクソン=イギリス人とは、ゲルマン文化を継受した、ブリテン島在住のバスク人である。言語はベルガエ人から、言語以外の文化はアングロサクソンから継受した。それ以前は、ブリテン島及びアイルランド在住のバスク人はケルト文化を継受していた。これが、イギリス人とウェールズ・スコットランド・アイルランド人との違いだ。すなわち、後者はケルト文化を維持したのだ。 後者は文明的には欧州文明に属する。前者は言うまでもなく、純粋ゲルマン文化を特徴とするアングロサクソン文明を形成した。(コラム#1687))

アングロサクソン文明と欧州文明の違いは何か。

一言で言えば、ローマ文明の影響を強く受けていないかいるかの違いです。 ローマ文明とは、ローマ法とキリスト教(帝政期に国教化された)によって特徴付けられます。 欧州文明とは、ローマ文明をそっくり継受しつつゲルマン人が支配者として形成した文明であり、ローマ文明の特徴に加えて階級制を特徴とする、演繹的、合理論的思考の文明です。 これに対し、アングロサクソン文明とは、純粋なゲルマン文化を継受したものであり、コモンローと個人主義を特徴とする、帰納的、経験論的思考の文明です。個人主義を特徴としているということは、アングロサクソン文明は、本来的に資本主義的文明であるということです。 アングロサクソンと欧州は、水と油くらい異質であり、アングロサクソンは、野蛮はドーバー階級の向こう岸から始まると内心思っています。 他方、欧州は、アングロサクソンに対し、内心著しいコンプレックスを抱いているのです。


アングロサクソンの起源 (コラム#1687)
https://www.ohtan.net/blog/archives/2126

米国もそのアングロサクソンの一員ですよね?

私は、米国はアングロサクソンを主、欧州を従とする「キメラ」であると考えており、そのような意味で、米国をできそこないのアングロサクソンと形容してきました。 その欧州における、18世紀における代表的知識人たるフランスのヴォルテールもドイツのカントもユダヤ人やアフリカの黒人に対する偏見を抱いており(コラム#3702)、19世紀から20世紀にかけての西欧列強は、文字通りの人種主義的帝国主義国でした。また、ナチスがユダヤ人の絶滅を図ったこともご存じのとおりです。 欧州を従とする米国もまた、欧州同様、人種主義的帝国主義だったのです。 これに対し、イギリスは帝国主義国ではあったけれど、決して人種主義的ではありませんでした。 そのことがよく分かる挿話をご紹介しましょう。

18世紀のイギリスの評論家にして最初の英語辞書を編纂した人物であるサミュエル・ジョンソン(Samuel Johnson。1709~1784年)は、米独立戦争の最中の1775年に「課税は圧制ならず」(Taxation No Tyranny)を著わし、対英独立戦争を戦っている北米植民地の人々を非難しました。 「わが<英国>政府の庇護の下で繁栄を謳歌している<北米植民地の>連中が、<政府の>費用について応分の負担をするのは当然のことではないか。・・ 彼らは自分の自由意志で、選挙権とささやかな財産を保有していた本国を去り、大いなる財産が得られる代わりに投票権が行使できない場所に移った<のだから、代表なきところに課税なしなどと言えた義理ではない>。・・「彼らは<本国による>課税を受け入れたら自分達は<本国の>奴隷になってしまうと言う。・・<しかし、このように>喧しく自由を叫び、奴隷になどなるものかとのたまっている連中に限って多数の黒人奴隷を抱えているのはどういうことだ。・・それでは一つ、奴隷解放令でも出してやることにするか。よもや自由愛好家でらっしゃるお歴々は反対されまいて。・・解放された奴隷達の方が、彼らの元の主人様達よりはるかに立派な市民になることは受けあいだ。」と。

