改めて聖徳太子コンセンサスについて–島津斉彬の視点も加味しつつ
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2020.6.27講演
I 改めて厩戸皇子について
II 聖徳太子コンセンサス再訪
1 軍事政策再訪
(1)聖徳太子コンセンサスにおける軍事政策総論再訪
[武士の活躍]
〇一回目の活躍(刀伊の入寇)
〇二回目の活躍(元寇)
〇三回目の活躍(朝鮮出兵)
〇四回目の活躍(幕末~大東亜戦争「敗戦」まで)
(2)補論:冠位制
[女官]
[褶(ひらみ)]
[1回目のティータイム]
2 「宗教」政策再訪
(1)始めに
[神道論]
〇トップダウン方式(失敗)
〇ボトムアップ方式(成功?)
(2)聖徳太子コンセンサス中の仏教論とその展開
(ア)聖徳太子コンセンサス中の仏教論(再訪)
あ 仏教伝来
い 関連する中臣氏/藤原氏の動静
[田中英道説]
う 厩戸皇子ゆかりの寺院群から窺われること
[2回目のティータイム]
(イ)聖徳太子コンセンサス中の仏教論のその後の展開
あ 道昭(629~700年)
[法相宗]
い 行基(668~749年)
[3回目のティータイム]
う 天武朝(672~770年)下の藤原氏
え 復活天智朝(770年~)下の藤原氏
[太子信仰]
お 最澄(766/767~822年)
か 空海(774~835年)
き 源頼朝(1147~1199年)
く 重源(1121~1206年)
け 叡尊(1201~1290年)
こ 日蓮(1222~1282年)
さ 北条得宗家
し 後宇多天皇(1267~1324年。天皇:1274~1287年)
す 後醍醐天皇(1288~1339年。天皇:1318~1339年)
せ 足利尊氏(1305~1358年)
[浄土真宗について]
一 神仏習合教の背教宗派たる浄土真宗
二 浄土真宗と太子信仰
(一)始めに
(二)太子廟崛偈
(三)聖徳太子像
そ 織田信長(1534~1582年)
た 豊臣秀吉(1537~1598年)
ち 徳川家康(1543~1616年)
[徳川幕府の対浄土真宗・不受不施派政策]
[キリスト教禁教令と寺請制度]
つ 島津重豪(1745~1833年)
III 日蓮論
[立正安国論(りっしょうあんこくろん)]
[荘園]
[後醍醐天皇と日蓮宗]
[豊臣秀吉と後陽成天皇]
[徳川幕藩体制]
[島津斉彬と日蓮正宗]
[宮沢賢治・国柱会・法華経]
[田中智学の考え]
[牧野伸顕と日蓮宗]
[釈迦牟尼仏(釈迦如来)と日蓮]
[法華一揆]