G・B・サンソムの日本史観と戦後日本3 弥生性をめぐって(支那篇)

原稿 https://www.ohtan.net/blog/archives/14567

1 始めに
2 支那
 (1)支那の偏頗な弥生性はどうして?
 (2)漢人文明について
  ア 四夷
  イ 夏?漢人文明の成立
 [遊牧の始まり・馬の家畜化]
  ウ 殷(前17世紀頃~前1046年頃)
  エ 西周(前1046年頃~前771年)
  オ 春秋戦国時代
  ・春秋時代(前770~前403年)
  ・戦国時代(前403~前221年)
 (3)秦(前221~前206年)
  ア 始皇帝による封建制の放擲
 [周時代の封建制の特異性]
  イ 秦の偏頗な弥生性
 [『孫子』の罪]
 [李牧?漢人文明の対遊牧民集団戦の理念型の創造者]
 [秦と漢の兵力構成の違い]
 [蒙恬の匈奴「討伐」の「遺産」]
 [中央集権制(郡県制)の弊害]
  ウ 総括
 (4)漢(前206~後220年)?偏頗な弥生性の「伝統」化
 [匈奴と鮮卑(含む・三国時代~西晋)]
 [李陵]
 (5)五胡十六国時代から元まで(304~1368年)
 [貴族から科挙出身者へ]
 (6)明(1368~1644年)?アポリア
 [北虜南倭]
 (7)清(1644~1911年)?しんがり