このジョンソンの痛烈な皮肉は、米国の独立運動が、奴隷制批判が主流になりつつあった英本国の動向に恐れをなし、わずかな課税を口実に、口先だけ美しい言葉を掲げて開始された側面があることを物語っています。(米国の歴史学者のエドマンド・モルガンは、奴隷制の下で労働者階級が合法的に無権利状態に置かれていたからこそ、英本国のように労働者階級による支配を恐れることなく、米国は民主主義的立憲主義の追求ができたのだ、と指摘しています。)  ちなみに、米国建国の父であるワシントン、ジェファーソン、マジソン、パトリック・ヘンリーらはみんな奴隷所有者でした。当初の米国憲法には(投票権のない)奴隷の数の五分の三を議員定数の割り振りの際には有権者数に算定するという条項が含まれており、ジェファーソンが1800年の大統領選挙に当選したのは、この条項のおかげだといいます。米国建国と奴隷制(コラム#225)

このように米国人は、建国以来、(というか、イギリス人が植民してきた当初から、)人種主義的帝国主義者であるわけですが、建国から19世紀末までは合理的であり、人種主義の対象は、主としてインディアンと黒人で、前者を殲滅し後者を奴隷化しつつ北米大陸の領域的征服を目指し、19世紀末以降は非合理的となり、人種主義の対象は、(アフリカ系、中南米のインディオ系、アジア系の)有色人種全体へと拡大するとともに、各地に軍事基地を設ける形の世界支配を目指し、(20世紀後半からは、次第に人種主義を克服しつつ)現在に至っている、というのが私の考えです。  この米国の19世紀末以降の人種主義的帝国主義による、「「非合理的でイデオロギー的な」愚行は、それぞれ、ロシアの共産主義者達とナチスによって20世紀になされた愚行と規模及び犯罪性において匹敵するものがある」と私は指摘しているところです。 米国の世紀末前後(続)(その1)(コラム#3658)

この人種主義的帝国主義の背後にあるのは、イザヤ・ベンダサンの日本教ならぬ、米国教とでも言うべきものであって、旧約聖書に重きを置いた原理主義的キリスト教である、と私は考えています。(コラム#3652、3654) ただし、旧約聖書と言っても、選民たるユダヤ人を選民たる米国人(米国のアングロサクソン→米国の白人)と読み替え、イスラエルを米国と読み替えた旧約聖書です。 この文脈の下で、米国では、一貫してモーゼが尊ばれてきました。 米国とは何か(続x4)(その1) 米国とは何か(続x4)(その2)

それでは、どうして米国人の多くが、このような特異な原理主義的キリスト教を信奉し続けて今日に至っているのでしょうか。 恐らく、米国人は、もともと孤独な人々であったからでしょう。 というのは、米国を建国した人々は、イギリス人が中心であり、彼等は、もともと本国のイギリス人同様、個人主義という、ある意味、孤独を志向する文化の申し子であった上に、その本国を宗教的かつ政治的に捨て去った人々でもあったからです。 本国政府に代わって、彼等自身が設立した米国政府のような、伝統に裏打ちされていない、正統性の薄弱な政府など、容易に信頼できない以上、米国人達の孤独感とそれと裏腹の関係にある相互不信感は募ったはずですし、そこへもってきて、かつてはイギリス人中心であった米国に世界各地から移民が流入し、その結果、米国が人種的、民族的、宗教的にばらばらで分断された社会になって行ったため、米国人達の孤独感と相互不信感、及びそれに伴うストレスは募る一方で現在に至っている、と考えられます。 これが米国における、例えば、精神分析のかつての大繁盛や米国の殺人率の一貫した高さ、あるいはホラー小説の根強い人気をもたらしている、と考えられるのであり、だからこそ、米国人はその特異な原理主義的キリスト教にすがらざるを得ない、ということだと思うのです。

つい最近までの米国のイデオロギーであった人種主義的帝国主義は、このような原理主義的キリスト教とコインの表裏の関係にあるのであって、上述のようにばらばらの米国人を一つの国民として結集する必要不可欠な存在であったのではないか、ということです。(コラム#3694等) 米国とは何か(続x5)(その3)


政治的宗教について(その5)(コラム#3702)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4275

米国建国と奴隷制(コラム#225)
https://www.ohtan.net/blog/archives/717

米国の世紀末前後(続)(その1)(コラム#3658)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4185

米国とは何か(続x4)(その1)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4179

米国とは何か(続x4)(その2)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4183

米国とは何か(続x5)(その3)(コラム#3694等)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4064

なぜ、そんなできそこないアングロサクソンの米国が世界の覇権国家となりえたのでしょうか?

それは、アングロサクソンの本家本元のイギリスが世界の覇権国家となりえた理由と基本的に同じです。 イギリスが覇権国家となりえたのは、イギリスはその歴史の最初から、既に申し上げたように、個人主義的社会であったところ、それに加えて、法の支配が確立した自由主義的社会であり、最初から資本主義的社会でもあったことから、個人の創意が十二分に発揮され、ために、社会が豊かで戦争にも強かったからです。

米国は、できそこないではあっても、このような文化をイギリスと共有している上に、イギリスよりもはるかに広大であり、人口においてもイギリスを抜いた後、海外にも進出を図り、ついには、米国は、イギリスから20世紀に覇権国家の地位を奪取し、現在に至っているわけです。

米国は人種主義的帝国主義的なイギリスだということですね。

そのとおりですが、もう一つ、米国がイギリスと異なる点があることを忘れてはなりません。 イギリス的生活様式と言ってもよい資本主義を初めて学問的に解明しようとしたスコットランド人のアダムスミス自身、決して市場原理主義者ではありませんでしたし、イギリス自体も必ずしも市場原理主義的な社会ではありませんでした。

(アダムスミスについては、以下のとおり。 ・・・Smith published The Theory of Moral Sentiments in 1759・・・. This work was concerned with how human morality depends on sympathy between agent and spectator, or the individual and other members of society. He bases his explanation ・・・on sympathy.・・・ Adam Smith's advocacy of self-interest based economic exchange did not, however, preclude for him issues of fairness and justice. ・・・ ・・・Smith・・・used <the term> 'political economy' ・・・

また、イギリスについては、第一に、イギリスは、「1563年から1601年にかけて救貧法(Poor Law)が制定され・・・、それとほぼ同じくして、1597年から1601年にかけて慈善法(Charitable Uses Act)も制定され」たという人間主義的な社会 (コラム#1577。#54、601、1212も参照)

である上、第二に、経済の面でも、例えば19世紀において、市場原理主義的に運営されたのはイギリス本国内及びイギリスと大英帝国以外の地域との間だけであり、全体として世界人口の4分の1をしめた大英帝国中の植民地経済はもっぱら本国経済に奉仕させられており、このような世界秩序は、イギリス海軍、すなわちイギリス政府によって維持されていた。(コラム#3711))

これに対し、米国人は、市場原理主義的なのです。 そもそも米国人は、当初はもっぱらイギリスから、基本的に権力や他者の介入を嫌って北米大陸に渡ってきた人であり、しかも、危険を冒すことを厭わない人々でもありました。 このことは、その後、欧州各地から、更には世界各地から様々な民族の人々が米国にやってくるようになってからも変わっていません。 そのため、米国は、最初から、市場原理主義的であり投機的な社会であったのです。

米国には、イギリスでは使われていないものも含め、「争奪者(scrambler)、博打打ち(gambler)、常習的軽犯罪者(scofflaws)、或いは投機者(speculator)等、詐欺にまつわる言葉が多いことをご存じでしょうか。 博打打ち的人物が群れ集う米国は、論理必然的に、永久革命、或いは恒常的に流動的な社会になったのです。これを良く言えばシュンペーターの創造的破壊の社会であり、悪く言えば創造的腐敗の社会なのです。(コラム#306、#307)

ところで、市場原理主義は欧州には見られないではないか、という指摘が予想されるので一言。 市場原理主義は、演繹的、合理論的思考、すなわち欧州的思考の産物であるという意味で欧州的であると言えますし、欧州各国では、経済こそこれまで市場原理主義的であったことはないけれど、スイスのワルラス、オーストリアのハイエク、同じく上出のオーストリアのシュンペーターらは、それぞれかなり異なっているとはいえ、広義の市場原理主義的方法論ないしは世界観を共有していたところです。 これらの経済学者の強い影響の下で、戦間期から戦後にかけて、米国で市場原理主義的経済学が花開き、いわば、これが米国の公定イデオロギーになるのです。 その象徴たる存在が故レーガン大統領です。

日本ではあまり知られていませんが、米国に亡命したユダヤ人であるアイン・ランド(AYN RAND)は、この公定イデオロギーを小説の形で米国の大衆に普及させた有名な人物です。(コラム#3632、3634、3636) 亡くなってから随分経つというのに、いまだに彼女の小説はベストセラー並みの売れ行きを続けています。

(19世紀の市場原理主義と18世紀の啓蒙主義は、先進国イギリスにコンプレックスを抱いていた欧州の各国の知識人達が、それぞれ、誤解ないしは曲解に基づき、イギリスの資本主義やイギリスの自由主義を理想視し、純化し、原理主義化することによって、実践的、あるいは理論的にイギリスを追い抜こうとしたむなしい試みであり、その意図せざる結果として、どちらも、世界中に多大の惨禍をもたらした、というのが私の考えです。(コラム#3711))

サッチャーらを通じてイギリスまで、この市場原理主義にかぶれてしまい、市場原理主義が一時アングロサクソン世界全体を席巻し、世界に大きな影響・・例えば、ロシアにおいては国家破綻寸前の状況をもたらし、日本においては小泉旋風を巻き起こした・・ことはご存じでしょう。 英国においては、メッキされた市場原理主義がすぐに剥がれ落ちたのに対し、米国においては、市場原理主義こそ国是であってニューディール時代は逸脱期であるという認識がいまだに根強く残っています。(コラム#3636)

さすがに1960年代に至って、米国は、人種主義的帝国主義イデオロギーの方は克服し始め、2008年には、このイデオロギーの下ではおよそ考えられなかった、黒人の大統領の選出というところまでこぎつけたことはご承知のとおりですが、9.11同時多発テロを受け、対テロ戦争を遂行する過程で、米国が、今度は、市場原理主義に立脚した米国流のファシスト国家化の兆候を見せた・・人権の蹂躙が横行する国になった・・ことは記憶に新しいところであり、米国が、人種主義的帝国主義に代わって米国流ファシズムに染まるようなことがないか、我々は、常に警戒の念をもって、米国を見守っていく必要がありそうです。 この点は、もう一度最後で触れます。(コラム#3694等)


(コラム#1577。#54、601、1212も参照)

豊かな社会(アングロサクソン論2)
https://www.ohtan.net/blog/archives/10933

奴隷制廃止物語(その4)
https://www.ohtan.net/blog/archives/1091

ガルブレイスの死(その2)
https://www.ohtan.net/blog/archives/1704

米国慈善事情(特別篇)
https://www.ohtan.net/blog/archives/2069

皆さんとディスカッション(続x685)(コラム#3711)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4019

(コラム#306、#307)

米国とは何か(その3)
https://www.ohtan.net/blog/archives/798

米国とは何か(その4)
https://www.ohtan.net/blog/archives/799

アイン・ランドの人と思想(その1)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4010

アイン・ランドの人と思想(その2)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4012

アイン・ランドの人と思想(その3)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4014

皆さんとディスカッション(続x685)(コラム#3711)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4019

米国とは何か(続x5)(その3)(コラム#3694等)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4064

日本は独立国家ではないのですか。日本が属国であるとはどういう意味なのでしょうか。

英語版のウィキペディア
https://en.wikipedia.org/wiki/Protectorate

は、「保護国(protectorate)とは、主権国家<等の>・・政治的存在(political entity)が、宗主国(protector)と称されるより強い国家と公式に条約によって不平等な関係を取り結び、この宗主国が外交的にあるいは必要に応じ軍事的に、この政治的存在を第三国等から守ることを約束し、その見返りとして、この政治的存在が宗主国に対し、両国の関係の実態に応じ大いに異なるところの、特定の諸義務を通常負うものを指す」としており、この保護国を日本、宗主国を米国、条約を日米安保条約と読み替えれば、ぴったりあてはまることがお分かりいただけると思います。

米国の保護国日本が、宗主国にいかに「搾取」されているか挙げてみましょう。 まず、日本の首都圏は、米国の他の同盟国では考えられないことですが、米軍の基地だらけです。しかも、首都圏の空域の航空管制権は米軍がほぼ全面的に握っています)。

(米国の同盟国であるドイツの首都ベルリン圏にも、同じく同盟国である英国の首都ロンドン圏にも米軍基地はない。あの38度線近くの韓国の首都ソウルからさえ、米軍の移転が決まっている。 ところが、日本の首都圏には、東京の通勤圏内に在日米軍司令部、陸軍司令部、海軍司令部(原子力空母配備)、及び空軍司令部等の米軍基地がある。)

この点に関する限り、日本は米国の保護国どころか、終戦当時から引き続き米国の占領下にあると言えるでしょう。 次に、やはり米国の他の同盟国ではまず見られないことですが、日本は在日米軍駐留経費を(半分も)負担させられています。米軍基地の土地借料分を計算に入れると、日本は米軍の駐留経費の実に8割を負担している勘定になるのです。 しかも日本は、米軍基地の正規の日本人労働者のほか、米軍基地内の独立採算制のハンバーガー店等の日本人労働者の給料まで負担しています。 その結果、米軍は減っているのに基地労働者はどんどん増えている、という笑い話のようなことが生じています。

(在日米軍は、駐留経費負担が始まった1978年度には4万5,939人だったのが、2006年度(9月末現在)では27%減の3万3,453人まで減少したというのに、米軍基地内で働く日本人従業員は、1978年度2万1,017人だったのが、2006年度(同)には逆に2万5,403人へと2割も増え、今では、米軍100人あたり基地従業員が75.9人もいる。ちなみに、韓国は米軍100人当たり47.2人、イタリアは43.1人、ドイツは30.8人だ。) また、何事によらず日本は米国の言いなりになっている、と不愉快な思いをされていませんか。(コラム#1823) 米国の保護国日本


米国の保護国日本 (コラム#1823)
https://www.ohtan.net/blog/archives/2247

一般的に、戦後日本は吉田茂のもと、いわゆる吉田ドクトリンという戦略をとることで、世界第二位の経済大国にまでなったといわれていますが、このことに関して太田さんはどう思われておられますか?

吉田ドクトリンは、吉田茂の米国に対する強い反発感情に起因する判断ミスに端を発し、その後吉田自身が自分の選択を後悔していたにもかかわらず、様々なイデオローグ達や吉田のできのわるい弟子の政治家達によって、いつしか吉田ドクトリンなる日本の国家戦略へと祭り上げられていっただけで、そもそも、戦略とよべるようなものではありません。

吉田茂は何に怒ったのでしょうか。第一に、米国の誤った東アジア政策です。

先の大戦は、第一次世界大戦の結果世界に覇権国が存在しなくなった、すなわち、英帝国は疲弊し、米国は覇権国たる自覚が欠如していた、という状況下で東アジアにおいて、ソ連、蒋介石政権、中国共産党らの民主主義的独裁勢力への防波堤となり、地域の平和と安定を維持に努めるという、覇権国機能をやむなく果たしていた日本への、有色人種差別意識に根ざす日本蔑視に加えて、「12歳」並みの判断能力しかなかった米国の無知・無理解に基づく敵意が日本を含む東アジアにもたらした悲劇です。  皮肉なことに、日本の敗戦後、米国は、ファシストたる蒋介石政権をようやく見限ったものの、支那と北朝鮮、更にはインドシナにおける共産主義政権の樹立に伴い、ソ連の脅威に加えてこれら諸国の脅威に東アジアで直面した米国は、「戦前」の日本と全く同じく東アジアの覇権を、しかし「戦前」の日本よりもはるかに不利な戦略環境の下で追求することを余儀なくされたのです。 そして、さすがに頭の固いマッカーサーも、朝鮮戦争で北朝鮮及び中国と戦う羽目となり、東アジアの平和と安定を担っていた小覇権国日本と手を組むどころか、民主主義的独裁勢力に手を貸して日本を叩き潰した米国の非に気づいたのでしょう、マッカーサーは、「太平洋において米国が過去百年間に犯した最大の政治的過ちは共産主義者を中国において強大にさせたことだと私は考える」と1951年5月に米議会で証言したのです。(コラム#221) 米国が犯したこの深刻な過ちは、米国にとって、第一の原罪である黒人差別(コラム#225) と並ぶ第二の原罪と言ってもいいでしょう。(コラム#234)、 現代日本の越し方行く末(その4) 米国建国と奴隷制 孫文(その4)

これが吉田茂の抱いた米国に対する怒りの第一の原因であると思われます。第二に、米国による日米協定破りです。

1905年、日本の桂太郎首相とタフト米陸軍長官の間で、桂・タフト協定が締結され、日本は米国の植民地フィリピンへの不干渉、米国は日本が朝鮮を保護国とすることを認めました。その三年後の1908年には高平大使とルート米国務長官の間で、高平・ルート協定が締結され、日米両国は、アジア・太平洋における相互の領土尊重、中国の門戸開放と領土保全、中国のおける現状維持を約束しました(中国における現状維持という言葉は、満州における日本の経済特殊権益を暗黙のうちに認めるものと理解された)。 ところが、先の大戦が始まるや、1943年のカイロ宣言において、米国はこれら協定に違背して、英国、中華民国とともに、「滿洲、臺灣及澎湖島ノ如キ日本國カ清國人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民國ニ返還スルコトニ在リ日本國ハ又暴力及貪慾ニ依リ日本國ノ略取シタル他ノ一切ノ地域ヨリ驅逐セラルヘシ前記三大國ハ朝鮮ノ人民ノ奴隸状態ニ留意シ軈テ朝鮮ヲ自由且獨立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」と、「盗取」、「略取」という言葉を使って、日本の植民地及び中国における権益保有の正当性を否定したのです。 このカイロ宣言は、ポツダム宣言で援用され(コラム#247) 台湾の法的地位 、日本がポツダム宣言を受諾して降伏することによって、日本は植民地及び中国における権益を失いました。 それだけではありません。戦後米国は、これらの地域における全日本居留民を日本に追放するとともにその全私有財産を没収するという国際法違反を行いました。日本の植民地及び中国における権益の保有を違法視したカイロ宣言・・この宣言自体が国際協定、すなわち国際法違反・・を実行に移したわけです。 これが吉田茂の抱いた米国に対する怒りの第二の原因であると思われます。

第三に、日本国憲法、就中第9条の押しつけです。

日本が受諾したポツダム宣言第の13項には、「吾等ハ日本国政府ガ直ニ全日本国軍隊ノ無条件降伏ヲ宣言シ且右行動ニ於ケル同政府ニ対ノ誠意ニ付適当且充分ナル保障ヲ提供センコトヲ同政府ニ対シ要求ス・・」とあり、日本軍が無条件降伏しただけであったのに、連合国(=United Nations=国際連合、しかもそれが実質的には米国、であることにご注意)は、1945年8月に日本を占領するや、ポツダム宣言13項は、日本に無条件降伏を要求したものと一方的に読み替え、ポツダム宣言の履行監視の域を超え、早くも10月に憲法改正を「示唆」し、翌年の2月には、自ら作成した新憲法草案を日本政府に押し付けました。 これは日本の降伏条件違反であるのみならず、戦時国際法にも違反する二重の国際法違反です。 すなわち、陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(ハーグ陸戦法規)の第43条には、「国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ、絶対的ノ支障ナキ限、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ、成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ」と規定されているところ、第一に、日本が無条件降伏していないことから、ハーグ陸戦法規のこの占領規定が適用され、そうである以上は、第二に、大日本帝国憲法が「占領」に「絶対的・・支障」がない(連合軍は、大日本帝国憲法の規定のどこが占領に支障があるのか、具体的に明らかにしていない)ことから、連合軍が新憲法を押し付けることは許されないのです。

(フランス憲法には、「領土保全が侵害されている場合には、いかなる憲法改正手続きも開始または継続されてはならない」(89条4項)という規定がある。これは無条件降伏の場合の抜け穴をあらかじめ閉ざしたもの、とも解しうる。)

それだけではありません。 連合国が押し付けた新憲法草案には、後に第9条となる、日本の再軍備禁止条項が含まれていました。これは、占領終了後の日本を、連合国、実質的には米国、の保護国の地位に貶めようとするものでした。 吉田は当時、外務大臣でしたが、天皇制と昭和天皇を守るため、緊急避難的に連合国の不当な新憲法制定要求を受け入れます。 これが吉田茂の抱いた米国に対する怒りの第三の原因であると思われます。

第四に、日本への朝鮮戦争参戦要求です。

その連合国があろうことか、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、米国の戦略は180度一変し、日本を共産主義の防波堤とする戦略に切り替え、いまだ占領下にあった日本に対し、連合国軍(朝鮮国連軍)の補助部隊としての朝鮮半島出兵を含みにした再軍備を要求してきたのです。 これが吉田茂の抱いた米国に対する怒りの第四の原因であると思われます。 吉田はここで完全にキレたのです。彼は恐らく、誰が朝鮮戦争の原因をつくったのか、誰が日本人を朝鮮半島から無一文で追放したのか、誰が日本に再軍備を禁じたのか、その日本によくもまあ、そんな要求ができるものだ、という気持ちだったろうと推察されます。

これらの怒りにかられた吉田茂の対応は、断固たる再軍備拒否でした。 私でも、当時の一市民であれば、吉田の対応に喝采を送ったかもしれません。 しかし、吉田は日本の総理大臣でした。 冷静にこれを絶好の機会ととらえ、朝鮮戦争に参戦はしなくてよいとの言質をとりつけた上で、彼は憲法9条改正の指示を日本占領中の連合国に出させ、ただちに再軍備に乗り出さなければならなかったのです。 当時連合国、すなわち米国は、あわてふためいており、日本の再軍備を熱望していたのですから、吉田の要求を全部飲んだ上、再軍備のための初期経費を喜んで負担してくれたはずです。 その後の吉田の対応も、著しく適切さを欠くものでした。(吉田の「過ち」の全体像については、拙著「防衛庁再生宣言」219~223頁参照。) そして、この怒りによって我を忘れた吉田の対応は、様々なイデオローグ達や吉田の弟子たる政治家達によって、いつしか吉田ドクトリンなる日本の国家戦略へと祭り上げられていくのです。(拙著223頁以下を。コラム#349、250→『属国の防衛革命』24~29頁) 吉田ドクトリンの起源(その1) 吉田ドクトリンの起源(その2)


(コラム#221)(コラム#225)(コラム#234)

現代日本の越し方行く末(その4)
https://www.ohtan.net/blog/archives/713

米国建国と奴隷制
https://www.ohtan.net/blog/archives/717

孫文(その4)
https://www.ohtan.net/blog/archives/726

吉田ドクトリンの起源(その1)
https://www.ohtan.net/blog/archives/741

吉田ドクトリンの起源(その2)
https://www.ohtan.net/blog/archives/742

属国の防衛革命
https://www.ohtan.net/book/

日本は、米国と今後、どういう付き合い方をすればよいとお考えなのですか?

少し、話の幅を広げつつ、今までお話をしてきたことをまとめると、次のよう になります。

欧州とイスラム世界は、世界観やおぞましさにおいて、瓜二つ的存在でした。 米国は、アングロサクソンを主、欧州を従とするキメラ的存在であって、米国は欧州とは、おぞましさを共有しているのです。 米国のおぞましさは、どちらも欧州由来である、その市場原理主義と人種主義的帝国主義イデオロギーにあります。 その米国は、情報社会の到来により、所得・資産格差がどんどん酷くなりつつあり、一握りのエリートと大多数の庶民に二極分解しつつあります。その結果、庶民を中心に、もともと孤独でストレスに苛まれてきた米国人の孤独、ストレスが一層募ってきていると私は見ています。 そのためでしょう、迷信にたぶらかされている庶民がどんどん増えています。

米国が、一種ラテンアメリカ化しつつある、と言ってもいいかもしれません。 それに加えて、金融危機を端緒に米国は深刻な景気停滞に陥っており、その相対的国力は急速に衰えを見せています。 このような背景の下、米国のイデオロギーである、市場原理主義と人種主義的帝国主義のうち、前者のウェートが高まり、米国がファシスト国家化する可能性が現実のものとなりつつあります。 ブッシュ時代には、対テロ戦争の名の下で、ファシスト国家の一歩手前まで墜ちた米国でしたが、オバマの大統領選出によって、間一髪で引き返すことができました。 しかし、世界を全く知らず、また、地球温暖化人為説を否定する、トンデモおばさんたるペイリン前アラスカ州知事が、庶民の支持を得て、次の大統領選で共和党の候補に選ばれ、更には大統領に当選する可能性が出てきています。 万一そんなことになれば、米国が本格的にファシスト国家化する危険性があります。

もっとも、ペイリンなどが大統領になれば、属国日本の奴隷根性が骨の髄まで染みこんだ大部分の日本人のうちの多くが、とてもじゃないけど、こんな大統領をいただくような宗主国に日本の安全保障を委ねるわけにはいかないことを身に染みて悟って、日本の「独立」に賛成してくれるかもしれませんね。(コラム#3697、3699、3701) 過去・現在・未来(続x18) 過去・現在・未来(続x19) 皆さんとディスカッション(続x680)

まあ、それは冗談として、私に言わせれば、先進国でまともなのは、アングロサクソン諸国と日本だけであり、とりわけまともなのは日本です。 例えば、欧州文明の鬼子であるロシアは、共産主義を掲げ、戦後一時世界人口の三分の一を支配しましたが、世界の自由民主主義的諸国の中で、19世紀から、一貫してロシアと戦ってきたのが日本だけであることに我々はもっと誇りを持ってよいでしょう。 だからこそこの両者で、bastardアングロサクソンたる米国をおだてながら善導(harness)しつつ、西欧を中心とする欧州の政治統合を妨げながらもこれを活用して、世界の安定と繁栄を確保する体制を構築する必要があるのです。

そのためにも、まずもって、人種主義的帝国主義と市場原理主義を信奉してきた病んだ国であって、現在、急速に国力の相対的低下に悩む米国から、日本が「独立」することが、喫緊の課題なのです。(コラム#3695、3696) 皆さんとディスカッション(続x679) 米国とは何か(続x6)


(コラム#3697、3699、3701)

過去・現在・未来(続x18)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4005

過去・現在・未来(続x19)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4007

皆さんとディスカッション(続x680)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4009

(コラム#3695、3696)

皆さんとディスカッション(続x679)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4003

米国とは何か(続x6)
https://www.ohtan.net/blog/archives/4066

参考文献

  1. アングロサクソン
    • タキトゥス『ゲルマニア』(ラテン語からの翻訳)
    • Alan MacFarlane ‘THE ORIGINS OF ENGLISH INDIVIDUALISM: THE FAMILY,PROPERTY AND SOCIAL TRANSITION’(邦訳あり)
  2. 欧州
    • John Gray ‘Black Mass―Apocalyptic Religion and the Death of Utopia’
  3. 米国
    • Bruce Feiler 'AMERICA'S PROPHET Moses and the American Story'
  4. 米国の人種主義的帝国主義
    • Jackson Lears 'Rebirth of a Nation: The Making of Modern America,1877-1920'
    • James Bradley 'THE IMPERIAL CRUISE A Secret History of Empire and War'
  5. 戦前の日本の政治体制
    • Gordon M. Berger, Parties out of Power in Japan 1931-1941(邦訳あり)
    • 古川隆久『戦時議会』
  6. 日米戦争
    • Arthur Waldron ‘How the Peace was Lost: The Developments by Ambassador Jon Van Antwerp MacMurray’(邦訳あり)
    • ジョン・ダワー『人種偏見――太平洋戦争に見る日米摩擦の底流』(John W.Dower ‘War without Mercy: Race and Power in the Pacific War’の翻訳)
    • Nicholson Baker 'Human Smoke--The Beginnings of World War II, the End of Civilization'
  7. 原爆投下
    • Tsuyoshi Hasegawa 'Racing The Enemy: Stalin, Truman, & the Surrender of Japan'
    • Daniel Jonah Goldhagen 'WORSE THAN WAR Genocide, Eliminationism, and the Ongoing Assault on Humanity'